宇土城 本丸南から東にかけての石垣を見のがすな! ~島原・天草の城めぐり(21)

  • 2021年9月23日
  • 2021年9月23日
  • 宇土城
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2021年3月に行った島原・天草の城めぐり。八代城の後は熊本市街に向けてひたすらドライブ。中世の城「宇土古城」の次はすぐ近くにある近世の城「宇土城」に立ち寄りました。

宇土城とは

豊臣秀吉の九州平定後に肥後3郡を与えられた小西行長が天正17年(1589年)に宇土古城の東に建てた織豊系城郭。慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いで西軍についた小西行長が敗北し、処刑されると加藤清正が肥後を治めることになり、自身の隠居所として大規模に改修を行ったものの、隠居する前に慶長16年(1611年)に死去。翌年には宇土城は幕命により破却されました。そしてさらに寛永14年(1637年)の天草・島原の乱後も徹底的に破壊という2度にわたって破壊されたため、当時の姿はほとんど残っていません。

 

宇土城 縄張図

宇土城 縄張図
宇土城 縄張図

熊本県文化財調査報告第259集 宇土城跡(城山)より

通称「城山」と呼ばれる標高約16mの小高い丘に本丸があり、堀に囲まれていました。二ノ丸が本丸の西側、三ノ丸が本丸の南と東側に配置されていて、その周り水堀で囲んでいました。大手口は現在の宇土高校からさらに東側にあり、高校が余裕で入ってしまう城域は水堀まで含めると南北500m、東西約550mあり、面積は約20万平方メートルと広大でした。

在りし日の宇土城
在りし日の宇土城

昭和40年代、50年代に本丸の発掘調査が行われ、小西時代だと考えられていた石垣や門の基礎、排水溝などの城郭遺構(上層遺構:加藤時代)の下のさらに1.5~2mほど地下から石塁や礎石、建物跡(下層遺構)などが発掘されました。下層遺構は小西時代の城郭遺構と考えられていて、加藤期の改修は小西時代の遺構の上に盛土をして完全に埋め込まれ、石垣を施したということですね。

そういえば、熊本城の宇土櫓は宇土城の天守の移築されたと伝えられてきました。最近の研究ではその可能性は低いとされていて、熊本城の大天守と連結している小天守が宇土城の天守だったのでは?というのが有力説だそうです。

 

宇土城へ

本丸の南側、三ノ丸と思われる場所のスペースに車を停めて、すぐそばにある登り口からまずは本丸を散策。

宇土城 本丸へ
本丸へ

 

 

本丸

本丸へ入るとまず目につくのが小西行長の像。

小西行長は安土桃山時代のキリシタン大名。天正8年(1580年)頃から豊臣秀吉に仕え始めてから頭角を現し出しました。
天正16年(1588年)に宇土城を築城し、現在の宇土市街地の基礎を作りました。

宇土城 本丸
本丸

本丸はちょうど桜が満開。残念ながら雨上がりで天気は悪かったけど、桜がきれいでした。ここは桜の時期に来るべきだな。

本丸へは少ししか登らなかったけどこれだけの高低差がある。

宇土城

奥に目をやると石垣があるのがわかる。
本丸はこれといってみるところがなかったので、西の二ノ丸側の階段から降りて南側の駐車場まで戻ることに。

宇土城 城址碑
宇土城 城址碑

 

本丸南西側の石垣。加藤氏時代の石垣です。

宇土城 本丸の石垣
宇土城

石垣の前にある看板の説明によると、地下には今見えているこの高さと同じぐらいの高さの石垣が埋まっているという。

昭和55年度から行われた発掘調査の結果、本丸には約2mの盛り土があり、小西時代のものはその下から出てくる事等から、いま現在目にする事が出来るこの石垣は、加藤清正が積み上げさせたものだと考えられます。石垣の積み方は打ち込みはぎといわれるもので、熊本城と同じ積み方です。ただこの石垣も見えているのは半分程度で、地面の下には、地上の石垣と同じぐらいの高さの石垣が埋まっています。

宇土城 本丸石垣前の看板より

となると、今いるこの場所はもっと深く掘り下げられていて、堀だったということで合っているのか。
宇土城の測量図や復元図を見ると本丸の周りには堀があったということだけど、本丸の下にいても平面が続き、車を停めた三ノ丸の奥に土塁があったように見えたけど、いまいちピンとこなかった。同じく三ノ丸の宇土高校側の堀の東側を歩いていた時に「これは堀だな」と思ったのだけど、そういうことか!
本丸を囲む堀は幅が20mもあったそう。宇土城は2度破壊されていますが、清正が亡くなった後の一度目の破却はところどころに石垣が残り、堀の形も残っていたようだけど、島原の乱の後の二度目の破却では石垣は大きく崩され、堀は大規模に埋められたという。
そういえば、島原の乱の一揆軍の総大将であった天草四郎の父である増田甚兵衛は小西行長の家臣で家族はみなキリシタンで、宇土の出身だったそうです。島原の乱の後に宇土城が徹底的に破壊されたというのは、まだ存在するかもしれないキリシタンへの影響を鑑みたことによるのかもしれませんね。

とにもかくにも、本丸南の駐車スペース付近は起伏が全く感じられない状態だったもので、ふーん、宇土城ってこんな感じか。と帰ろうとしたのだけど、もう少し探査してよかったと思った瞬間!

おぉ。石垣が続いているではないか!

宇土城

 

宇土城は本丸南側が面白い!本丸南側の石垣を探索!

宇土城 本丸の石垣
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