虎御前山城編の続きです。
虎御前山城のふもとから登り初めて1時間20分。最後に訪れたのは伝柴田勝家陣地跡です。
柴田勝家陣地跡
虎御前山城の中で最も北にある陣地跡で、前方高円墳と円墳を利用して築かれている。残念ながら整備はされていないため、古墳の上には登れるものの、古墳なんだか陣地跡なんだかよくわからない状態になっています。
柴田勝家陣地跡 縄張図
伝柴田勝家陣地跡の縄張図はありません。
柴田勝家陣地跡を歩く
伝木下秀吉陣地跡を出てハイキングコースをさらに北に進む。ここまで来る人は限られているのか、道が少し荒れてきました。とはいえハイキングコースの案内もあるし、曲輪跡には案内も出ているのでわかりやすい。
虎御前山城を南から登ってくると一番遠く、北側から登ってくると最も近いところにある陣跡となります。
案内板は「陣跡」ではなく「古墳」のもの。前方後円墳と円墳があるようだ。
とはいうものの、どこがどう古墳なのかがまったくわからない。
ましてや陣跡もさぱりわからん!
古墳らしき跡に登ってまわりを眺め(残念ながらよくわからなかったけれど)、ここで虎御前山城の陣跡めぐりは終了です。
ここから先は降りるのみ。10分くらいで一気に降りました。
南側から虎御前山城を登ると歩道と車道があり、歩道は緩やかな登りだけど、北側に降りていく道は山城仕様の道のみ。北側の道を使うなら、足元は最低でもスニーカー必須です。
小谷城が良く見えるスポット
虎御前山城は公園化されていない場所は木々が茂っているので、実は近い北側であっても小谷城は見えなかったりする。
柴田勝家陣地跡から北に降りるハイキングコースの途中に、小谷城を眺める絶好のスポットがあります。
一応、ヤマレコで小谷城であることを確認。
なお、案内板に書かれていた「秀吉が小谷城を落とした時に入り込んだ京極つぶら」(京極丸と考えられている)は木々に隠れて見えませんが、右側に当たります。
虎御前山城からの小谷城の姿はこれで見納め。虎御前山城を後にします。
虎御前山城の帰り道(北側の登山口)はだらだらと登ってきた南側の登山口と異なって傾斜がある道。そのぶん一気に降りられるけれど、雨まじりの日は足元に要注意です。
柴田勝家陣地跡からは約7分で車道まで下りてきました。
北側の登山口に「虎御前山城」の案内板がありました。南側から登ってくる人のほうが多いので、南側にも同じものを置いてほしい。
滝川一益陣地跡にあった鉄塔がずいぶんと奥にある。しんどい山登りではなかったものの、なかなか大きな規模の陣地跡でした。
最後はこの小谷城への侵攻で信長が作った軍用道についてです。
軍用道を作って地固めした織田信長
滝川一益陣地跡の周辺に案内板があり、信長が小谷城攻めの時に造った軍用道について記載がありました。
信長公記にこの軍道が築かれた経緯がありました。
虎御前山から横山までの距離は三里(約12km)である。やや遠いので、信長は、その中継拠点として、八相山と宮部村の二ヵ所に砦を築くよう命じた。宮部村には宮部継潤を配置し、八相山には守備の軍勢を配備した。
『信長公記』 「巻五 元亀三年(五) 虎御前山に築城」より
出陣にあたって兵士と武器、弾薬、兵糧を運ぶために道路を作ることは信長以外もやっていることだけど、信長は道幅7.3mの道路を築いただけでなく、小谷城方面である東側に目隠しとなる築地を築いたそうな。その高さはなんと3.78m!徹底した情報統制がしかれている!
それに加えて、築地塀の東側には堀を築いて水を引いてきたという。これでは築地塀を簡単に壊すこともできない!
この軍用道の名残でしょう。宮部町から三川町にかけては「ここだけ少し曲がっている」道が残っています。Googleマップには「戦国街道」とあり、この道が信長の軍道に違いない!
ちなみに『信長公記』に記載があった「八相山」とは、虎御前山城がある山の南側の尾根で、伝多賀貞能陣跡、伝蜂屋頼隆陣跡と伝えられている場所あたりらしい。信長の言う通り、宮部には宮部城、八相山だけでなく虎御前山全域にわたって陣城を築いたとされている。『信長公記』の通りの地形に陣所があるので、虎御前山城に行く前には読んでおくのがおすすめです。
『現代語訳 信長公記』織田信長の側近だった「戦国メモ魔」の太田牛一が書き記した記録を現代語訳で手軽に読めます。この本があったから安土城の天守も想像ができる! 織田信長の日常がこれでわかります! 信長さん、家康に負けず劣らず「鷹狩り」が好きなのね~。
その後の虎御前山城
元亀3年(1572年)に築かれた虎御前山城は、翌年の天正元年(1573年)の小谷城総攻撃によって浅井氏が滅亡すると廃城となりました。
虎御前山城 基本情報
- 築城年:元亀3年(1572年)
- 廃城年:天正元年(1573年)
- 築城者:織田信長
- 種類:平山城
- 天守:なし
- 主なタイトル:-
- 主な遺構:曲輪、土塁、堀
- 文化財指定:長浜市指定史跡
- 所在地:滋賀県長浜市湖北町河毛他
- アクセス:JR虎姫駅、JR河毛駅より徒歩15分
- 駐車場:南側の登城口前に「虎御前山公園 駐車場」がある
- トイレ:南側の登山口近くにある虎御前山公園多目的広場にある
- 売店・食事処など:なし
蜂屋頼隆陣地跡のそばにある展望台にはベンチがあったけれど草が多くて近寄れず。丹羽長秀陣地跡は「虎御前山公園」として整備されていて、草も刈られていてベンチに座れるようになっている。お弁当を持ってランチするなら丹羽長秀陣地跡がおすすめ。
ただし、虎姫駅、河毛駅からの道中には食事処もコンビニすら無いのでお昼は事前に用意したほうがよいです。 - 女子城メグラー 難易度:★★★★☆
南側の登山口の最寄り駅の虎姫駅、北側の登山口の最寄り駅の河毛駅からそれぞれ15分とアクセスが良い山城。ほぼ一本道なので迷うこともないし、ハイキングコースとして整備されているのでまわりやすい。南から登ってくると遺構は破壊されているのでがっくりくるが、滝川一益陣地跡の先から一気に城らしくなってくるのでご安心を。堀秀政、織田信長、木下秀吉、それぞれに陣の作りが異なっていて特に織田信長陣地跡の曲輪の広さは圧巻。すぐ目の前に攻略すべき小谷城があるのに対し、この曲輪の帝王感たるものや!
一方、木下秀吉陣は小谷城から最も近いところにあるだけあって、狭い敷地を活かして土塁が随所に築かれている。一つの陣跡だが、様々な陣跡を楽しめる城。
ただし、JRの電車の本数が少ないので、事前に調べておかないと駅でぼーっと時間を過ごすことになるので注意!
河毛駅にはこの地方の城に関する展示が見ごたえがあり、お土産も売っていて電車を待っている時間があっという間でした。それを考えると南から入って北に抜け、時間が余ったら河毛駅で過ごすのがおすすめです。
- 登城日:2023年4月29日
虎御前山城 散策ログ
途中でお昼休憩をはさみつつも1時間30分の快適な城散歩でした。
虎御前山城編 終わり