富岡城 島原の乱を乗り越えた城 ~島原・天草の城めぐり(7)

2021年3月に行った島原・天草の城めぐり。2日目は口之津港からフェリーに乗って鬼池港へ。そこから富岡城へ向かいます。
前日に日野江城を三ノ丸までまわれず、日の出前にホテルを出て雨の中を日野江城を散策。その後に口之津港へ向かうという城旅ならではの弾丸スケジュール
3日目は島原から天草をまわり、八代まで一気に旅しました!

口之津港から鬼池港へ

口之津港は雲仙温泉への玄関口。雲仙、島原は長崎県とはいえ長崎からのアクセスはかえって遠く、熊本から天草をドライブして天草からフェリーで口之津港に入ったほうが断然おすすめなのです。

口之津港は今回の旅では天草へ渡るための単なる手段と考えていたけど、実は今回の旅のテーマでは外せない場所。
島原半島の南端にある口之津港は、そもそも南蛮貿易のために開かれました。
当時の口之津の領主は肥前の戦国大名でありキリシタンでもあった有馬義貞(よしさだ)。日本初のキリシタン大名となった大村純忠の実兄にあたります。この有馬氏の拠点がかつて有馬経澄が建保年間(1213-19)に築いた日野江城。・・・と話がつながっていくのです。

 

口之津港
口之津港

朝、7:45発のフェリーに乗るためにスタンバイ。

島原から天草へ
島原から天草へ

写真左上の赤い「現在地」マークが口之津港。天草の鬼池港までは30分の船旅です。
コロナのために換気をしているのか?それとも朝早いからか、3月とはいえ冷房が入っているかのように寒く、凍えそうでした。地元の方と思われる人たちには毛布を持ち込んで寝ている人も。賢い。

口之津港から海沿いを走り、富岡城へ。
富岡城は砂州でつながった富岡半島の丘陵に築かれた平山城。なかなかおもしろい地形をしています。

富岡城 周辺マップ
富岡城 周辺マップ

 

富岡城 案内図

富岡城 百間石垣 案内図
富岡城 百間石垣 案内図

口之津港から富岡城は大手門を通過した後に袋池を眺めながら百間石垣の上を通って入っていきます。

日本古城絵図 西海道之部 肥前甘草富岡城図
日本古城絵図 西海道之部 肥前甘草富岡城図

国立国会図書館デジタルコレクションの富岡城図。「肥後」ではなく「肥前」と書かれているので、資料名のタイトルはまちがっていません。建物の大きさや塀の長さ、石垣の高さなどいたるところの寸法が詳細に書き込まれていることから、実測図と考えられているそうな。しかも発掘調査結果と寸法が一致したということで、富岡城の復元事業はこの絵図をもとに進められています。
百閒土手もちゃんと記載されている!

山頂の西から北に向かって本丸、二ノ丸、二ノ丸の先に出丸と一直線に曲輪が並び、東側には大手から二ノ丸の間に三ノ丸、さらにその下に米蔵が置かれています。

 

富岡城について

関ケ原合戦の論功行賞で寺沢広高が肥前唐津の領地の肥後天草領4万石を加増されたことから富岡城の歴史は始まります。肥前唐津からは遠く、飛び地であるこの天草を治めるために寺沢広高は1602年(慶長7年)に富岡城を築城開始。1605年(慶長10年)に完成しました。

築城から35年後に島原の乱がおこり、その後に領主となった築城名人とも称される山崎家治による修築と改修を経て、最後は1670年(寛文10年)に戸田忠昌によって廃城とされ、その役割を終えました。この間わずか68年。島原の乱を機に拡張されていったわけですが、まずは富岡城を語るには切っても切れない島原の乱との関係について整理しておきます。

 

島原の乱と富岡城

1637年(寛永14年)にキリシタン弾圧と圧制に抵抗する民衆が島原で一揆をおこすと天草でも一揆民が蜂起。富岡城の城代だった三宅藤兵衛が本渡で討ち死に。一揆軍は富岡城にも迫ってくることに。富岡城兵約3,000人。対する一揆軍は10,000人。必死の守りによって落城は免れました。
その後一揆軍は海を渡り、原城に立て籠もる島原の一揆軍と合流し、籠城の末に幕府軍の総攻撃を受けて島原の乱は集結します。
島原の乱後、キリシタン弾圧を行っていた寺沢竪高(かたたか 寺沢広高の嫡子)は失政の責任を問われて広高の時代に手に入れた天草領4万石は没収。天草は山崎家治に与えられることに。築城の名手とも言われた山崎家治は富岡城の修築と縄張拡大を行いました。
その後、天領になったり私領になったりと二転三転しながら最後は城の有用性とコストカットから戸田忠昌によって廃城になったのが1670年。使用されていたのは68年という短い間でした。

 

富岡城の変遷

天草本島から砂州を渡った富岡半島に築かれた富岡城。そもそもこんな突端に城を築いたかというと、肥後はもともと在地の領主の勢力が強く、彼らに対する防衛拠点を兼ね備える必要がありました

