棚底城 三重堀と堀切はお見事!整備される前の「今」行くべき城! ~島原・天草の城めぐり(13)

曲輪IV

切岸を超えると横長に広がる曲輪に出る。棚底城の中では最も建物が建てやすそう。
発掘調査でも建物跡は曲輪I、曲輪IIに次ぐくらい検出されたということで、ちょうど中央に位置する曲輪であるとともにその役割も重要であったことは間違いない。だけどどんな建物があったかは具体的にはわからないようです。
棚底城のパンフにも記載があったけど、この曲輪からはベトナム製の陶磁器も出土しているということから、ここでは貴重品をお披露目する宴が催されたりしたのかなぁ。などと考えてみたり。っていうかベトナムと交易してたんか!?

棚底城 横に長い曲輪IV
横に長い曲輪IV

さらに15世紀後半から16世紀前半にかけての陶磁器で、熱を受けていたものがこの曲輪IVから出土したということで、記録に残る栖本氏との戦い以外にも棚底城が戦場となり、さらにこの曲輪IVが主戦場となったという裏付けにもなりました。

 

曲輪III

曲輪IIIは南面から東に向けて石積みがあるとのこと。以前に訪れた人の写真を見ると、このビニールシートの下に隠れて石積みが広がっていました。

棚底城 曲輪IIIへ
曲輪IIIへ

ビニールシートがかけられていない左側をよく見てみると、

石積みを発見!あるじゃーん。

この石積みの左に道ができているけど、農道を作るために南面隅の石垣が壊されて道が作られたそうだ。

 

棚底城 曲輪IIIから一段下の曲輪IVを振り返る
曲輪IIIから一段下の曲輪IVを振り返る

曲輪IIIは曲輪Iや曲輪IIと比べると建物跡の柱穴は少なく、常設というより臨時で建物が建てられたとみられています。

 

曲輪II へ

棚底城 曲輪IIIから曲輪IIへ
曲輪IIIから曲輪IIへ

曲輪IIIと曲輪IIの間に立ちはだかる切岸。これまた素敵な高低差

棚底城 曲輪IIへ
曲輪IIへ

この切岸の手前には尾根を断ち切るようにして堀切が検出されている。そして土橋状にぐるっとまわして曲輪IIに入るようにしている。
主郭部に近づくにつれ、曲輪との段差を明確にして切岸で成型する。そして右に左にとぐるっとまわして入らせる。後世に築かれた可能性もあるけれど、このままだったとしたら巧みだな。

棚底城 曲輪IIIから曲輪IIへ
曲輪IIIから曲輪IIへ

切岸の下から眺めると曲輪IIが高くなっているのがわかる。

棚底城 郭Iへ
曲輪IIから曲輪Iへ

発掘調査報告書によると、曲輪IIにには倉庫のほか、曲輪Iに匹敵するくらいのグレードの高い建物が建っていたようだ。

 

棚底城 一段高くなっているのが郭I
一段高くなっているのが曲輪Iです

 

見どころ 三重堀を探せ!

曲輪IIから曲輪Iに入る間の右側の藪の中に三重堀があります。が、曲輪IIからだと段差があるとしかわからない。

棚底城 三重堀の一部
三重堀の一部

三重堀というより、「三段堀」といったイメージだな。
静岡県の小山城の三重堀のようにあまり高低差がないところに3つ並んでいるのかと思ったのだけど、一段下がって横堀、一段下がって横堀、一段下がって横堀といった感じなので、上から見ると「段があるな」という程度しかわからん。
そして日没間近だったのでさらにわかりづらい。補正したけどこれが限界でした。

棚底城 三重堀
三重堀

段になっているところをよく見ると、掘り下がっていることが伝わるかな?

これはね、堀まで降りないとわからないな。
雨、足元が悪い、日没という三重苦だったので降りなかったのですが、次に来ることがあれば一段は降りたい。

そしていよいよ曲輪Iへ。

 

曲輪I

曲輪IIの東から北にある三重堀について確認したので曲輪Iへいざ。向かう。

棚底城 郭Iへ
曲輪Iへ

 

曲輪Iは4ブロックに分かれていて、写真奥が最も奥にある北側の高まり。

棚底城 郭I
曲輪I

その下に小さな一画があり、さらに城主の館「御館(おやかた)」があったと考えれられている最も広いエリア、そして御館とつながる舞台(お縁)跡と思われるような建物跡が検出されたエリアがあります。

棚底城 郭I 案内板
曲輪I 案内板

曲輪Iの南端からはきれいに列で並んだ柱列遺構が検出されていて、ここが舞台跡だったと考えられているのね。
館跡とみられる一画にはものすごい数の柱跡があることから、何度も建て直されたということがわかっています。発掘調査時の写真を見たけど歩くのも大変なくらいの穴だらけ!これでは建物の数や規模を特定するのは大変だわ。

