小谷城の向かいにある虎御前山城。前回は滝川一益陣地跡まででしたが、中枢部をめざして進みます。
虎御前山城のふもとから登り初めて50分。昼休憩の15分を除くとここまで歩いたのは実質30分ちょっと、という気軽さで歩けるのがいい!
今回取り上げるのは遺構の残り具合が良く、見どころがたくさんある伝堀秀政陣地跡です。
堀秀政陣地跡
堀秀政陣地跡から木下秀吉陣地跡までは遺構の残り具合も良く、「山城にきたぞ!」と感じることができるエリア。
これまでは整地されてしまっていて面白味はなかったものの、一気に城らしくなってきました。

堀秀政陣地跡 縄張図
ざっくり3つのエリアに分かれているのだけど、技巧的に作られている。
これは本当にその場で見てもらいたい。

堀秀政陣地跡 堀切
これまでは「陣地跡」といってもいかにも「後世の加工」がある場所だったので、高さと距離感を楽しむのみでした。
堀秀政陣地跡にさしかかると一気に雰囲気が変わり、城らしくなってくる。

現在は「堀切」という案内があるが、完全に尾根を断ち切っているわけではなく、両サイドが竪堀で落ちていて、土橋状になっている。
- 堀秀政陣地跡 堀切
- 堀切の奥
さらに数分歩く。堀秀政陣地跡は堀によって3つのエリアに分けられていて、それぞれのエリアに存在しているぽこっとした円墳が見張り台の役割をしていたのではないかと考えられている。

尾根上に堀が築かれ、さらに奥に曲輪、その奥に堀を繰り返して少しずつ高くなっていく。


古墳の案内だけでなく、城としての案内もちゃんとあるので散策がしやすい。この図解が助かる!


横堀の先にもさらに段々と曲輪が連なっていて、横堀の上の曲輪には建物が平面復元されている。
それを見に行く前に横堀に突っ込んで行ってみる!

この堀は先が「く」の字型になっていて、上の曲輪の西側にもめぐっているようだ。

横堀の再奥まで行かなかったけれど、ある程度進んで振り返ってみたところ。左側に建物の平面復元がある。
堀は埋まっているだろうから現在の深さはたいしてないけれど、平面復元している建物がある曲輪の切岸を見ていると、幅も深さもがっつりあったのだろうな。
ここまでなら散策をしている人はちらほらいるのだけど、堀の中にまで入っていた人はいなくて、散歩しているおじいさんに「本を書いている人ですか?」と聞かれてしまった。あ、やっぱり堀の中まで入っていくのは珍しいのね。

江戸時代の男性の平均身長が153cm。同じサイズのワタシが横堀に入って目線で撮影するとこんな感じ。
2~3mは埋まっているだろうから、それを考慮すると当時の男性の身長ではこれを超えて行くのは大変だなっ
堀秀政陣地跡 竪堀
そして横堀のすぐ右側には竪堀が迫っている!

横堀で段差を付けてさらに右側は竪堀で落とす、その上の曲輪には建物。造作が細かいな!
堀秀政陣地跡 礎石復元建物

- 床が復元された
- 礎石復元建物 案内図
礎石の上に建てられた建物跡は虎御前山城だけでなく小谷城からも見つかっているが、当時の山城ではごく一般的な施設。
案内板によると、虎御前山城のこの復元に使われた礎石は大津市の生津城(なまずじょう)跡で発掘されたものを使っているそうです。
礎石復元建物の位置から振り返って見たらこれがすごかった!

見事な造形美!
手前の堀が先ほど入り込んだ横堀。写真でいうと左側の見切れた部分に竪堀がある。
復元建物の奥がまた一段高くなっているが、たいして高さはないと思っていたのだけど、これが意外と高かった!

意外と高さがあるな!
礎石復元建物があった位置がだいぶ下に感じる。整備状況が良いので写真で見ても起伏がよくわかる。
そしてさらに先にまた一段高くなった曲輪がある。

「堀切」と案内があるものの、現在は曲輪を分断するほどの規模ではない。これを堀切と言ってよいものか!?
堀秀政陣地跡編 まだ続きます。続きは次のページへ。
>>虎御前山城 堀秀政陣地跡の最高所へ
- 1
- 2