元亀争乱にまつわる城めぐり。最後は丁野山城です。
登ったり降りたりと、コンパクトでまわりやすいけれど遺構もしっかり残った城でした。
丁野山城とは
「丁野山城」と書いて「ようのやまじょう」や「ようろやまじょう」と読む。
小谷城の西に築かれた城で、築城のいきさつは明らかではないものの、その位置関係から小谷城の防衛のために浅井氏(浅井亮政とも)によって築かれたと考えられている。
元亀争乱の際には朝倉氏が援軍として越前から派遣した平泉寺玉泉坊が入ったと伝えられている。天正元年(1573年)8月12日の織田方からの攻撃によって玉泉坊は降伏。丁野山城は落城し、その後は廃城となったようです。
丁野山城の縄張図やアクセスなど基本情報は丁野山城 基本情報へ
丁野山城 見どころまとめ
- 主郭の周りを巡らせた横堀!
- 主郭の両サイドに築かれた堀切。特に南側の堀切は「大堀切」と呼ばれている。この規模の城にしては十分な幅だといえる。
丁野山城へ
中島城から丁野山城に向かおうとすると、いったん山を下りてまた登ることになる。
写真は中島城から下ってきた丁野山城の分岐。
看板に「丁野山城跡 250m」と書かれていたけれど、ここから先は一気に登る!
このくらいの坂道が続くと思いきや。
意外と登らされる。ひぃーっ
見通しの良い平場に到着。通称「小谷城 眺望地」。正面に小谷城のある小谷山が見える。
丁野山城を歩いていて、序盤のここまではハイキング客や子連れで登っている人がいました。
改めて、小谷城が近いっ!
まだまだ登ります。「ものすごくしんどい」わけではないけど地味にきつい。
ここまで一気に登ってきたつもりだったけれど、先を見ると・・・
まだ登るんかい!!!
虎御前山城→大鳳山砦→中島城ときて、最後に丁野山城のこの登りはきつかった。初手なら問題ないのだけどね。
とはいえ、逆のコースで行く場合は丁野山城と虎御前山城は一本道ではあるものの、登り始めてから遺構に到達するまでが長くて少し荒れた道なので「この道でよいのか!?」と不安になるかもしれない。女性一人で歩くなら登り口やコースがわかりやすいこの順番が最適です。
やっと「丁野山城 山頂」の看板が見えてきた。
見事に折れ折れになっているではないか!
怖いなぁ。横からやられまくり。
折れ折れの道を登っていくと「丁野山城 山頂」と「谷田神社 河毛駅へ」の2つの看板が出てくるので、「山頂」看板に沿ってまわりこみながら主郭に入ってく。
縄張図をもとに城への侵入経路と城の構造を確認!
中島城から向かうと右下の細い道から入ることになる。
主郭には土塁はなく、そのぶん、山の尾根からの侵入防止に北と南にそれぞれ大きな堀切が築かれています。
ということで侵入経路を確認したところで折れ折れを登っていく。「山頂へ」の看板を目印に主郭へまわり込みながら入っていくと主郭に到着。
主郭にはベンチがいくつかあり、ちょっとした休憩ができるようになっている。中島城から行くといったん下がって一気に登るなかなかのハードコースなので、休憩ができるのはありがたい。
丁野山城の主郭は土塁もなくフラットな造り。そのかわりに周囲を幅が広い横堀がぐるっと囲んで防御性を担保している。
主郭から東側をのぞき込むと通ってきた通路が丸見え!高すぎず低すぎずで狙いやすい高さだな。
主郭の縁(ふち)の歩けるギリギリの部分を一周。すると北側に曲輪を発見!
主郭北側の横堀
曲輪に目がいっていたけど、間には「主郭を囲む横堀」がある。そしてこの横堀は城の規模にしてはなかなかの大きさだった。
北の横堀の西側には縄張図にあるとおり、ぽこっとした高まりがあった。櫓台だったのであろうか。
主郭南側の横堀
そしてこちらは逆側の主郭南側の横堀。尾根続きの部分を見ると堀切の役割も兼ねている。
主郭南側の横堀に降りてみたら、これまたなかなかの規模感でした。
主郭の主要部はこれで終わり。谷田神社のほうの登山道を下って河毛駅を目指します。
丁野山城の主要部はこれで終わり!と思ったら、最後に大きなヤツがきたんです!
>>最後に現れた!丁野山城の大堀切