霞城に行きたい城メグラーたちの信州オフ会。中野まで北上してきてたどり着いたのが中野県庁跡。幕藩制時代には中野陣屋が置かれていました。
中野陣屋とは
元和2年(1616年)に幕府の天領である中野に陣屋が置かれ、代官が支配した。その後に県庁が建てられたため陣屋としての建物は残っていないが、石垣にその名残を残していて、陣屋の井戸も残っている。
中野陣屋は、元和2年(1616年)に置かれた以降に下記の3つの陣屋が統合されて中野陣屋として幕末まで存続した。
- 天和元年(1681年)西条陣屋
- 正徳 5年(1715年)小布施陣屋
- 享保 9年(1724年)新野陣屋(しんやじんや)
案内板によると、陣屋の建物は明治3年9月からは中野県庁として使われ残っていたが、同年12月の中野騒動(明治期に起こった一揆)により消失。その後は再建されず、明治5年7月に中野県が廃止され、長野県へ県庁が移った。
中野陣屋へ
中野陣屋跡には中野県庁記念館があります。役場の庁舎だった建物で、江戸時代から県庁時代の歴史的資料などを展示しているほか、中にはカフェもあります。今回は時間が無かったので外観のみの見学です。
おそらく堀の一部であっただろうと思われる水路。この水路は正面玄関側にしかないのだけれど、この石積みが当時の遺構らしい。
唐破風が目立つ立派な入口。和風なんだけど窓ガラスがはめられている和洋折衷な建物。
大和郡山城に移設されている旧奈良図書館のようだ。
案内板によると、陣屋の建物は明治3年9月からは中野県庁として使われ残っていたそうですが、中野騒動(明治期に起こった一揆)により消失。その後は再建されず、明治5年7月に中野県が廃止され、長野県へ県庁が移ってしまいました。
中野県庁としてもほんの短い期間に使われていた陣屋の建物。どんな建物であったのだろうか。
中野陣屋の近くに残る、こちらの記念碑も忘れずに。「天領」だったという誇りとプライドが感じられる。
※天領・・・江戸時代の幕府直轄地のこと
徳川宗家の18代当主の徳川恒孝氏による書だそうです。
井戸跡
中野陣屋の井戸跡。陣屋の建物跡の北側からやや西の位置にあります。井戸の内部は切石によって円筒形に積まれているというが、上から覗き込んでもよくわからず。
なお、井戸の上屋の建物は史跡の景観を保つことと井戸の保護のために建てられたそうです。
中野陣屋の移築門 (鈴泉寺)
中野陣屋の北側、歩いても行ける距離にある鈴泉寺。ここに中野陣屋から移築された門があるという。
立派な山門ですこと!
中野陣屋からの移築というが、そもそもは飯山城から中野陣屋に移されたと伝わっている。
屋根の上には鯱も乗っていて装飾豊かな門。裏から見てもかっこいいんだよな。
信州なかの産業観光公社のホームページによると、
鈴泉寺は、明治時代には現在の中野小学校の基となる研智学校に使用されていました。
堅牢な山門はかつて飯山城の門に使われていました。
参道の入り口にある石碑に刻まれた「南無妙法蓮華経」の文字から伸びている線は「ヒゲ題目」と呼ばれ、人々に救いの手を差し伸べていることを示しています。
鈴泉寺に移築された飯山城の門は中野陣屋だけでなく、研智学校にも使用されていたということで、飯山城の規模の大きさを体感を知ることができて面白いです。いやぁ立派な門だった。
住所:長野県中野市中央4-2-30
アクセス:長野電鉄信州中野駅から徒歩約15分
中野陣屋とセットで行きたい!
中野陣屋から車で10分かからないところに、飯山城の門が移築されたと伝わるところがあります。(飯山城の移築門を探す旅になってるな。)
それが「(仮)山田家資料館」です。
(仮)山田家資料館
ワタシが訪ねた2021年10月は開館前で準備中。中野陣屋への道のりでたまたま前を通った時になんだあれは!?長屋門!?と気になったのだけど、これまた見逃せない建物だった!
資料館の裏側に駐車場があったのでそちらに車を停めて撮影開始!なんとこの建物、飯山城から移築された門なのだ!
飯山市の調査により判明したということで、飯山市おお墨付き♪
この門を所有していたのは山田庄左衛門という人で、残された建物から類推するだけでも土蔵群・家屋敷・庭園があり、何と広い敷地だったのでしょう!
帰ってきて後から調べたら、山田家が収蔵している資料を公開する資料館としてオープンするとプレスリリース等に掲載されていました。ちなみに今も「仮」は取れていない・・・
写真の入口の脇にはあの緑の「国の登録有形文化財」であるプレート発見!江戸時代から昭和までの7件の建造物が有形文化財指定になっています。
この飯山城から移築されたこの門は「裏門」という名で登録有形文化財に登録されているのだけど、山田家では裏門として使用していたそうです。こんなに立派な門なのに「裏門」扱いだなんて!贅沢すぎる!
「隅櫓」は幕末期の建物。同じく白漆喰と下見板張りの「酒売場」は明治中期の建物で、昭和初期までは蚕室として使用されたそうです。
ワタシが訪ねた後にNHKの「歴史探偵」で「遊女」の特集が放送され、その時に「山田家資料館が所蔵している資料」の紹介とともに一瞬、内部の様子も紹介されました。
その後しばらくは公開していたけれど、2022年8月から収蔵資料の整理のために閉館となっています。
資料の閲覧だけでなく文化財指定となっている江戸時代からの建物見学もしてみたいので、ぜひとも公開をお願いします!
住所:中野市大字江部46-3
営業時間:2022年8月から休館中
駐車場:普通車20台(無料)