島原城と武家屋敷を見学し、島原城から西にある本光寺を目指します。
ここにはかつて丸尾城という城がありました。
丸尾城とは
島原城の西にある小山の上にあり、現在は深溝(ふこうず)松平家の墓所になっていますが戦国時代は島原氏の城「丸尾城」でした。とはいえ、築城年不明、縄張不明とわからないことが多い城。
城の歴史は案内板程度のことしかわからないので、それは画像を見てもらうことにして、見どころを紹介します。
遺構は目につくところには残っていませんが、かつて島原城の三ノ丸にあった常盤御殿が移築され、常盤資料館として内部が公開されています。島原城を訪れたなら、ちょっと立ち寄ってみてくださいな!
丸尾城 基本情報
- 築城年:?
- 築城者:島原氏
- 種類:山城
- 天守: -
- 主なタイトル: -
- 主な遺構:? 戦国時代の城としては目につくところでは見当たらず。常盤御殿
- 文化財指定: -
- 所在地:長崎県島原市本光寺町3380
- アクセス:島原駅からバスで5分 本光寺境内
- 最寄駅:島原駅
- 駐車場:あり 15台
- トイレ: -
- 昼食場所:なし
- 縄張図:なし
丸尾城 見どころ
- 常盤御殿はかつて島原城の三ノ丸に建っていた建物。常盤資料館として内部は資料展示室として公開されています。旧島原藩主深溝松平家ゆかりのお宝がたくさんありましたが、撮影禁止なのでぜひその目でみてもらいたい!特に城郭図や日本全国地図は必見!
- 境内にはキリスト教徒たちが首を落としたという首なし地藏があります。
丸尾城へ
島原城から車ですぐ。本光寺へ到着。カーナビでは「常盤資料館」で探したほうが早いです。
本光寺の山門は島原市で最も古い建造物で、島原市の指定有形文化財。
そしてこれが島原城の三ノ丸にあった常盤御殿です。
何かの資料に「常盤御殿は江戸時代ではなく明治期の建物」と書いてあった気がしたのですが、今、調べてもそれに関する記述がない。とはいえ、三の丸に建っていたのは確かのようです。
名古屋から合流したお城仲間さんが「本光寺って愛知にもあるけどあそこも松平の菩提寺なんだよね。関係あるのかな。」と言っていたけど、まさに徳川家康と共通の祖を持つ深溝松平家の菩提寺で、島原に転封になってこの地に築かれたとか。(候補にも入っていなくて、「島原城の御殿の建物ががあるらしい」と急きょ向かったので誰も詳細を調べてなかった!)
内部の資料はさすが由緒正しき松平家のお宝。想像以上に面白かったです。
特に城郭絵図と地図!さすが松平家。島原城だけでなく、伏見城や丹波亀山城の縄張図、長久手の戦いや長篠の戦いの絵図など一級品の資料がゴロゴロと出てくる。
資料の展示の最後に、これは現代のものだけど、治めていた士族だったか藩名だったかがマッピングされている日本地図があり、その周りに家紋が描かれていて、「見ているだけでも楽しい」と城好き女子があーだこーだ言ってたら、施設の方がすごいものを見せてくれました。
本堂の奥に飾られていた如意輪観音像。
これは元亀2年(1571年)織田信長が比叡山を焼き払ったときに、明智光秀一族の手で救い出したものだそうです。
・・・は!?😲
思わずタメ語で反応してしまった。
たまたまこの日は本堂で法事が行われていなかったので見せていただきました。そういわれてみれば、ところどころ焼けているような・・・?なぜ明智氏から松平家に渡ったのかはわかりませんが、最後の最後ですごいお宝が出てきたよ。
貴重なものを見せていただき、ありがとうございました。
時間があるならもっとじっくり見たかった。
島原市のサイトより
首が無い地藏が並んでいます。ほんとうにキリスト教信仰者が首を落としたのであろうか。
日本では宗教戦争遺構はあまり残っていましたが、カンボジアのアンコールワットを旅した時、ヒンズー教 VS イスラム教と王の信仰が変わるたびに改変が加えられている建物や石造を見て、「なんてもったいないことをしたんだ!」と残念に思いました。
本光寺の首無し地藏は今となってはキリスト教信仰の貴重な遺跡となっているのね。
この上が本丸?城っぽさを感じるのはこの上なんだよな。残念ながらよくわからず。
石段の上は松平藩墓所。
このあと、日野江城と島原城にも行く予定だったので、丸尾城はここまでにして、撤退しました。
島原・天草の城めぐり 続く
島原城→丸尾城→日野江城→原城2日目
富岡城→世界遺産・キリシタン遺産めぐり(大江教会→崎津集落・崎津教会)→久玉城→河内浦城→下田城→小豆カフェでランチ→本渡城→明徳寺→金浜城→棚底城→リゾテラス天草