須田城 須坂の町を見守る13代藩主の霊廟を参拝する

2021年10月。長野県の霞城の石垣を見に行き、その周辺の城をめぐりました。霞城須坂陣屋ときて、次は須田城です。
須坂陣屋の詰所の屋根部分が臥竜公園内の博物館そばにあって、見にきたのだけど、この臥竜公園に須田城があるんです。

 

須田城とは

臥竜山の南西の城山にある城。城主は須田氏。須田氏は、平安時代から土着していた井上氏の分流。
案内板によると

本拠の城は、本郷にある大岩城とそのふもと、現在の蓮生寺の辺りと推定されています。

須田城 現地案内版より

とのことで、須田城は出城的な役割だったらしい。

須田氏は戦国時代には上杉方についていたが、慶長3年(1598年)に上杉氏が会津へ国替えするのに伴い、須田氏もついていくことに。須田城はその際に廃城になったと考えられている。

臥竜公園 ガイドマップ
臥竜公園 ガイドマップ

広い臥竜山公園の中の写真の赤丸部分に「須田城」とあるのだけど、縄張図は持っていないわ、ログは撮っていないわで良くわからず。今回は次に行くときの備忘録も兼ねての記録です。

「竜ヶ池」という大きな池があるのだけど、現地の案内板によるとこれは公園化するときに作られたようだ。

 

須田城へ

須坂市立博物館の横にある須坂陣屋の詰所の屋根を見た後、竜ヶ池を横目に見ながら歩く。訪れた10月は暑いくらいで家族連れでにぎわっていました。

臥竜公園 
竜ヶ池

須坂市動物園の脇からの山道を登る。
須坂市動物園といえば、相葉くんの永遠のライバル、カンガルーのハッチがいたところではないか!鍛え抜かれたような迫力のあるボディから人間のボクサーでも真っ青なパンチを繰り出す姿はすごかった!相葉くん、ここまで通ってたんだぁ。と、ひとり物思いにふける。

須田城 登城路
須田城 遊歩道入口

遊歩道の入口の看板。なんとざっくりした案内だ!
それに「塹壕」???

須田城 遊歩道
一列になって遊歩道をひたすら登る

入口の案内板で「須田城まで360m」と書いてあり、そんなに高い山でもないので余裕だと思っていたのだけど

「あずまや」までは遺構もないので短距離を早いペースで上がっていくのでかえって疲れる。

もちろん霞城のほうが道は険しかったのだけど、虎口の石積みとか登り石垣とか見どころ満載なのでそのたびにテンション上がっていたので、一気に登る須田城の遊歩道のほうがきつかった。

短距離走のように一気に登り、見晴らしのよい「あずまや」に到着。

ここからの眺めが格別だった。

須田城 "あずまや"からの眺め
須田城 ”あずまや”からの眺め

一気に登ってきて、ひと休みするのにちょうど良い位置にある。景色を撮影しながら小休止。

さらに向かう。

尾根に出たら平坦なところにたどりついたので、登り切った!と思ったらまだ急坂が待ち構えていた。人が写っているのでアップできないけれど、写真を見てもけっこうな傾斜角度だった

謎の石碑を横目にさらに登っていく。

 

主郭

主郭はかろうじて草が刈られている状態だったけど、公園化する際に手を入れているようで、よくわからない石だかコンクリートだかが意味ありげに置かれていてよくわからなかった。

須田城 主郭
須田城 主郭

 

須田城 案内版
須田城 案内版

そしてまた、超ざっくり案内看板現れる!

須田城 案内板
須田城 案内板

すごい概念図だな!!!

ちっともわからん!

須田城 主郭
須田城 主郭

兵舎1~2戸は作れそうな広さがありました。

尾根沿いをさらに進む。

須坂藩主 第13代 堀直虎公霊廟

須坂藩主であった堀氏の霊廟があるということで、山を少々下ったところにやってきた。
曲輪らしき少し開けたところに霊廟の建物がありました。

須田城 堀直虎公霊廟
須坂藩 第13代 堀直虎公霊廟

須坂藩はこの日に立ち寄った須坂藩陣屋に館を構えていて、明治4年(1871)に廃藩置県となるまで、14代にわたって1万石の小藩を治めていました。その間約250年!

祀られている堀直虎は幕末の天保7年(1836年)生まれ。須坂市の広報誌によると、文武両道を奨励し、とはいえ旧来のやり方に固執するわけではなく、蘭学や西洋式の兵学砲術を学び、オランダ式の軍政を取り入れたり衣服は西洋式にするなど先進的な考え方をしていたようです。

須坂の町を見守っている堀直虎公を拝み、後にしました。

 

須坂藩陣屋についてはこちらから

関連記事

2021年10月。長野県の霞城に行った後に須坂陣屋に立ち寄りました。陣屋としての建物は残っていないけれど、石垣にその名残があります。また、場所を変えて移築門や建物の一部が残されているんです。 須坂陣屋とは 須坂[…]

 

塹壕跡?

さて、帰り道に「これなんだ?」とざわついたのがここ。
下調べしていかなかったのでよくわからないけれど、見るからに遺構っぽくて怪しい・・・。

須田城 塹壕跡?
須田城 塹壕跡?

行きもこのそばを通っていて、ワタシは気づいていたのだけどなんだかよくわからなかった。
遊歩道入口の看板に書かれていた「塹壕」の位置と合っていたのでうーん。塹壕?と思ったのだけど、まぁ、土塁だよね。

「>」の字みたいに土塁らしきものがある。写真を撮った位置に侵入者がいたら、土塁の上から討つ・・・?
記憶もあやふやで、今となってはよくわかりません。

諸々の資料を見ると土塁のほかに竪堀もあるようだけど、この木々の生い茂り状態だと判別はつかず。うーん。竪堀?というようなうっすい堀っぽいものはありました。

 

理解が追いつかなかったので、次回はちゃんと縄張図もゲットして理解したうえで歩きたいです。
時期は秋冬でないと、遺構はわかりにくそうな城でした。

<終わり>


ブログランキング参加中
更新の励みになります!ぽちっとひと押しで応援お願いします!

 

須田城 塹壕跡?
最新情報をチェックしよう!