熊本城③ 二ノ丸から宇土櫓へ ~島原・天草の城めぐり(22)

2021年3月 熊本地震で被災し、修復した天守を公開する直前の熊本城へ行ってきました。
石垣の上をまたがるように作られた特別見学通路からは、石垣が崩れて通行できなくなった竹ノ丸からの連続桝形を上から眺めることができたり、「鳥の目線」で高いところから見える天守もいつもと違って新鮮なのです。

熊本城とは

加藤清正が築いた清正の最高傑作の城。寛永9年(1632年)に加藤氏の後に入った細川忠利は、寛永2年(1625年)に発生した大地震により痛んだ城の修理と改修を行いましたが、清正と熊本城に敬意を払い、無謀な改修を行わなかったおかげで清正時代の名残を残したまま現在に残っています。

熊本城についてと、震災前の2009年に行った時の熊本城の写真についてはこちらをどうぞ。

関連記事

2021年3月に行った島原・天草の城めぐり。この旅のメインイベントは熊本地震による復興中の熊本城を見に行くこと!特別通路からは「鳥の視点で天守や石垣が見られる」ということで、天守復元公開の直前に行ってきたよ。 その前に、改めて震災前の[…]

熊本城 大天守と小天守

 

熊本城 案内図

震災復興中の熊本城は特別公開通路を歩いてまわります。見学ルートは曜日によって公開範囲が異なるので要注意!

月曜日~土曜日 南口 特別見学通路部分のみ。熊本城跡MAPでいう赤いルート
日曜・祝日   南口ルートに加えて、北口のオレンジルートも歩くことができます。

見学通路は熊本城公式サイトで紹介しています。

熊本城 特別見学通路 案内図
特別見学通路 案内図

日曜・祝日に行かないと見学路の全体を歩くことはできないのでご注意を!

南側の見学通路の図解はこちら。石垣の上をまたがるように通路が渡されているところもあり、いつもより高い目線から眺められることからまるで「天空の見学通路」といったところ。
崩れてしまって通行できない竹ノ丸からの連続桝形もここから眺めることができます。

熊本城公式ホームページより

 

震災復興中の熊本城へ

2021年3月。雨あがりの熊本城へ。
二ノ丸の駐車場に車を停めて二ノ丸券売所でチケットを買って入城します。私は熊本県にふるさと納税して城主手形をもらっていたので入場無料。熊本城へ行く予定があるなら、ふるさと納税をして復興に協力したうえで、入場無料で並ばずに入る!というのはどうでしょう?

 

二ノ丸

熊本城 二ノ丸広場
二ノ丸広場

大きな駐車場がある二ノ丸には、江戸時代には上級家臣の屋敷が並んでいましたが、宝暦5年(1755)には二ノ丸の一角には「時習館」という藩校が開校。時習館では武士の子だけでなく、優秀であれば庶民でも学ぶことが許されたそうです。敷地内には「武芸所」も置かれたということで、文武両道な優秀な人材が育成されたのね。
そして震災前までは二ノ丸は天守と宇土櫓が並んで見える絶好の撮影スポットでした。あぁ、残念。

西出丸と奉行丸へ

戌亥櫓

二ノ丸を散策していると堀を挟んだ反対側の西出丸に2003年に復元された戌亥櫓が見える。

熊本城 奥に戌亥櫓が見える
二ノ丸から堀を挟んだ西出丸にある戌亥櫓が見える

現在の戌亥櫓は復元ですが、外観二重、内部は二階、石垣部分の一階で三階建てで、熊本城では数少ない単独で建つ二階櫓でした。一見、二階建てに見えて三階建てというトリッキーさ。創建当時は大黒矢倉(おおぐろやぐら)と呼ばれていました。

熊本地震で戌亥櫓の周りの塀は崩壊。櫓自体の建物は残って立っているけれど、よく見ると壁が剥がれ落ちてしまっているのが痛ましい・・・。

熊本城 戌亥櫓
長塀が崩壊した戌亥櫓

二ノ丸広場からは眺めると櫓の建物、石垣ともに損傷はほとんどないように見えるけど、この石垣の反対側は飯田丸五階櫓の一本石垣のように算木積みの隅石部分が残った状態で石垣が崩れてしまいました。
復旧のために解体されることになり、2021年1月からその関連工事が始まるそうです。

熊本城 空堀と西出丸
二ノ丸と西出丸の間の堀と戌亥櫓
熊本城 戌亥櫓の倒壊した石垣と長塀
戌亥櫓の倒壊した長塀

二ノ丸から西出丸へ入る際は、本来なら元太鼓櫓(復元)の前を通って西大手門(復元)に入るのですが、どちらも損傷がひどく、現在は解体されています。

元太鼓櫓(復元)

元太鼓櫓には、藩主の出発や到着を知らせるための太鼓が置かれていたという。

熊本城 元太鼓櫓
元太鼓櫓

熊本城では崩れてる前の建物の写真も近くに飾っておいてくれている。
ちょうどこの隅に乗っかるようにして元太鼓櫓がありました。地震では建物が崩れつつも耐え抜いたものの、その後の大雨には耐え切れず倒壊・・・。
西出丸への桝形をぐるりと囲っていた石垣もその上の長塀も崩れてしまっている。

 

未申櫓(復元)

倒壊した塀の先には西出丸の南端、奉行丸にある未申櫓(復元)が見える。

熊本城 未申櫓
未申櫓

未申櫓も戌亥櫓と同じ外観二重、内部三階の櫓です。
きれいな桜を眺めていると通常はテンションが上がるものだけど、桜がきれいであればあるほど悲しい・・・。

西大手門(復元)

元太鼓櫓の跡を右に見ながら西出丸へ入る。それにしても、でかい桝形だな!

熊本城 西出丸へ
西出丸へ

かつてはここに西大手門がありました。
西出丸にはも西、南、北と3つの大手門があり、西大手門はその中でも最も格式が高く、いわゆる「正門」だったそうな。

西大手門は明治時代に軍が取り壊してしまったけれど、元太鼓櫓とともに2003年に再建されました。

 

熊本城 在りし日の復元された西大手門と元太鼓櫓
在りし日の復元された西大手門と元太鼓櫓
熊本城 西大手門
西大手門の写真

復元されたにもかかわらず、今は跡形もない。

デアゴスティーニの「週刊日本の城」によると、

寛永9年(1632年)に加藤氏に代わって肥後に入国した細川忠利は、この門の前で衣冠束帯のまま駕籠を降り、「謹んで肥後54万石を拝領仕ります」と頭をたれたと伝えられる。その後、登城する藩士は門の真中を通らず、端を通ようになったという。

しまった。真ん中を通ってしまった・・・

この写真の石垣と右端に見切れている石垣の上に西大手門が建っていました。

震災後の西大手門の様子を同じ方向からGoogleストリートマップで見るとこんな感じ。

熊本城 震災後の西大手門
震災後の西大手門

隅石の両サイドを残して石垣が崩れ落ちている状態だったことがわかります。

 

そして西大手門を入ると広がっているのが西出丸。出丸とはいえ、とても広い。

見切れているけれど写真の右手側が奉行丸。写真の左側が西出丸。奉行丸には地震で崩落した石垣の一部が保管されています。
写真の左側にあるのが本丸西に配置されている宇土櫓。正面の木々の奥に天守が見えます。

 

>> 熊本地震にも耐え抜いた宇土櫓へ

熊本城 宇土櫓
最新情報をチェックしよう!