虎御前山城① 織田信長が小谷城攻めで築いた個性が光る陣城

『どうする家康』の聖地に全力集中している2023年ですが、直接に徳川家康が布陣したわけではないものの、小谷城を語るには欠かせない虎御前山城を紹介。小谷城の向かいにある虎御前山に築かれた陣城ですが、これがまた面白い城なのだ!
織田信長を筆頭に信長配下の武将たちが築いた曲輪はそれぞれ個性的で、小谷城に行くならぜひ立ち寄ってもらいたい気軽に散策できる山城です。

虎御前山城とは

姉川の戦いに出てくる姉川の北にある標高約224mの城。北国脇往還を挟んで浅井長政の居城である小谷城とは対峙した位置にある。織田信長が近江の諸勢力と戦った元亀争乱では、小谷城の攻防戦において信長が本陣を置いた。
小谷城との距離は平地と街道を隔てて約500mという近さ! かつては古墳が築かれた虎御前山の尾根のところどころに信長、木下秀吉柴田勝家滝川一益丹羽長秀など戦国期を代表する武将たちが陣をはった。それぞれに個性的な縄張をしていて、比較しながら歩くのが面白い城です。

虎御前山古砦図
滋賀県教育委員会 小谷城跡をめぐる城々 P.15より

絵図中には「家康公」と表記しているところがある。うん。確かにここだけ名字無しの「公」付きというのも違和感。「家康公」と書かれている曲輪跡は、現在は「蜂屋頼隆陣地跡」と伝えられている場所と思われるが、「長浜・米原観光情報サイト 虎御前山ハイキングマップ」など、自治体で出しているパンフレット類にも家康の名前は無い。「家康公」の表現から、この図は江戸時代に描かれたものと考えられているよう。

なお、この絵図の出所は下記となっています。

描かれた場面は、姉川の戦い後に起きた元亀3年(1572年)の小谷城包囲か、浅井家の最後の戦いとなった天正元年(1573年)の小谷城の戦いのいずれかのようです。

彦根城博物館 「伝承のなかの戦国 展示リスト」P.2より

 

虎御前山城 立地について

小谷城 虎御前山展望所
小谷城から眺めた虎御前山城

 

下記に掲載した画像の北にあるのが小谷城で、その支城だったのが向かいにある丁野山城中島砦
小谷城に対峙して織田信長が陣取ったのが北国脇往還を挟んだ先の虎御前山城。虎御前山城は小谷城と比べると規模の大きな山ではなく、よほど落城させる自信がなければこんなところに陣を置くのは危険! 街道をおさえつつ、小谷城から丸見えのこんなところに陣取るなんて、信長がいかに自信があったかがわかる。信長やるなぁ。

小谷城 Google Mapより
小谷城をとりまく城や砦たち

画像上にピンスポ立てていますが、これは小谷城の戦いの前哨戦となった姉川の戦いと小谷城の攻防関係のスポットも含んでいます。姉川の戦いと小谷城については関連記事をどうぞ!

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小谷城 黒金御門跡

 

虎御前山城 縄張図

虎御前山城はひとつの山に複数の戦国武将たちが陣を張っていて、それぞれが個性的な縄張を繰り出している。
それぞれの縄張図は後ほど紹介します。まずは全体像です。

虎御前山に陣を張ったと伝えられているのが丹羽長秀滝川一益堀秀政織田信長柴田勝家木下秀吉など。織田信長配下の武将の中でもビッグネームが名を連ねている。これだけでもワクワクします

虎御前山城 案内図
虎御前山城 案内図 現地看板より

虎御前山城の築城後は木下秀吉が城番となったが、その秀吉の陣地跡は小谷城に最も近いエリアで、曲輪は土塁で囲まれ、横堀や堀切、土橋が築かれて厳重で技巧的な縄張になっています。

