飯山城 移築先で生き続ける移築門がある城

2015年6月。東京から日帰りで春日山城に行った帰りに立ち寄った長野県の飯山城
信濃の重要拠点であり、上杉謙信川中島の戦いで越後から信濃へ入る際に出撃地点とした城です。ちょっと立ち寄っただけなのですが、2021年の信州オフ会の際には飯山城から移築された建造物や関連した陣屋をまわりました。現在の飯山城は曲輪石垣櫓台土塁などが残るのみですが、飯山城にあった建築物はあちこちに点在しているので、そのまとめも兼ねての紹介です。
この他にも飯山城関連の移築門や関連するスポットはあるので、改めて訪れてみたい城です。

飯山城とは

飯山城は鎌倉時代に築かれたという伝承が残るが、歴史の表舞台に出てくるのは武田信玄が信濃に侵攻したあたりから。武田信玄に追われて高梨政頼が飯山城から退去している。村上、井上、須田、島津、高梨氏ら北信濃の国人領主は上杉謙信に救援を求め、謙信は要請に応じて信濃に入りました。
弘治年間の1564年頃に上杉謙信が飯山城を改修。その後は御館の乱を仲介した武田勝頼が譲り受けたり(この時点で信濃全域が武田氏の支配下になった)、織田信長の軍勢が占拠したりと紆余曲折があって慶長8年(1603年)に松平忠輝が信濃国川中島に18万石で入り、家臣の皆川広照が4万石で飯山城主となりました。
(下野国(栃木県)の皆川城にいた皆川広照、ここまで来たんかい!)

江戸時代には城主が何度も変わり、明治維新を経て廃城となったのですが、明治元年(1866年)の戊辰戦争では旧幕府軍の攻撃を受けて城下が消失!廃藩置県で廃城となり、飯山城は取り壊しが始まり、様々な建造物が売却されていきました。

飯山城 縄張図

本丸を丘陵の最高所に配置し、二の丸、三の丸を階段状に置いた梯郭式平山城
北に向かって二の丸、三の丸と連なっていることから築城当時の大手は北側だろうというのがセオリー。それは本丸のがっつり石垣虎口が北側に向かい、だいぶ「北」を意識していることからそのように考えられている。しかしながら、江戸時代の大手は南側に作りかえられていて、現代の地図上でも南側に「大手門跡」の記載がある。

当時は水堀が囲んでいた。最も高所だった本丸は背後からは侵入ができないため、「うしろ堅固の城」といえる。
発掘調査資料によると、江戸時代後期には櫓2棟門が15箇所にもあったそうです。

飯山城内の配置図
飯山城内の配置図

飯山市教育委員会 1994 『飯山城跡』飯山市埋蔵文化財調査報告35 P.3より

 

飯山城へ

飯山城を訪ねたのは2015年6月。春日山城に行った帰りに立ち寄ったので、まさに上杉謙信も同じようなルートをたどってここ(飯山城)まで来たのだろうか。と思ったり。
日暮れ直前にさっと立ち寄ったので写真は少なめです。

 

飯山城から移築され、さらに移築されて戻って来た門

駐車場に向かう途中に門が目に入り、一気にテンションが爆上げ。

飯山城 櫓門
移築されて戻ってきた櫓門

この門は所有していた丸山家の旧住居の解体に伴い、飯山市が移築復元を行いました。
ただ、飯山城のどこの門だったか不明で、城門であった当時の姿も不明なため、当時の通りには復元できず、南中門を参考に復元されました。それでも当時の雰囲気は十分伝わってくるし、近くで観察&通り抜けもできてしまう貴重な門です。


地図上では「帯曲輪」と思われる通路を歩き、本丸に向かうと途中で鳥居が見えてきた。この段の上にあるのが本丸。位置的には本丸の曲輪の東側に当たります。本来の出入口ではなかったようだ。

飯山城 葵神社の鳥居
飯山城 葵神社の鳥居

現在は本丸には「葵神社」があり、この石段を登った先には葵神社があります。
が、ここはやはり帯曲輪から二の丸を経由して本丸から入りたい。

 

本丸

二の丸から眺めた本丸の門跡。石垣で囲まれた桝形虎口になっている。
ざっとまわっていると残っている土塁も高く「土の城」。帯曲輪からぐるっとまわっていると土の城といった感じの切岸なのだけど、二の丸から眺めた本丸の虎口は近世城郭の造りだ。

虎口では本丸側にのみ門があったそうです。

 

そして本丸に鎮座する葵神社があります。

飯山城 本丸 葵神社
飯山城主 本多氏を祀った神社

 

本丸門跡を本丸側から眺めるとこんな感じ。

飯山城 本丸
飯山城 本丸

なかなかフォトジェニックです。

飯山城の散策はここまで。この時は帰りに立ち寄っただけだったので、次回、改めて各所に散らばっている移築された建造物もしっかり確認したい。

そして最後の写真。7年近く前のことなのでよく覚えていないのですが、高い土塁で締めます!

 

飯山城・飯山藩関連の建物たち

現在は本丸周辺の石垣が見どころとなっている飯山城ですが、当時の建物たちはあちこちに点在しています。

  1. 中野陣屋 移築門 (鈴泉寺)
    中野陣屋 移築門
    中野陣屋 移築門

    中野陣屋の移築門が中野陣屋の近くの鈴泉寺の山門として使われているのだけど、この門は飯山城からの移築です。飯山城→中野陣屋⇒鈴泉寺ということですね。

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  2. 山田家 長屋門 (仮 山田家資料館)

    山田家資料館
    山田家資料館

    飯山城の門が移築され、山田庄左衛門宅の敷地内で裏門として使われてていました。大きくて立派な門なのだけど、これを裏門として使っていたという贅沢さ!

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  3. 信叟寺(しんそうじ) 山門
    飯山市の調査では南大手門の可能性が高いという。1906年(明治39年)6月に起こった放火までは二階建ての櫓門だったようです。
    なお、慶応4年(1868)年の戊辰戦争の際の跡の刀傷が残るという。
    (まだ未訪問!)
  4. 妙専寺 山門
    飯山城の本丸裏門(不明門)が移築されました。
    (まだ未訪問!)
  5. 内堀館
    内堀館
    内堀館

    飯山藩の本陣が置かれていた方形居館。居館の曲輪の周りを馬蹄状の水堀が囲んでいます。

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飯山城の移築門たちは飯山市と長野市を中心に点在していてまだ未訪問のところがあるのだけど、ぜひともコンプリートしたい!


飯山城 県指定史跡
住所:長野県飯山市大字飯山2749
アクセス:JR飯山線 北飯山駅から徒歩5分
駐車場:あり

<終わり>


 

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