島原・天草の城めぐり。2日目は富岡城、久玉城と続いて、少し北上して河内浦城までやってきました。
河内浦城とは

「河内浦城跡資料展示館」のある「愛夢里」のところにある案内図より。
河内浦城は天草五人衆筆頭の天草氏の居城。のちに唐津藩寺沢氏の支城となりました。整備された公園内には3つの曲輪と土塁・堀切がある。発掘調査によって掘立柱建物や柵の跡と瓦が出土しています。
向かいの山も「城山」と呼ばれ、下田城がありますが、当時は2つの城がセットになって1つの城を構成していました。
宣教師ルイス・フロイスの「日本史」には「天草氏の領内には35の村落と4つの城があり、かの殿の主な居宅は河内浦という地にあり」と書かれています。河内浦城だけだと「天草氏の居城」にしては狭い?と思われるけれど、下田城も含めて1つと考えられていたのであれば納得です。

河内浦城の案内図より。
上が北で遊歩道から歩いてきたところ。堀切があって郭①に入る。まっすぐ南に下ると帯曲輪があり、そこから館跡と推測される崇円寺に至る。河内浦城は館跡と詰めの城から成り立つ城だったようです。
河内浦城 縄張図

河浦町文化財調査報告第2集 河内浦城跡IIより
河内浦城 登城口
天草市総合交流施設 「愛夢里」の駐車場に車を停めてさっそく河内浦城へ。城門がお出迎えしてくれます。

遊歩道が整備されているので最初の曲輪までは10分もかからず着きます。

ちょっとした展望台エリアがあり、その先に竪堀が続く・・・はず。

おそらくこれが竪堀だろうとあたりをつけたうちの1つ。案内図によるとこの遊歩道には2本竪堀があるようだ。

郭①
郭のひとつに到着。堀切①を越えると縄張図にもある郭①です。

尾根筋を削平している郭①は長細いけど幅は無い。上段(郭①-1)、下段(郭①-2)と分かれています。
写真の手前が物見櫓があった場所です。
発掘調査では郭①-1からは38個、郭①-2からは137個、合計175個の柱穴が検出されていて、物見櫓や建物遺構など5つの建物があったことがわかっていて、柵とともに復元されています。

一段下がった郭①-2。南端から振り返って見ているので奥が一段上がった郭①-1です。この郭の左側に帯曲輪が広がっています。
写真にも写っていますがだいぶ雨が強くなってきたのでさくっとまわることに。
帯曲輪

郭①を降りて帯曲輪へ。

ここから郭①の手前にある堀切を見に行くことに。
ここが見どころ! 郭①手前の堀切


うん。整備状況良好。わかりやすいですね。
雨が本降りになってきたのでここで撤退。遊歩道をそのまま降りて駐車場へ向かいます。
途中、崇円寺のお墓の脇を通るのだけど、「ここも城の城域っぽいよね」と話をしていたら、居館があったと推測されていると後から知って納得。遊歩道を降りて駐車場へ向かうと八角形の小さな建物があって中には出土品を展示しているようでしたがあまりの雨の強さに速攻車へ。これも見ておきたかった。
河内浦城 散策ログ

所要時間42分。歩いた距離は0.83km。見どころはコンパクトにまとまっていて、雨でも歩きやすかったです。
次は河内浦城の対岸にある下田城にとりあえず行ってみる。
島原城→丸尾城→日野江城→原城2日目
富岡城→世界遺産・キリシタン遺産めぐり(大江教会→崎津集落・崎津教会)→久玉城→河内浦城→下田城→小豆カフェでランチ→本渡城→明徳寺→金浜城→棚底城→リゾテラス天草