本島と地続きの南側には袋池が堀の役割を果たし、東、北、西は海に囲まれ、比較的侵入しやすい東は曲崎が海からの侵入を妨げる防波堤の役割を果たし、ここから上陸しようとしても足場の悪い砂場だったりと、まさに天然の要害。撃って出るにはもちろん、守るにも良い立地です。

 

巴湾と百間土手と富岡城
巴湾と百間土手と富岡城 百間土手の奥に袋池がある

ざっくりと城の変遷を分けると68年の間にその役割を変えて短い期間で変わっていったことがわかります。

  • 寺沢氏の時代 在地の領主に対抗する役割も兼ねる富岡城を築城。寺沢氏時代の富岡城の城域は袋池の北側のみ 現在の百間土手に当たる部分の先に追手門があった
  • 山崎家治時代 島原の乱後の1639年に改修と拡張を行う。この頃には鎖国体制も強化され、幕府としては国防の最前線基地の意味合いも持たせていたと思われる。
    縄張を拡張するとともに本島から砂州を渡った富岡半島の入口に桝形虎口のある大手門を築く。入江に百間土手を築いて海から遮断。内堀と貯水池を兼ねた袋池を整備。1641年に改修完了したが家治は讃岐の丸亀城へ移ることに。
  • 鈴木重成時代 天領となり鈴木重成が代官を務める。重成は城には入らず城下に居住。富岡城は熊本版が警護にあたった。
  • 戸田忠昌時代 富岡城を維持するのはコスト高と考え、取り壊す(「戸田の破城」)。三の丸は富岡陣屋として使われ、本丸と二ノ丸を破壊。その後、富岡城の三ノ丸には代官所が置かれるなどして明治初期まで天草を治めることになる。

そして現在は三ノ丸以外は公園化されていて気軽に散策できりょうになり、本丸の多聞櫓が外観復元されて「富岡ビジターセンター」となっています。

富岡城の変遷が頭に入ったところで、さっそく探検記です。

 

大手門跡

富岡半島に入るとまず最初の見どころは大手門跡。大阪城の石垣修復を担当した山崎家治が縄張の拡張に伴い、城下町側からの攻撃に備えて築きました。

富岡城 大手門跡
富岡城 復元された大手門跡

赤いラインは本来の石垣があった場所。案内板によると昭和の時代に大手門の東側の石垣を崩し、事務所の建物が建っていたようですがその役割を終えたのちは空き地になっていたそうです。赤いラインの通り復元してほしいという思いもありますがすでに壊しちゃった後だし、このおかげで駐車スペースも確保できて、写真もたくさん撮れたので、まぁよいか。

案内板の脇に車も数台停められるようになっているので、富岡城を訪れるなら絶対立ち寄ってほしいスポットです!

富岡城 大手門跡
大手門跡の右側の石垣も一部復元されている

 

富岡城 大手門 復元図
大手門 復元図

島原の乱後の山崎家治時代に城下から簡単に侵入できないように、三丁目と二丁目の間にを設け、大手門を築きました。

富岡城 大手門跡
大手門跡 手前には堀が築かれた

この先が城下。現在も大手門の先は1本、まっすぐな道が通っていて突き当って喰い違ったあとに百間土手に入っていきます。

 

 

富岡城 大手門の先 城外を眺める
大手門の先 城外を眺める

大手門の先の一本道はメインストリートだったんでしょうね。江戸時代後期の歴史家である頼山陽が滞在した「泉屋」という旅館があったのがこのメインストリート沿いで、天保年間の富岡の大火で焼失したものの、昭和になってその跡地に「頼山陽先生宿泊之跡」が立てられています。

写真を一通り撮ったら車に戻り百間土手へ向かいます。

 

百間土手

百間土手には到着したのですが、どうしても土手の石垣が撮りたい!ということで海沿いの道に降りてきました。

富岡城 百間土手
海沿いの道から眺める百間土手が長すぎる件

百間土手が収まらない。「百間」と名付けたくなる気がよくわかる。

富岡城 海沿いの道から眺める百間土手
海沿いの道から眺める百間土手と富岡城

広角でないとこの位置からは入りきらない。漆喰の塀があることで土手の存在が際立っている。

富岡城 百間土手
百間土手

 

富岡城 鈴木重成代官像
鈴木重成代官像が見える

鈴木重成像があった付近が追手門だったそうです。

百間土手の石垣の撮影を堪能したら元の道へ戻り、百間土手から先の富岡城へ向かいます。

百間土手と富岡城
百間土手と富岡城

 

富岡城 左に袋池、右に百間土手の石垣
左に袋池、右に百間土手の石垣

この位置からだと左手に袋池、右手に百間土手の石垣が撮影できます。百間土手の石垣、間近で見るとなおさら美しい。

袋池は山崎家治によって整備されましたが、島原の乱を教訓としているそうです。百間土手で海からの侵入を防ぐ、そしてせき止められた袋池は内堀の役割とともに貯水池も兼ねていて、これは島原の乱で籠城戦を戦った時に飲み水の確保が最重要課題であったことからによります。まわりは海。真水の確保に苦労したんですね。

 

三度の改修を経た二ノ丸の高石垣を見に行く

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