2021年10月。長野県の霞城に行った後に須坂陣屋に立ち寄りました。陣屋としての建物は残っていないけれど、石垣にその名残があります。また、場所を変えて移築門や建物の一部が残されているんです。
須坂陣屋とは
須坂陣屋とは、長野県須坂市にあった須坂藩の藩庁が置かれた陣屋のこと。
元和3年(1617年)に築かれ、版籍奉還後の明治5年(1872年)に廃城となりました。
須坂藩の歴史は、遡ると織田信長や豊臣秀吉に仕えた堀秀政の家老だった堀直政から始まります。堀直政はもともとは奥田姓でしたが、秀政より「堀」姓を与えられました。須坂陣屋の館跡に「奥田神社」が建っているのもそれが由来なんでしょうね。その堀直政の四男であった堀直重が須坂藩の初代藩主となりました。
陣屋の建物は須坂小学校と奥田神社の境内付近に築かれていていたということですが、小学校の北側に石垣の名残があります。残ったごく一部の建物はそれぞれ移築され、中には「屋根のみ」というようなパーツで残っているものもあります。
須坂陣屋へ
須坂陣屋の近くを歩くと小学校の脇の車も入れないような細い通りに須坂陣屋の名残と思われる石垣があります。
須坂陣屋の名残の石垣
石垣の向かって左は荒く、右側は整然と積まれている。
屈曲した石垣がくぅ~。 いかにも当時の石垣っぽいけどよくわからず。
右側の石垣の下は水路になっているし、この出っ張ったところの下の部分は暗渠???
石垣の右側はきれいに積まれすぎているので後世の積みなおしかな。
ポイントはこの石垣の横の狭い路地。ちょっと失礼して・・・
路地沿いの石垣とはまったく風合いが異なった石垣が!
小学校と関連施設を建てる際に改変が入っていると思われるけれど、江戸時代の石垣かもしれないですね。
館跡 (奥田神社)
先程の石垣跡から歩いてすぐのところにある奥田神社は須坂陣屋の館跡です。
須坂藩は1万石程度の小大名。城ではなく館を置いて陣屋としていました。
奥田神社の案内板によると、敷地は奥田神社と須坂小学校だけでなく、須坂東高校前の通りまでを占めていたそうな。
詰所や藩主の館のほかに馬場、評定所などの基本セットのほかに柔術場、剣術場、さらに家臣の長屋もあったようです。
境内にある案内を見ると、須坂藩の館の跡には明治初期に須坂町役場が建設されたそうな。刻まれているのは明治初期の須坂町役場か?明治初期の須坂町役場。見てみたかったぞ。
奥田神社は一応、方形ですが、これが案内板にあった屋敷配置図のどこに当たるかはわからず。教えて!須坂に詳しい人!
時の鐘 「鐘楼」
奥田神社のすぐそばには鐘楼があるのだけど、釣鐘は第二次世界大戦の金属供出で無くなってしまったものの、部材から判断して、鐘楼の建物は建設当初のものと考えられています。
案内板によるとこの鐘楼にはこのように伝えられています。
須坂藩時の鐘は、第八代藩主堀 直郷公が天明二年(1782)に造り、第九代藩主堀 直皓(ほりなおてる)公が鋳なおして、鐘楼を館の北西隅の現在の浮世小路入口付近に建てたと伝えられています。大正初年、鐘楼は現在地に移されましたが、部材の程度から、建設当初のものと考えられます。
時の鐘の「鐘楼」案内板より
脇奥付門 (遠藤酒造場)
鐘楼から歩いてすぐのところに歴史がありそうな長屋門のような建物があります。
大手門へ続く道にある脇奥付門と推定されていて、物見の建物があったそうで、10代藩主直興夫人であった寛寿院と12代直武の夫人であった寛栄院の居間を兼ねていたという。
現在はお店になっているだけど、遠藤酒造場は元治元年(1864年)に須坂藩御用達の日本酒の蔵元として創業しました。
中にちょっと入ってみた。これが1万石の家禄を持つ陣屋の長屋門か、と大きさを体感。遠藤酒造場には「日本一小さな蔵元」と掲げられていたけれど、それでもコンクールで金賞を取ったりと名店で、30種類の日本酒の試飲もできるそうです。
切妻造となっている門は瓦が葺かれていて、瓦には堀家の家紋の亀甲卍が刻まれている。
そして屋根の上には商売繁盛の神様である大黒様が!ご利益ありそう。
(もちろん大黒様は当時のものではないと思う。)
詰所の屋根・切妻部分 (臥竜公園)
須坂陣屋から少し南に移動し、須坂市動物園がある臥竜公園へ。公園内の須坂市立博物館のそばには須坂藩の「詰所」に使われていた切妻部分が残されています。
その詰所がどこにあったかというと、奥田神社付近にあったということなので、須坂陣屋の館図で調べてみると、おそらくここだろうというのを見つけた。
Googleマップでは「旧須坂陣屋 移築書院玄関」という表記になっているのだけど、須坂陣屋の館図に「詰所」という建物があるので、「詰所」で統一したいと思う。
案内板によると、詰所の建物は明治以降に旧消防署北側に移築したそうです。
藩政時代には、ふだんは政治を行う場所として使われ、有事の際には藩士の待機所として利用されたと考えられているそうな。
建物の大きさは縦6間(約11m)、横15間(約27m)で移転後遠藤酒店が酒蔵などとして利用していたもの
臥竜公園 案内板より
うん。大きさとしては詰所くらいの建物の屋根と言われても違和感ないですな。
切妻には唐草文様。
鬼瓦には須坂藩の家紋である「亀甲卍」が施されているそうなのだが、唐草模様???屋ねんの三角の下の木で組まれているところか?「唐草」といえば、唐草???
住所:長野県須坂市臥竜2丁目4−1
アクセス:
長野電鉄須坂駅を下車したらバスで約10分。「臥竜公園入口」バス停下車したら徒歩5分
須坂市立博物館を目指してください。※須坂市立博物館の正面にある瓦屋根は別のものです!
博物館の正面向かって右側に回り込んでください!
この臥竜公園。詰所の切妻を見に来ただけでなく、ここもまた城跡だったのです。
須田古城編に続く。