麓の集落から曲輪Iまでは高低差がそこまであるわけでもないから、最頂部に館があったとしても不都合はあまり感じなかったのかもしれない。曲輪Iからは日常使いの陶磁器類のほか、茶器や天目茶碗など多くの食器が出土しているということで、最頂部で優雅に生活していたのかな。

案内版にもありますが、中世山城において山頂に生活基盤があったのは珍しく、さらに娯楽施設まであったというのはレアケース。城主である施主さんの意向が感じられて興味深いです。
個人的には舞台を作るぐらいなら、さらに庭もつくりたい!
庭があってもいいよね!?私なら舞台下の曲輪Iにつくりたい。

棚底城 郭I 上段から下段を眺める
曲輪I 上段から南端の下段を眺める

曲輪Iの奥(北側)の端に立って眺めると、手前がL字型になっていて最も高いエリア。最奥が舞台遺構があったというエリア、その間に館跡があったと考えられている。

 

見どころ 曲輪I 北西部の堀切

曲輪Iの奥の北西部には堀切があり、土橋でその先に抜けられるようになっています。

棚底城 曲輪Iの奥の土塁
曲輪Iの奥の土塁 三重堀のひとつと一緒に

曲輪Iから撮影。三重堀のひとつが写真の右側に写りこんでいるけど、本来は曲輪Iを半円状に囲んでいたようで、写真の左側は後世に農地として使われたようでフラットに整地されてしまったようです。

曲輪Iからだと木々が邪魔で堀切が見にくいので、曲輪IIに降りて撮影するとこうなります。

棚底城 曲輪Iの奥の堀切
曲輪Iの奥の堀切

曲輪IIまで下りると、土橋状に残された両サイドが切られているのがわかる。

土橋の奥はゆるやかに登りになっていて、この先は平場や堀切は無いそうだ。ここまでが城域で、ここから先は非常時の逃げ道となっていたと考えられています。山の中を登って尾根伝いに逃げていくのか、それとも途中で集落側へ降りるのか・・・?
棚底城のパンフレットによると、現在この道を進むとやや大回りをして南に抜け、上揚集落へ出られるようになっているようです。

棚底城 曲輪Iから曲輪IIが見える
曲輪Iから曲輪IIが丸見え!

曲輪IIから登ってきた時はゆるい上り坂だったので気づかなかったけど、けっこうな高低差だな!おかげで曲輪IIの様子が手に取るようにわかります。


これで棚底城の探索は終了。
曲輪が8つもあるものの、散策しやすく見どころも多い城でした。
残念ながらこの城は取ったり取られたりしましたが、決して安易に作られた城ではないです。
まだ三重堀まで降りていないし、北側に竪堀があったり、曲輪Vと曲輪IIIの南側にはまだ曲輪が連なっているようだし、まだまだ散策し甲斐がありそう。

史跡棚底城跡整備活用基本計画書によると、曲輪Iの舞台跡にデッキを設置して復元したり、曲輪IIに東屋を配置したり、曲輪Iの奥の土塁整備(復元)など整備計画が進められているそうです。土塁の復元をしてくれるのは嬉しいけれど、あんまりきれいにしすぎない程度に整備してくれると嬉しいな。

 

棚底城 散策ログ

棚底城 散策ログ
棚底城 散策ログ

アプリを起動させるのを忘れてしまい途中からだったのだけど、写真の撮影時間から散策時間は40分。
雨が降っていたので三重堀や曲輪Iの奥の堀切までは降りなかったけど、そこまでいって写真を撮ったらたぶん1時間30分コースだな。

 

棚底城 国指定史跡

  • 住所:熊本県天草市倉岳町棚底1529
  • アクセス:
    熊本駅から車で120分
    JR熊本駅から九州産交バス 「棚底」バス停から徒歩約10分
  • 駐車場:城址碑のところに数台停めれるスペースあり
  • 便利リンク
    天草市ホームページ 棚底城パンフレット
    天草市文化財調査報告書

 

番外編 棚底集落の暴風石垣

棚底城の周辺には石垣が暴風のために築かれています。これがまた城壁みたいで独特の良い味わいなのです。

棚底集落 暴風石垣
棚底集落 暴風石垣

100箇所ほどが現存していて、棚底城へ向かう間にも何件か見ることができました。
棚底城に行くならよく周りを観察してみてください!

 

ブログランキング参加中
更新の励みになります!ぽちっとひと押しで応援お願いします!

 

棚底城
最新情報をチェックしよう!