八代城① 高麗門、頬当御門を見るために東側の表桝形から入るべし! ~島原・天草の城めぐり(18)

2021年3月に行った島原・天草の城めぐり。麦島城の天守台跡の次には八代城へ。今回の旅では初の平城で近世城郭だ。
まずは続100名城のスタンプを押しに八代市立未来の森ミュージアムへ向かいました。

八代城とは

八代城の歴史を紐解くと3つの八代城にたどりつきます。

  1. 初代八代城 古麓城(1334~1588年)
    南北朝時代から戦国時代 名和氏と相良氏によって築かれ、整備された山城。麦島城の築城により廃城。
  2. 2代目八代城 麦島城(1558~1619年)
    八代の領主となったキリシタン大名・小西行長が築城。1619年の大地震で倒壊。八代城に移る。
  3. 3代目八代城 松江城(1622~1870年)
    加藤正方が麦島城に替わって築城。

八代城は加藤氏が熊本城の支城として築いた城。
その前には織豊期に小西氏が築いた宇土城の支城の麦島城がありました。元和元年(1615年)に一国一城令が発布されても肥後国は熊本城のほかに麦島城を持つこと、一国二城が特別に認められていました。
さらにさかのぼると南北朝時代に名和氏が築いた古麓城があり、それぞれ次の城を造って廃城と変遷していきました。
八代城は元和8年(1622年)に建てられましたが、寛永9年(1632年)には加藤氏が改易になり、細川氏が肥後へ入国。八代城には細川忠興が入城し、以来、本丸御殿から出火して火災にあっても、本丸と二ノ丸の石垣がはらんで修復したりするなどして、明治3年(1870年)に廃城となるまで存続しました。

麦島城についてはこちらをどうぞ!

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右縞状 天守台跡

八代城 縄張図

八代城 縄張図
八代城 縄張図

「なるほど!八代城」解説パンフレットより切り出し

縄張は高石垣に囲まれた本丸を中心に曲輪と水堀がぐるっと囲む輪郭式東に二ノ丸、南西に三ノ丸、北に北の丸があり、北東に出丸がありました。現在は内堀以外は埋め立てられ、本丸のみに当時の面影を留めています。縄張は麦島城の設計プランを引き継いでいると考えられています。なるほど、本丸を中心に東から南にかけて二ノ丸、南から西にかけて三ノ丸。麦島城は以上で終わるけど八代城はさらに北側に北の丸がある。
本丸には四層の大天守と土塀囲まれた通路でつながった二層の小天守があり、連結式だったことが「肥後国八代城廻絵図」からもわかり、大天守には穴蔵跡もあることから四層五階であったとされています。

 

続100名城スタンプ置き場は?

続100名城スタンプは八代市立博物館未来の森ミュージアムに置いてあります。八代城からは少し離れているので要注意!
ワタシが行った2021年3月末は警備室でスタンプは押せましたが、日本城郭協会のサイトを確認見ると、2021年8月現在、押印できなくなっているそうです。コロナ期は状況によって変わるので日本城郭協会のスタンプ設置場所変更のお知らせを確認してください。

 

八代城へ

八代城の本丸へ向かう前に続100名城スタンプを押すために近代的な建物の未来の森ミュージアムへ。
この日も雨だったので警備室でさっとスタンプを押して守衛さんから八代城のパンフレットをもらって出てきちましたが、屋外の展示スペースに八代城の総構(そうがまえ)の石垣の隅角部が移設復元されているそうです。野面積みの石垣には11種類の刻印があるそうなので、カウントしてみては?

 

本丸

八代城は本丸と内堀以外は埋め立てられて宅地化されています。
二ノ丸跡に建つ市役所の駐車場に車を停めていざ、八代城へ。ここは北御門櫓跡で、八代城の絵図にも堀に突き出している一画があり、まさにその長方形の出っ張りが駐車場になっているのです。

まずは二ノ丸から続く欄干橋を目指します。

八代城 本丸石垣
八代城 本丸石垣

立派な石垣ですこと。

八代城 くまもんが解説してくれます
くまもんが解説してくれます

くまもんが解説してくれている!と思ったらくまもんの解説は私が見た限りではこの1か所だけでした。街中にあるのかな。
解説には「三階櫓」と書いてあったけど、この場所にあったわけではなく、対岸の本丸の北東の隅なので(写真でいう見切れた先のもっと右側)違う気がする。

八代城 刻印がついた石
刻印がついた石

刻印がついた石も置かれています。

八代城 本丸欄干橋へ
八代城 本丸欄干橋へ

本丸の欄干橋が見えてきました。
欄干橋はかつては木橋でしたが現在はコンクリート製になっています。擬宝珠は1つだけ当時のものが残されていて、八代城の竣工時の元号「元和八年(1622年)二月吉日」の印が刻まれているということだけど、調べなかったー!

