虎御前山城の散策の次は歩いて行ける中島城へ。中島城へは大鳳山砦を経由して行くことにしました。
大鳳山砦は中島城とは尾根続きにある砦で、ここから入ると大鳳山砦→中島城→丁野山城と一気にまわることができるのです。
まずは大鳳山砦からです。
大鳳山砦とは
小谷城の西側の防衛ラインとして利用されたのが丁野山(岡山)に築かれたのが丁野山城(ようのやまじょう)で、丁野山城から中島城、大鳳山砦と尾根続きで築かれていることから中島城は丁野山城の出城であったと考えられている。築城年ははっきりしていません。
大鳳山砦 立地について
大鳳山砦は小谷城の西側に位置している大鳳山に築かれているのだが、小谷城からは非常に近い。北国脇往還を挟んだ先に小谷城があることからこの周辺の山々では最も小谷城に近いところにある砦です。
大鳳山砦 縄張図
大鳳山砦の縄張図はありません。
大鳳山砦へ
虎御前山城の北側の登山口から出て、263号線を北上すると「中島城」の看板が見えてくる。
263号の左に中島城、右に小谷城。城と城の距離が近いっ!
冠木門をくぐり抜けて進む。おぉ。浅井家の家紋ではないか!
入口近くにあった案内図は、「丁野山古砦図」を現在の道路事情やルートを考慮して描かれているのだけど、大鳳山砦、中島城、丁野山城の位置関係がわかりやすい。
「現在地」から大鳳山砦目指して登り、中島城を通過し、「本丸」と書かれている丁野山城へ向かうのがこの日のルート。
丁野山城がある岡山の先にも連なる山の最も先に山脇山があり、そこには明智光秀が陣取っていたのですが、今回は時間の関係上、行きませんでした。
3~4分で「大鳳山砦」の看板があるところまで到達。このエリアは削平されている。
削平された小高いエリアからいったん降りて先に進む。
途中、堀切の名残?のような薄い溝があったり、
鉄塔が立っている脇を通ったり。
このあたりは建物が建てられそうなくらいフラットだけど、鉄塔を立てるときに削平したのかもしれない。
なお、大鳳山砦から中島城の間には古墳がいくつかあるようだが、案内板が無くてどれが古墳かよくわかりませんでした。ここにあった古墳たちは見張り台の代わりに利用されていたのだろうか。
そしてどういう構造だったのかは現地で見ても調べてもわからず。砦の規模からいって急場しのぎの砦だったろうし、主郭、副曲輪のように強弱つけて砦を作るのが目的ではなく、物見などに使われていたのかもしれない。
大鳳山砦と中島城の間の大堀切
そうこうしているうちに一番の見どころの大堀切にやってきた!
あえての削り残されているのか?土橋らしき通路を渡って反対側へ。
「大堀切」というには小さいかもしれないけれど、うん、この規模の砦ならば「大堀切」と名付けても良いと思う。
この大堀切は中島城側から見た方が迫力があった!
堀切を作っておいて、小谷城から最も近い大鳳山砦から中島城へは安易に到達できないようにしたのでしょう。
大鳳山砦についてはこれで終わり。大堀切を越えて中島城を目指します。
>> 中島城編へ続く
- 1
- 2