本渡城 実態がまだわからない城。明徳寺の異人地藏も忘れずに! ~島原・天草の城めぐり(11)

島原・天草の城めぐり。天草下島を北上して本渡城へ。1日目に続いて島原の乱の舞台になった場所にやってきました。
本渡城は公園化されたところは発掘調査されていて城に関する遺物が見つかっているものの公園化されすぎて遺構はわからない。それ以外の曲輪も含めてどこが本丸なのか、城域もわかっていないという謎の多い城です。

本渡城とは

天草氏代々の居城。現在は海からは少し離れているものの、「船之尾」という地名から近くまで海が迫っていたと考えられています。
広範囲に広がる尾根上に曲輪群が広がっている。惣陣山から千人塚がある殉教公園までが城域だったと考えられていて、実際、天草キリシタン館から車で5分くらいの妙徳寺までは行ったのですが、だとしたらかなり広い!

本渡城
本渡城 案内版より
  • 出丸:殉教公園丘陵部(千人塚があるところ)
  • 二ノ丸:天草キリシタン館のある丘陵部:かつて二ノ丸と呼ばれていたが、現在は本丸とみる説もある。
  • 本丸:惣陣山
  • 城主居館:明徳寺

殉教公園のある出丸、天草キリシタン館のある二ノ丸は、整備時の発掘調査で15~16世紀の出土遺物が発見されているので「城」として機能していたといえるが、山の奥に入った種元碑~城内馬場~権現山、矢繰場ではまだ城跡に関連する出土遺物は確認できておらず、まだ全容は解明されていない。
城域も明確ではなく、写真の青線説(天草キリシタン館の高台~千人塚周辺)紫線説(天草伊豆守碑を中心に明徳寺周辺や天草高校まで)がある。

天草市文化財調査報告書 第3集 「本渡城跡」より
天草市文化財調査報告書 第3集 「本渡城跡」より

全国遺跡総覧 天草市文化財調査報告書 第3集 「本渡城跡」より引用

歴史をさかのぼると、天正17年(1589年)の天正天草合戦の舞台となった城。小西行長が天草を統治することになり、在地の領主「天草五人衆」が、行長からの宇土城建築への協力を拒んだことから戦いに発展。本渡城は当時、天草地方で最大級の規模の城でしたが小西行長・加藤清正の連合軍に攻められることに。本渡城の城主だった天草伊豆守種元はキリシタンでもあり、城内にはキリスト教会が存在していたといいます。城内にいた宣教師や周辺に住むキリシタンたちも城に立て籠もり、最後は城主の種元は自害、多くのキリシタンの命とともに本渡城は落城しました。

時代が下って、寛永14年(1637年)の島原の乱では島津藩と一揆勢が激しい戦いが繰り広げられます。
島原の乱のきっかけについてはこちらをどうぞ。

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2004年の島原城

天草四郎率いる一揆軍が本渡城など天草支配の拠点を攻撃。本渡城内の公園化されているところには、その時の戦死者を弔う千人塚があります。

1589年の天正天草合戦ではキリシタンとともに戦い、1637年の島原の乱ではキリシタンから攻められるという、城の歴史のターニングポイントとなる時にはキリシタンの人々が密接に絡んでいたという城です。

発掘調査では16世紀中頃~後半と考えられる焼土面が確認されていて、土師器皿なども出土しているが、キリシタンに関連する遺構や遺物は出てこなかったとのこと。まだ発掘されていない場所が多いので、ぜひ全体像を解明していただきたい!

 

二ノ丸跡? 天草キリシタン館

本渡城の二の丸跡と推定される(本丸と想定される説もある)天草キリシタン館の駐車場に車を停めて散策開始です。

天草キリシタン館
天草キリシタン館

本渡城の城域の中では少し低めの丘陵に造られた博物館。島原・天草一揆を中心とした、キリシタンの歴史がわかる資料が展示されているそうです。武器、国指定重要文化財の天草四郎陣中旗、踏み絵、隠れキリシタンの使っていたであろうマリア観音など200点ものお宝が見られる!天草四郎の陣中旗は見たいぞ!

天草キリシタン館周辺は二ノ丸?本丸?と明確ではないが、この周辺では権力者しか所有できないという高級な青磁酒海壺(せいじしゅかいこ)の破片饗宴で使われただろう大量の土師器の皿が出土していて、城の重要な曲輪であったことは間違いないという。

残念ながら時間もないので今回は展示は見ずに退出。出丸と想定される殉教公園を目指す。

天草キリシタン館 天草四郎像
天草キリシタン館 天草四郎像

 

天草キリシタン館からはひたすら下って殉教公園方面に向かう。車道に沿って歩道があるので車の往来を気にせず桜の季節だと桜のトンネルの中を歩いていけます。天気は雨でしたが桜の時期だったので最高な散歩道でした。

写真は天草キリシタン館近くにあるキリシタン墓地

本渡城 キリシタン墓地
本渡城 キリシタン墓地

白いキリスト像の前に島原の乱前後に亡くなった信者たちが眠っています。

桜のトンネルを抜けるとそこは殉教公園。

 

出丸? 殉教公園

本渡城 殉教戦千人塚
殉教公園 殉教戦千人塚

 

本渡城 城址碑
本渡城 城址碑

本渡城の城址碑は殉教公園内にあります。この周辺に本渡城の説明看板があります。

明治時代の本渡城跡
明治時代の本渡城跡

おぉぉぉ。山城だ!

