熊本城④ 特別見学通路から鳥の目線で眺める天守 ~島原・天草の城めぐり(23)

2021年3月の天草・島原・熊本の旅。メインイベントの熊本城 特別公開通路からの見学です。
二ノ丸駐車場から西出丸に入り、本丸までやってきました。まずは公開直前の大天守・小天守を見に行きます。

西出丸を出て宇土櫓を横目に頬当御門のスロープを登りきったところで周りを見回すと、やはり入れなくなっている通路が多いことに気づく。

熊本城 数寄屋丸との間をつなぐ通路
数寄屋丸との間をつなぐ通路

奥に見えるのが宇土櫓と頬当御門からのスロープ。この正面の通路の奥も震災直後は石垣が崩れて無残な姿になっていました。

現在地はここ。頬当御門のスロープを登り、さらに大天守脇のスロープを登ります。

熊本城 特別公開通路 案内図
熊本城 特別公開通路 案内図

大天守へのスロープを登る直線の進入禁止エリアのこの石段に注目

熊本城 本丸御殿の真下への通路
天守への通路

竹ノ丸の連続外桝形から何度も右左折を繰り返し、石段を登って「天守はまだ!?」と心が折れそうになったときに上る最後の石段がこの写真の場所に当たります。この石段を登ってくると・・・

こんな風に大天守とその奥に小天守が見えていました。

熊本城 2009年に撮影した大天守
2009年に撮影した大天守

熊本城の撮影でよく使われる撮影スポットですね。
そしてこの石段を登ってまっすぐ行くと・・・

見よ、大天守の清正流の石垣の見事さ!

熊本城 大天守と小天守
大天守と小天守

大天守と小天守の絶景ビュースポットに出るわけです。

 

大天守と小天守

天守の入口の真裏にあたるこの西側から眺めると天守台の石垣の美しさがよくわかります。石垣を観察するなら西側がおすすめ!

3つの「させない」を徹底した鉄壁な守りの城

末広がりに扇のように広がっていることから「扇の勾配」とも呼ばれる石垣。

  • 一見、登りやすそうだけど登れば登るほど角度が垂直に近づき、登れない
  • 梯子を掛けようにも広がっているので上部には届かない
  • この絶妙な角度のおかげで上から石を落とすと、予測不能な跳ね返り方をするので避けられない

と、「三ない」状態。

さらに、傾斜がきつい石垣だと上から狙う時に後頭部しか狙えないけれど、このゆるい傾斜だと後頭部だけでなく背中も狙えて射程範囲が広くなり狙いやすくなるというメリットもあったわけです。
清正公、すごい。

震災前まではその石垣の美しさを称えられることが多かった清正流石垣ですが、この末広がりが重力を下に逃がすということで抜群の安定性があるということが今回の地震によって実証され、地震対策にも優れていたということがわかりました。

と、清正流石垣がすごいのはわかったけどここでひとつ疑問が。

なぜ清正は算木積みを選ばなかったか?

清正の時代には算木積みも浸透していたので、算木積みで積むことも選択肢としてあったはずなのに、あえて選ばなかった。算木積みで積まれていた例では飯田丸五階櫓の石垣が隅石部分を残して崩れてしまい「奇跡の一本石垣」と言われたように、間の部分の石垣がはらんで崩れてしまった。算木積みはその特性上、隅がしっかり組まれて頑丈な分、間の部分は崩れて栗石(ぐりいし)がむき出しになってしまった。が、これはこれで正しくて、地震の多い日本では、石が抜けてしまったら差し込んで元の高さに戻すことにより、上の建物を崩すことなく修復ができるという先人たちの知恵だったという。(今回のような大地震だと建物にも影響するが、少しずれる程度であれば建物を取っ払わなくても修復ができるということ。明治22年のM6.3の地震の際も栗石部分が沈下したけど足すことによって修復したそうです。「歴史秘話ヒストリア」より。)

一方、末広がりで組まれた大天守の石垣、宇土櫓の石垣は持ちこたえました。
あえて算木積みを選ばなかったのは加藤清正がこうなることを予測していたのか!?とさえ考えてしまう。加藤清正は慶長伏見地震で倒壊した伏見城を目の当たりにしてるしね。

地震対策という意図だけではなく、加藤清正的には「算木積みよりも短期間で石垣が築ける」という利点もあったのかもしれない。
当時は秀吉亡き後、朝鮮出兵の戦後処理で秀吉配下の武将達が揉めに揉めてた頃。有事に備えてとにかく早く城を築いておかねばならないということで、6年そこらで東京ドーム約25個の城域を整えることを考えると、スピード勝負のために算木積みを選ばなかったのかもしれません。

 


それにしても、石垣を修復し、天守の建物もよくここまで修復したなぁ。
天守公開直前の今年、2021年3月の天守と2009年7月の天守を並べて見ると、違いがほとんどない。
昭和天守の完璧な再現率!

そして春の熊本城といえば、天守と桜!

熊本城 天守脇のスロープから眺める天守と桜
天守脇のスロープから眺める天守と桜

桜の木が倒れず、咲いていてくれたよ!

もちろん、倒れてしまった木々もありました。そんななかでもこうやって花を咲かせている木を見ると、木々の生命力ってすごいなと少し感動してしまった。

 

そしてこちらも元気です!熊本城名物、大銀杏の木!

熊本城 大銀杏の木
大銀杏の木

熊本城名物の大銀杏の木。
清正公が2本の銀杏の木を植えた時に「この木が天守閣の高さに育ったら、異変が起きるだろう」と言ったとされ、その予言どおりに銀杏が育った明治10年(1877年)の西南戦争で天守ともどもこの銀杏も燃えたという逸話は有名な話。その燃えた跡から銀杏の新芽が出て今のこの大きさになったというから驚き。
この銀杏の木、倒れてしまったんじゃないかと心配だったのですが、ちゃんと立っていました!