虎姫時遊館へ

虎姫駅から下車して虎御前山城に向かおうとしたら、途中で『虎姫時遊館』の看板を見つけ、そういえば資料館があったっけ。と川沿いを右折して虎姫時遊館を目指す。

虎姫時遊館
虎姫時遊館

虎姫時遊館は地域のコミュニティセンターも兼ねているようで、当日は盆栽?のイベントをしていました。虎御前山城の掲示がされていたのだけど、掲示物が遠い・・・。

虎姫時遊館
虎姫時遊館

そして虎御前山城の模型がぁぁぁ!上にモノが載っていて映り込んで非常に残念なことになっていた。イベントの展示物が間にあって近づくこともできず。
この模型が見たかったのに

虎姫時遊館 虎御前山城の模型
虎姫時遊館 虎御前山城の模型

地域の人達が集まって楽しそうにしていたので「資料が見えない」と野暮な事を言うつもりはないけれど、私以外にも虎御前山城に関する掲示物を見ている人がいたので、せめて模型は見られる状態にしてもらえるといいなぁ。

と、残念な思いで退出するところでしたが、虎御前山城の御城印が売っていた!

虎御前山城 御城印
虎御前山城 御城印

篆書っていうのかな?素敵な書体の御城印もあります。今回は初めてだったのでスタンダードな書体の御城印を購入しました。

丸山古墳跡

実は虎姫時遊館がある場所には丸山古墳という円墳があったそうな。

写真のぽこっとしているところが丸山古墳。日本最古クラスの古墳なんですって。
発掘で出てきた物がすごくて、

内部は粘土槨棺と思われ、本館のまわりを粘土と朱で固めたものと推定されています。多数の土器片とともに発掘された青銅製の唐草紋緑細線式獣帯鏡は日本最初の発掘物であり、紀元前に漢で作られ、その後日本に渡来したものと推定されます。なお、この銅鏡は国の重要文化財に匹敵するものといわれています。

長浜・米原を楽しむ 観光情報サイトより

古墳時代の初期(1600年前!)の古墳で棺は石棺ではなく粘土で作られたという。
さらに唐草紋緑細線式獣帯鏡は日本最初の発掘物ですって! うわぁ。どこで見れるのだろう?虎姫時遊館には印刷物しかありませんでした。イベントの展示物があって近くで資料を見られなかったのが残念です。

丸山古墳がある丘陵は虎御前山の南端に位置している。虎御前山は古墳が多く築かれているということで、どんな古墳が築かれていたのか?も楽しみなのです

 

虎御前山城へ

虎姫駅から虎御前山城を目指して歩く。山の上の鉄塔がある奥が滝川一益陣地跡。登り口は尾根の右側にあるのでまだ歩きます。
※虎御前山城の陣地跡に誰が布陣していたかは推測の域を出ていないので、現地の案内図や解説資料で曲輪の説明をする際には「伝」がついているのですが、以降は省略します。

虎御前山城
あれが虎御前山城だ!

正面に虎御前山城。虎御前山に隠れて見えないけれどさらにその先に小谷城があります。

虎姫時遊館に立ち寄って虎御前山城の登り口へ。
広い駐車場があるので車で来ても大丈夫!近くの多目的広場の奥にはトイレもあります。ここから先、トイレは無いのでご注意を!

矢合神社の鳥居?(扁額が真っ黒で読めない)をくぐって参道を登っていく。

後から気付いたのだけど多賀貞能陣地跡を見逃していた。この鳥居周辺から脇道に入るらしい。登っていく途中、右に一段高いところに藤棚のようなものがあったのだけど、そこを歩いて行くのかな。気付かなかったー!
「滋賀県教育委員会 小谷城跡をめぐる城々」で調べたところ、かなり削平されているものの、多賀貞能陣地は矢合神社の境内の一帯だったそうな。そしてGoogle Mapによると、矢合神社より少し下がったところに多賀貞能陣地跡の石碑もあるようた。

矢合神社からは先は参道もないのでいったんコンクリート舗装の道路へ。と、矢合神社の裏手に分岐が出てきた。

蜂屋頼隆陣地跡へ
蜂屋頼隆陣地跡へ

倒れた案内版に「伝 蜂屋頼隆陣地跡 100m」とある。ちょっと登ってみたところ「テントサイト」という案内が出てきてわけわからず。この日は夕方から雨が降り出すことがわかっていたのでスルーすることに。たぶんここを登ると位置的に蜂屋頼隆陣跡に出るのだと思われます。