 

高麗門跡

八代城 本丸欄干橋と高麗門跡
本丸欄干橋と高麗門跡

欄干橋の先には高麗門があり、内桝形になっている通称「表桝形」を入り、右に曲がると頬当御門がありました。虎口の石垣、見事だな!

八代城 表桝形虎口
表桝形虎口 高麗門

高麗門を通過しますよー。

八代城 欄干橋を眺める
欄干橋を眺める

桝形内から欄干橋を見るとよく狙えます。石垣の土塀に狭間(さま)があったとしたら狙いはこんな感じ?

 

八代城 高麗門跡
高麗門跡

高麗門の桝形側から見るとこんな感じ。高麗門跡はそこまで幅広ではないけれど、右折した先の頬当御門跡はさすがに広かった!

頬当御門跡

頬当御門跡
頬当御門跡

桝形の中は広く、右側の突き出た石垣の上に頬当御門櫓が建ち、櫓とつながってこの角を右にまわるところに頬当御門が建っていました。

八代城 頬当御門櫓跡
頬当御門櫓跡
八代城 頬当御門跡
頬当御門跡
頬当御門櫓の石垣
頬当御門櫓の石垣

いやはや立派な石垣です。ほれぼれするね。

 

磨櫓跡

高麗門の左側の突き出た石垣の上には磨櫓(みがきやぐら)がありました。欄干橋側に突き出ていて、欄干橋を渡ってくる人に対し、世親がかかる良い位置取り。

八代城 磨櫓跡
磨櫓跡

 


さて、表桝形を抜けて本丸の散策開始。頬当御門をくぐり抜けたつもりで周りを見渡すと石垣に囲まれていて威圧感半端ないこと。

 

頬当御門から本丸に入ると神社の建物にぶつかったのでとりあえず左折して宝形櫓跡の方向へ。

八代城 本丸南東にある土俵
本丸南東にある土俵

位置的には写真奥の角の所に宝形櫓があったと思われる。
土俵があるのは謎なんだけど、調べても城跡と直接の関係はなさそうなのでスルー。それよりも奥の石垣と土塁の境界が気になるけど雨で足元も悪いので割愛。あの右側の石垣の上に三十間櫓があったはず。

 

八代城 本丸 横櫓跡
本丸 横櫓跡

そして三十間櫓があった石垣の先には横櫓があったはず。写真の右側の隅のところです。
案内が特に無いので、デアゴスティーニの週刊日本の城の復元模型図を頼りに当てはめてます。

八代城 本丸南側石垣
本丸南側石垣

本丸南側石垣を歩く。雨だったから座れないけど、このベンチに座ってお昼食べながら桜見物したい。
写真には城への入口になる橋がかかっているけど、これは後世に明治8年(1875年)に八代宮が建てられたときに参道工事で作られたものらしい。

八代宮 参道
八代宮 参道

石垣の上から見下ろすと八代宮の参道が。

八代宮 参道
八代宮 参道

ほうほう。ここの石垣を壊して堀に橋を架け、参道としたのね。

八代城 城址碑
城址碑

参道脇には八代城の城址碑が。おぉ。石垣の断面図だぁ。

そして八代宮は雨にもかかわらず、表桝形虎口側よりも参拝客で混んでいました。

 

八代宮の裏側にまわり、西側の石垣に沿って歩くと小天守台大天守台が見えてきた!

八代城 小天守台と大天守台
小天守台と大天守台

小天守、大天守跡編に続きます。

 

八代城 国指定史跡

  • 住所:熊本県八代市松江城町7-34
  • アクセス:JR八代駅からバスで約15分 「八代宮前」バス停下車
  • 駐車場:あり

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