それにしても清正公、これが事実だったとしたら、なぜそんな不吉な予言をしたのだろうか。「平和な世になったとしても用心せよ」ということだったのか。あるいは西南戦争のような戦が起こるということではなく、地震など天災を予知していたのだろうか。

 

熊本城 大天守と小天守
天守と小天守

大天守と小天守の出入口側にやってきた。かつては大勢の観光客が天守をバックに写真を撮っていました。

大天守と小天守の間の接合部分の出っ張り。石落としではなく、雪隠(トイレ)もちゃんと作られている~!「ブラタモリ」で「空中雪隠」として内部が紹介されてましたね。
築城時は雪隠は東側(出入口側)と西側(その反対側)の2か所にあったけれど、西側はその後に撤去されてしまったようです。昭和の復元の際には東側に2つ並んであった雪隠を1つのみ復元されました。
熊本日日新聞によると、今回の震災後の天守復元では残っている絵図の通り、間に仕切りを入れて2部屋が復元されるとのことでした。復元されたのかなぁ?

熊本城 天守石垣の改修についての解説
天守石垣の改修についての解説

写真にある天守石垣の解説によると、今回の地震の改修で小天守のこちら側(東面)の石垣は大きく変形し、小天守全体で約2,300の石を積みなおしたそうです。

 

本丸御殿

北ルートから入って天守を遠目から眺めた後は、本丸御殿闇り通路を通って特別見学通路(南ルート)へ向かいます。

熊本城 御殿の闇り通路へ
本丸御殿の闇り通路へ

本丸御殿は震災で被害にあい、外観の壁が崩れているだけでなく、内部も微妙に崩れたりねじれたりということで内部には入ることはできません。

熊本城 本丸御殿の地下通路「闇り通路」へ
本丸御殿の地下通路「闇り通路」へ

建物の床下を通るという珍しい造りである本丸御殿の「闇り通路」へ。
曲輪と曲輪の上にまたがるように御殿を造り、曲輪の間を本丸への導線(通路)とする複雑な作り。

熊本城 本丸御殿 闇り通路
本丸御殿 闇り通路

現在は明るいけど当時はもちろん暗く、入ってきた時に視界が効かなくなり、慣れた頃に明るいところに出るとまた視界が効かなくなる。結果論かもしれないけれど、侵入者に対する目くらましとしての効果もあったのかも。

 


それにしても、やっぱり最近のカメラは感度が良いね。
これが2009年だとこうなります。

熊本城 闇り通路へ
闇り通路へ

光が足りなくてぶれぶれだぁ~!

2009年に熊本城の御殿を訪れた時のことはこちらからどうぞ。光が足りなくてぶれていますが。

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熊本城 大天守と小天守

 

話は戻って2021年現在の熊本城。

熊本城 本丸御殿 闇り通路
本丸御殿 闇り通路

闇り通路は一部通行禁止。天守エリアから南側に抜ける部分を歩いて竹ノ丸方面へ。

熊本城 本丸御殿から特別見学通路へ
本丸御殿から特別見学通路へ

一見すると本丸御殿のこちら側は修復されたように見えるけど、よく見ると壁面には幕がかかっていて修復が終わっていないことがわかる。

そしてここからは特別見学通路です!

特別見学通路(南ルート)

崩れた石垣に影響がないように、そして遺構を傷つけないように、なおかつ「遠目」ではなく、復旧されていく熊本城を間近でみることができるようにと熊本県と建築会社、建築デザイナーのみなさんで試行錯誤して作られた見学通路。

これがまたすごかった!

 

熊本城 特別見学通路
特別見学通路

熊本城を意識した城と黒のベーシックなカラー。手すりの下の部分が透けて見えるので圧迫感もない。床の木の部分がぬくもりが感じられて無機質な冷たさがない。

石垣や遺構だけでなく、樹木も傷つけることもないようにと通路を微妙に曲げたりカーブさせたりと、細かく角度調整をしつつ350mの通路を造ってました!これはすごい!

いやぁ。Good design賞あげたいよ。と思ってたら、獲ってたー。

GOOD DESIGN AWARD

熊本地震により熊本城は甚大な被害を受け、熊本城の復旧工事完了までは約20年の時間が必要となった。まちのシンボルである熊本…

いやぁ。建築好きにはたまらん。
基本、奇抜で本当に使い勝手を考えているんだかと疑問を抱くような近代建築は好きでないんだけど、これは調和している。風景の邪魔をせず、ぎりぎりまで近づいて上空&鳥の目線で見せてくれている。
先日、マツコの「夜の街を徘徊しない」でアンガールズの田中と「好きな建築ベスト3」をやっていたけど、ワタシならこの特別通路を推薦するね。

 

と、暴走したけど熊本城の話に戻ると。

 

熊本城 特別公開通路からの本丸御殿
特別公開通路からの本丸御殿

地震で歪んでいるわけではありません。人が多いところから無理に撮影したのでこうなりました。
でも結果として、小広間(復元していない)のところも上から撮った写真となったので良しとしよう。

熊本城 本丸御殿
本丸御殿

本丸御殿がこの目線の高さとこの近さで見られるのは貴重です。

そして見よ、この特別見学通路の美しいカーブ!

熊本城 本丸御殿の石垣を囲む特別見学通路
本丸御殿の石垣を囲む特別見学通路

 

少し低い目線で撮影すると、石垣の迫力がわかる。

> > 特別見学通路から眺める熊本城 続く

熊本城 二様の石垣
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