舗装してある道路を登って行くのだけど、勾配もそこまで急ではないので散歩感覚で歩けるのが良い。
しばらく歩くと開けた場所に着きました。

虎御前山城 展望台
虎御前山展望台に到着
虎御前山城 展望台
展望台がある平場

虎姫駅を11:15頃に出て虎御前山展望台に到着したのが12:00。少し早いけど、いつ雨が降り出すかわからないので早めに昼食。ベンチがあるかな?と思ったら、あるにはあるが、草が多くてそこに行くまで変な虫にやられそう
こういうときのためにいつも1人用のレジャーシートを持ち歩いているのだ!ベンチには座らずに、コンビニおにぎりでお昼休憩です。

この展望台からの景色がいい!のだけど、あーあーあーあー電線・・・

虎御前山城 展望台からの景色
虎御前山城と小谷城

これから進むべき虎御前山城の鉄塔が見える。鉄塔の裏に滝川一益陣地跡があって、信長陣や秀吉陣はさらに先。
小谷城と比較すると小さく見えるけど虎御前山城は南北500mあって、起伏はさほど激しくはないものの、これから徐々に登って行くわけで、思ったよりでかいぞ!

 

蜂屋頼隆陣地跡

ところで蜂屋頼隆陣地跡は展望台付近じゃないかな?と、あたりを見回してみたところ、なんか高まりがあるぞ。
登ってみたら蜂屋頼隆陣跡の石碑があった!

虎御前山城 蜂屋頼隆陣地跡
虎御前山城 蜂屋頼隆陣地跡
虎御前山城 蜂屋頼隆陣地跡
蜂屋頼隆陣地跡の案内看板

案内版によると、蜂屋頼隆陣地跡は北山古墳という前方後円墳に陣を置いたようだ。おぉ。古墳の上に陣を置いたのね!
蜂屋頼隆陣地跡の石碑があるのがおそらく前方後円墳の「後円墳」の部分。

蜂屋頼隆陣地跡 縄張図

蜂屋頼隆陣地跡を縄張図で追ってみると・・・

虎御前山城 蜂屋頼隆陣地跡
蜂屋頼隆陣地跡 縄張図

滋賀県教育委員会が出している「小谷城跡をめぐる城々 P.18」から縄張図を借用。
前方後円墳がばっちり載っている!
ワタシはこの曲輪の左側の側道を上ってきて前方後円墳の北側から登り、「後円墳」から入ったのだけど、その先は一段低くなっているようで、それが「前方」部分のようだ。

そして前方後円墳の北側に道幅を狭めた虎口のように左右に土塁があり、さらに北側に虎口を隠すように蔀土塁(しとみどるい)というか一文字土塁があったようだ。
展望台の施設の足下に土塁っぽいような高まりが無きにしもあらずだけど、うーん。よくわからない。展望台を作る際に削平されてしまったのか・・・?

下から見た時にはさほど高さがあるようには見えなかったけど、そこそこ高さがあるな。
展望台があるところも蜂屋頼隆陣地跡だったのであろうか。

長浜・米原観光情報サイトが出している虎御前山ハイキングマップによると、陣を置いた北山古墳の発掘調査では、古墳時代後期(5c後半)の古墳だということが確認されていて、銅鏡、短甲、剣などの副葬品が出土したそうです。うわー。これも見てみたい!

古墳を使った陣跡ということでテンション上がったけど、虎御前山城の陣跡のポテンシャルはこんなものではありませんでした!

虎御前山城 蜂屋頼隆陣地跡
蜂屋頼隆陣地跡からの眺め
虎御前山城 蜂屋頼隆陣地跡の先
蜂屋頼隆陣地跡の北側 土塁らしき高まり???

蜂屋頼隆陣地跡の北側。土塁らしきもの?でも縄張図の縮尺を考えるとこれはちょっと遠すぎるかな。

鉄塔の先に広がる虎御前山城の陣地ワールド。まだまだ続きます。

>> 丹羽長秀・滝川一益陣地跡へ

虎御前山城 展望台からの景色
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