- 2022年9月12日
- 2023年10月17日
飯山城 移築先で生き続ける移築門がある城
2015年6月。東京から日帰りで春日山城に行った帰りに立ち寄った長野県の飯山城。 信濃の重要拠点であり、上杉謙信は川中島の戦いで越後から信濃へ入る際に出撃地点とした城です。ちょっと立ち寄っただけなのですが、2021年の信州オフ会の際には飯山城から移築された建造物や関連した陣屋をまわりました。現在の飯 […]
2015年6月。東京から日帰りで春日山城に行った帰りに立ち寄った長野県の飯山城。 信濃の重要拠点であり、上杉謙信は川中島の戦いで越後から信濃へ入る際に出撃地点とした城です。ちょっと立ち寄っただけなのですが、2021年の信州オフ会の際には飯山城から移築された建造物や関連した陣屋をまわりました。現在の飯 […]
2021年10月2日の霞城に行きたい城メグラーたちの信州オフ会。日は暮れてきたけれど、中野市にある内堀館に立ち寄りました。かつては飯山藩の本陣にもなったという格式の高い館跡です。 内堀館とは 上今井集落にある方形居館。土塁と水堀の残りが良く、水堀は馬蹄型に築かれている。江戸時代後半には飯山藩の本陣に […]
霞城に行きたい人たちの信州オフ会。最後に訪れたのは高梨館。土塁と堀に囲まれた方形居館です。 高梨館とは 高梨館は北信濃の有力国人領主であった高梨氏が拠点とした館。館の背後の標高約688mの山に鴨ヶ嶽城(かもがたけじょう)という詰城を持つ。 武田信玄が信州に侵攻する以前は村上、高梨 […]
霞城に行きたい城メグラーたちの信州オフ会。中野まで北上してきてたどり着いたのが中野県庁跡。幕藩制時代には中野陣屋が置かれていました。 中野陣屋とは 元和2年(1616年)に幕府の天領である中野に陣屋が置かれ、代官が支配した。その後に県庁が建てられたため陣屋としての建物は残っていな […]
2021年10月。長野県の霞城の石垣を見に行き、その周辺の城をめぐりました。霞城、須坂陣屋ときて、次は須田城です。 須坂陣屋の詰所の屋根部分が臥竜公園内の博物館そばにあって、見にきたのだけど、この臥竜公園に須田城があるんです。 須田城とは 臥竜山の南西の城山にある城 […]
2021年10月。長野県の霞城に行った後に須坂陣屋に立ち寄りました。陣屋としての建物は残っていないけれど、石垣にその名残があります。また、場所を変えて移築門や建物の一部が残されているんです。 須坂陣屋とは 須坂陣屋とは、長野県須坂市にあった須坂藩の藩庁が置かれた陣屋のこと。 元和 […]
2011年10月に行った霞城。平たい尖ったアンバランスな石が、絶妙に積まれていて、石門口から登った先の虎口や三の曲輪で、もはやお腹いっぱいな感じだったけど、まだまだ見どころ満載でした。 二ノ曲輪 霞城の三ノ曲輪とニの曲輪は明確な境目が無いうえに、曲輪に名付けられた主郭、ニノ曲輪、 […]
2021年11月。長野のお仲間さんと一緒に信州へ。「この城は絶対見ておいたほうがいい!」という、お仲間さんの絶賛おすすめの霞城に行ってきました。 いやぁ、すごかった。 林大城、林小城で信州の城の特徴は見ていたはずだけど、林城よりも平たくて鋭い石がぶっ刺さったように積まれていました! [outline […]
天正壬午の乱関連の城で新府城、能見城、若神子城ときて、最後は笹尾塁をご紹介。 一の郭から新府城がある七里岩台地が伸びているのが見えるんです。 あぁ、天正壬午の乱のときには、ここ(笹尾塁)には北条が詰めていて、この先には徳川が陣取っていた能見城や新府城があったのね。と思うと感慨深い。 とにかく景色が良 […]
天正壬午の乱関連の城で新府城、能見城ときたので、もうひとつ重要な城である若神子城をとりあげます。 能見城の長塁は、北条氏直が在陣したこの若神子城に対して築かれたという説もあるくらい、能見城とは目と鼻の先にある城です。 新府城があった七里岩台地の先に富士山が眺められるという絶景スポットでもあるんです! […]
山梨県の城ということでこれまで取り上げたのが新府城、隠岐殿遺跡。 ・・・ときたら次はこの城を推したい。新府城とともに天正壬午の乱を語る上で重要、でも謎が多い能見城です。 能見城の基本情報はこちらをどうぞ! 能見城とは 新府城の北側の守りとして武田勝頼によって築かれたとされるが詳細 […]
2021年4月の新府城 桃源郷オフの続きです。この日はさらにお楽しみがありました。 新府城と合わせて行きたいと思っていた隠岐殿遺跡にも行ってきました! 隠岐殿遺跡は、真田昌幸パッパの弟であり真田信繁の叔父である真田信尹の屋敷跡ではないか?という説があります。 そしてこの隠岐殿遺跡がまた、桃源郷だった […]