熊本城④ 特別見学通路から鳥の目線で眺める天守 ~島原・天草の城めぐり(23)

南ルートの特別見学通路から熊本城を眺める。本丸御殿を後にし、散策をすすめます。

東竹ノ丸 櫓群

本丸から下がったところにあり、本丸の東側を囲んでいる東竹ノ丸。熊本城にある国指定の重要文化財13棟のうち、10棟がここにあります。
東竹ノ丸の南東部には5棟が連続して残っているのです。

熊本城 東竹ノ丸 5棟の櫓群
東竹ノ丸 5棟の櫓群

北側(左)から源之進櫓、少し空いて四間櫓、十四間櫓、七間櫓、田子櫓。
写真では源之進櫓が見切れて、少し離れたところに少しだけ写ってます。

Google mapのストリートビューでは壁がはがれた様子が残っていました。写真の右に写っている七間櫓、田子櫓は現在も支えが必要なようです。

この5つの重要文化財の櫓群を2009年に竹ノ丸の下から仰ぎ見て撮影するとこうでした。

熊本城
2009年撮影 熊本城 重要文化財の櫓

北側(左)から田子櫓(ほとんど写ってない)、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、一番右が源之進櫓。

竹ノ丸から2009年に撮影したのがこちら

熊本城 源之進櫓
2009年撮影 竹ノ丸 源之進櫓

もっとしっかり見ておけばよかったな。といまさら後悔。

2009年に撮影した竹ノ丸の5つの櫓群はこちらから

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熊本城 大天守と小天守

 

本丸 連続桝形

本丸の連続桝形も特別見学通路から眺めると石垣の崩れた様子がよくわかる。

熊本城 特別見学通路から飯田丸方面を眺める
特別見学通路から飯田丸方面を眺める

もっとも奥に見えるのが飯田丸。

 

右奥に見える飯田丸、その左側にある四角いエリアには竹ノ丸五階櫓が建っていました。
復元図と合わせて見るとわかりやすい。

熊本城 桝形の通路をふさぐ崩壊した石垣
桝形の通路をふさぐ崩壊した石垣

奇跡の一本石垣 飯田丸五階櫓跡

熊本城 江戸時代の連続外桝形(VR再現図)
江戸時代の連続外桝形(VR再現図)

 

飯田丸といえば、「奇跡の一本石垣」として話題となった飯田丸五階櫓。再現図にあるように、飯田丸は写真の右側。その左の隅には隅櫓が建っていました。

熊本城 桜満開の飯田丸
桜満開の飯田丸

隅櫓があった左端は見えるけど、五階櫓があった場所はここからでは死角になっていて、写真でも再現図でもちょうど右端に見切れています。残念。

熊本城 飯田丸
飯田丸

写真の右側の飯田丸の奥の隅に建っていた飯田丸五階櫓の震災後の様子はこちら。

熊本城 飯田丸五階櫓
飯田丸五階櫓

隅石にが少し高くなってバランスをとって支えている状態を「気負い」というそうです。ちょうど人間が気負うと両肩が上がる、まさにそんな感じ。さらに隅石がほぼ直方体で、それらが規則正しく算木積みで積まれたことにより、強度が増し、建物が崩落しないで済みました。
「熊本地震で熊本城の飯田丸五階櫓の石垣の算木積部分のみが崩落しないで、巨大な建物荷重を支えることができたのはなぜか?」というのは日本城郭検定1級の問題にもなりましたね。

平成17年(2005年)に古写真をもとに木造復元された飯田丸五階櫓。現在は建物はいったん撤去・解体して保管され、石垣の修復・積みなおしフェーズとなっています。

飯田丸五階櫓の修復で新発見!

石垣の修復工事で新発見のニュース
石垣の解体中に内側から別の石垣が発見されました。長さ14m、今回崩れた石垣の内側約8.5mのところに埋まっていました。最も古い天守台の石垣同様、加藤清正築城当時の石垣と見られています。
飯田丸の西側と南側をさらに張り出させて拡張し、その隅に五階櫓を建てたんですね。なんたる厳重防備!
残念ながらこの石垣は修復後には埋め戻されてしまうそうです。

二様の石垣と天守

特別見学通路から見えるもっとも素晴らしい光景。それは二様の石垣と天守を鳥の目線で見られること。

熊本城 二様の石垣と天守
二様の石垣と天守

竹ノ丸から何度も右左折を繰り返して天守が見えるこの場所にくると誰もがこの光景に見惚れるはず。2段階になっている石垣の上は本丸御殿。この二段構えになっている石垣は、手前が加藤清正公が築城した当時の石垣奥が細川忠利が本丸御殿を拡張する際に付け加えた石垣です。

NHKの番組「よみがえれ熊本城」によると、この二様の石垣は地震前の測量データと比較すると、ほとんど変形が無かったとのことです。

熊本城より30年前の1576年に築かれた安土城と比較すると、

  • 安土城 地面に対して水平に隅石が積まれている。横揺れで水平に力がかかると飛び出しやすい。
  • 二様の石垣 斜面にたいして直角に積まれている。横揺れに対し摩擦が発生。力が分散して飛び出しにくくなる。末広がりになることで安定性もある。

面白いことに、清正がこの前に築城した西生浦倭城(1598年)までは石垣の積み方は地面に対して水平だったこと。清正は1596年に発生した慶長伏見地震を経験しており、その時の経験から地震にも強い石垣を築き、それが結果として末広がりでてっぺんに近づくほど直角のように反り立つ武者返しの石垣を産み出したのかもしれない。

熊本城 本丸御殿と二様の石垣
本丸御殿と二様の石垣

本丸が拡張されて小広間が造られたとき、この隅っこには西三階櫓がありました。
下から眺めるのもよいけど、この高さから本丸御殿とセットで眺めるのもいいな。

熊本城 400年前の石垣と2021年の建造物のコラボ
400年前の石垣と2021年の建造物のコラボ

400年前に築かれた石垣も素敵ですが、この見学通路もなかなか良い。地中の遺構を傷つけないように土台を置いてその上に支柱を設けている。よくこれで支えてられるよな。石垣を乗り越えたり土台となる部分の高さが異なっていている事情をものともせずに立っている。

 

熊本城 本丸御殿と天守
本丸御殿と天守

この光景がやっぱり好きだな。
本丸御殿とその奥に張り出している茶室。お殿様(細川忠利公)のご趣味だったそうです。

熊本城通常、茶室は正方形だけど熊本城の本丸御殿内の茶室は長方形で珍しい。
今回の地震ではこの茶室がある部分の石垣の栗石が下がってしまい、茶室とつながっている昭君之間の床の部分が沈下しまいました。本丸御殿は一見、影響は無いように見えているものの、あれだけの規模の地震が数回にわたって発生すると無傷とはいえないようです。

特別見学通路をあとにし、元来た道を戻って西出丸のまだ行っていない戌亥櫓と加藤神社方面へ向かいます。

 

西出丸の戌亥櫓と加藤神社方面編へ続く


 

熊本城 特別史跡

  • 住所:熊本県熊本市中央区本丸1-1
  • アクセス:熊本駅から市電、バスを使って約30分。熊本周遊バス「しろめぐりん」が便利。1日乗車券(大人400円 小児200円)なら城彩苑、細川刑部邸、博物館など主要観光スポットの割引付きです。
  • 駐車場:二ノ丸側、三ノ丸側、桜の馬場観光交流施設など周辺にもあります。

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