小谷城の付け城であり、織田信長の本陣が置かれた虎御前山城。ふもとから登って蜂屋頼隆陣地跡に立ち寄ってお昼休憩をし、さらに山の中に入っていきます。
蜂屋頼隆陣地跡からまた歩き出す。遠くに見える鉄塔の奥に滝川一益陣地跡がある。最高所の織田信長陣地跡はさらに奥なのだ。
舗装道路がいったん終わり、なだらかコースと登りのコースが現れた。とりあえず登る!
「登る!」で正解だったようです。
丹羽長秀陣地跡
登った先は丹羽長秀陣地跡。山頂を削平した曲輪跡で、細長くて広い!
登り切ったところに広がる丹羽長秀陣地跡。ここからの視点でもまた鉄塔がある山がそびえ立っている!だんだん近くなっているけれど手強そうだなっ!
丹羽長秀陣地跡がいわゆる「虎御前山公園」。人がいたので撮影しなかったけれど、ベンチも置いてあって、お昼休憩するなら見晴らしもよいここにすればよかった。
丹羽長秀陣地跡 縄張図
丹羽長秀陣地跡は縄張図で見てもそのまんま、細長く四角い曲輪。尾根の上に築かれているので見張らしもよく、これから向かう滝川一益陣地跡と、そして登ってきた途中にある曲輪の様子も把握できる良い位置取りです。
きれいに削平されていて公園になっている。当時の姿はどうだったのだろうか。
古墳・古墳・古墳・古墳
丹羽長秀陣地跡を出て先を目指して歩く。また一気に森の中になりました。
これがまたすごかった。古墳・古墳・古墳と古墳のオンパレード!土木好きにたまらんエリアに突入です。
たとえば石田三成が忍城を水攻めにしたとき、三成はさきたま古墳群の丸山古墳に陣を置いたけれど、虎御前山城の古墳は規模が違う。平地ににある丘に古墳をひとつ築くのではなく、長い山全体に古墳を数珠つなぎに築いていったイメージ。とにかく数が多い!
しかも虎御前山城はひとつひとつの古墳の名称も案内を出してくれている!
歩道のすぐ横に「信長馬場C区古墳群」と名付けられたエリアがあって、ここには後期の群集古墳が9基もあるという。
ひとつひとつに狂喜乱舞していると時間が足りないので案内と形状をさっと確認して先に進む。途中で「現代の切り通し」というか、尾根を断ち切った部分を歩いていくと、
さらに古墳・古墳・古墳・古墳。一日でこんなにたくさんの古墳を見たことない!
古代の人は「古墳作りたいけど平地に土を運んで盛るのは大変なので、この山を切り崩して古墳つくっちゃえ」と考えたのだろうか。
とにかく曲輪と曲輪の間をつなぐ、通称「信長馬場」にある古墳群の数がすごすぎる!
このエリアには規模の少し大きめな前方後円墳があり、そのまわりに円墳が密集して築かれている。3号墳は「墳丘の表面に葺石が見られる」とありました。うわぁ。見たかったけど登って確認する時間の余裕がなかったので断念。
信長馬場の2号墳は方形というが、正直、形状はよくわからない。
とまぁ、こんな調子で歩くと古墳、歩くと古墳の繰り返しでひとつひとつをじっくり見る余裕もなく、鉄塔の裏にある滝川一益陣地跡を目指す。
滝川一益陣地跡
鉄塔の裏にあるのが滝川一益陣地跡。
現地の案内版によると、この鉄塔もいくつかの円墳を削って建てられているようで、おそらくこの鉄塔の場所も陣地跡と思われる。
ぱっと見、フラットな曲輪に見えるのだけど、縄張図を見てみると・・・
滝川一益陣地跡 縄張図
滝川一益陣地跡には現在残っているだけでも3つの円墳があったようだ。古墳をつぶして建てられた鉄塔の部分も含めて当時の姿を想像するのは難しい。
あたりを見渡すと、円墳があった!
写真の手前の2号墳円墳の左奥には1号墳円墳がある。ということは3号もあるはずだけど、立ち寄らずにさらに先へ。
次は織田信長陣地跡を目指すぞ!
>>織田信長陣地跡編に続く
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