天草キリシタン館、殉教公園周辺は高台になって見下ろせるということ以外、城らしき雰囲気が味わえないので、やっと城に来た実感が。天草伊豆守碑より北まで登れば堀切が待っているけれど次の棚底城までも距離があるのでここで撤退しました。
時間があればやっぱり来たかった天草キリシタン館。そういえば今回の旅は資料館にはひとつも行ってなかった・・・。

 

天草キリシタン館

  • 住所:天草市船之尾町19-52(殉教公園内)
  • アクセス:
    熊本市から車で2時間/天草空港から車で15分
    JR「熊本駅」もしくは三角線「三角駅」からバス「本渡バスセンター」~徒歩20分
  • 営業時間:8:30~17:00(最終入館16:30)
    休館日:毎週火曜日(祝日の場合翌日以降の平日)、12/30~1/1
  • 駐車場:8台 バス3台

 

本渡城の居館跡? 明徳寺

本渡城の後に棚底城へ向かうはずだったのだけど、城仲間さんが近くに異人の地藏があるらしい」という情報をキャッチ!行って見ることに。

後から知った。明徳寺は本渡城の居館跡と推定される場所だった!

車を停めていた天草キリシタン館から車で5分。大雨の中、明徳寺へ到着。

明徳寺 三門
明徳寺 三門

雨がすごいことになっていました。写真にもうつりこんでいるほどの大雨。

明徳寺は正保2年(1645年)に天草の初代代官であった鈴木重成によって建立されました。島原の乱後、民衆の心を静めるために作られた寺。

※鈴木重成については富岡城編へ

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本渡城との関わりについて

本渡城の城域が殉教公園の千人塚から広域(天草伊豆守碑を中心に明徳寺周辺や天草高校まで)だったと仮定すると、妙徳寺は居館跡だったという説や、ここが二ノ丸だったという説もあるのですが、詳細はわかっていません。
明徳寺のあった曲輪が二ノ丸というなら本丸は惣陣山???
当時は明徳寺の東側は海だったけど中世以前の想定海岸線を見ると平地はわりとあって、港や町が作れることを考えると明徳寺の曲輪には居館を置きたいなぁ。そして惣陣山は最後の最後の最終拠点、詰めの城とする。と個人的には思います。

 

明徳寺 天草市指定文化財「山門」

明徳寺の山門は天草市の指定文化財になっていて、案内板によると山門の「双聯(そうれん)」には下記のように書かれているそうです。

※双聯・・・山門の両側に黒地に金で書かれている文言

~キリスト教に替わって、仏教で天草を再建しようとした先陣を称えており・・・~

明徳寺山門 案内板より

「人心を安定させるため」ということで建てられましたが、キリスト教から仏教へ改宗促進という意図も強かったということがわかります。

 

明徳寺 本堂
明徳寺 本堂

立派な本堂。本堂の脇にある駐車場に車を停めて散策開始。

見どころ:石段の「十字」を探せ!

明徳寺の石段には「十字」が刻まれているという。これは「十字架」を模していてキリシタン達への「踏み絵」と同じ意味合いだったと言われています。
無理やり改修させられて、自分の心の中だけで持っていた信仰を子の石段を一番下から登らされる。そしてその石段には十字架が刻まれている。いやだろうなぁ・・・。

雨の中を石段の「十字」を探す!

明徳寺 長い石段
明徳寺 長い石段

見つけられなかった!!!

「十字」がどこにどのように刻まれていたのかも知らずに行ったので、よくわからないうちに終わりました・・・。事前に調べて行けばよかった。
それにしても石段長いなっ!

 

見どころ:異人の地藏は石段の途中にあった!

「地藏」ということだから、小さいものだろうと下ばかり見て探していたんだけど、こんなに大きかったのね!

明徳寺 異人地藏
明徳寺 異人地藏を見つけた!
明徳寺 異人地藏
明徳寺 異人地藏

キリスト教を否定しているはずなのにその姿はまるで異人。髪は坊主ではなく短髪、目鼻立ちがはっきりして彫りも深い。この顔は日本人とはいえないですよね。
「異人でさえ改宗して仏門に入った」と思わせたかったのかもしれませんね。

 

明徳寺

  • 住所:熊本県天草市本渡町本戸馬場1148
  • アクセス:
    熊本市から車で2時間/天草空港から車で15分
    天草本渡市街地循環バス「のってみゅうかー」左回り 天草市役所行き 馬場バス停からすぐ
  • 駐車場:5台

かつてルイス・フロイス「日本史」において「本渡の城はドン・ジョアンの城(河内浦城)に次いで天草領では最も堅固な城で・・・」と記しているという。本渡城はまだまだわからないことが多いですが、この記述からもそれなりの規模だったのでしょう。全容を知りたいところです。

本渡城探索終了!次の目的地へ向かいます。

本渡城の歴史や基本情報の詳細はこちらをどうぞ!

 

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