新府城① 武田流築城術の技巧を集結させた未完の城

2020年4月。山梨県の北杜地方の城めぐりに行きました。
若神子城から入り、古宮城谷戸城深草館笹尾砦とまわり、笹尾砦から七里岩を眺めたうえでのクライマックスは新府城へ。巨大な丸馬出に圧倒されました。徳川の改修も入っていると考えられるものの、これぞ武田の築城術!という土木量!
日暮れ直前に行ったため、だいぶ暗いですが翌年の2021年の春にも行っているのでこの後に2021年版をアップするので合わせて見てください。

新府城とは

武田勝頼が築いた甲斐武田氏による最後の城で、天正9年(1581年)2月15日着工、9月頃完成。(とはいえ未完成。)
織田・徳川連合軍の侵攻によってそれまで本拠としていた躑躅ヶ崎館を退き、100m以上もある七里岩の台地の絶壁に建てられたことも武田氏を取り巻く状況が鬼気迫っていたことがわかる。

当時、甲府への道はこの七里岩台地の上に集約されていたため、甲府への道を抑えるには良い選地といえるけど、甲府の館からの移転先ということで武田勝頼が居住することを想定していたため、とにかくでかい。東京ドーム5.5個分!
織田・徳川連行軍の侵攻スピードに合わせて急いで築城したがあまりの巨大さに間に合わず、武田最後の城にして未完の城となりました。

近年発見された『真田昌幸書状(真田宝物館所蔵)』新府城の普請に関する唯一の資料で、
新御館(新府城のこと)という記載があったり、

何も自家十間人足壱人宛被召寄候
 人足は家10軒に対しひとり
御普請日数三十日候
 普請の日数は30日

という記載が残っています。

新府城の見どころ

  • 南側の大手の巨大な丸馬出三日月堀、さらに躑躅ヶ崎館と同じく並行に門を置いた桝形など武田流築城術の特徴の築城術の集大成!
  • 本丸の裏に当たる北側のに突き出た東出構西出構など、とにかく技巧的
  • 築城において必須の井戸。特に搦め手口の乾門桝形虎口から二ノ丸に向かう途中の井戸は直径25メートル前後と巨大!
  • それでいて、南側の三ノ丸は二つに仕切る土塁以外はほぼ手付かず。逼迫していた状況が手に取るようにわかる。

武田勝頼は未完成だった新府城に籠っては戦えないと判断し、焼き払って岩殿城へ向かったわけで、もし新府城が完全体だったらどのような姿になっていたのだろう?と、想像が膨らむ城です。

武田氏が滅亡した後の天正10年(1582年)に起こった天正壬午の乱で徳川が北条と争うために陣城として一時的に利用された際に改修が入ったと思われますが、火を放ったあとでも再利用できるほどの良い城だったのでしょう。

ということを考えながらまわるとさらに面白くなります!

 

新府城 縄張図

新府城 縄張図

韮崎市教育委員会「風林火山の世界 新府城と武田の里」P.6より

縄張り図ではよくわからないという方には、本丸の看板にある新府城図の想定復元図がわかりやすいです。

最近になって駐車場が整備され、駐車場から北側にまわって出構(でがまえ)を越えて搦め手から入るようなコース取りになっていますが、今回はかねてからのコースである新府城藤武神社側の一直線の階段を登って本丸に出るコースで進みました。

新府城 本丸にある想定復元図
新府城 本丸にある想定復元図

 

新府城 続日本100名城スタンプ

韮崎市民俗資料館で続日本100名城スタンプは押すことができます。

 

新府城 御城印

続日本100名城スタンプと同じ、韮崎市民俗資料館で1枚300円で売っています。(2020年2月現在)

新府城 御城印
新府城 御城印

 

韮崎市民俗資料館で続日本100名城スタンプを押す

新府城に行くならまず韮崎市民俗資料館に行こう!
入口では巻き髪姿(?)と耳飾りをしていたであろう美しい美土偶「ミス石之坪」こと石之坪遺跡の土偶のかかしお出迎えです。しかも巨大

韮崎市民俗資料館 ミス石之坪土偶
韮崎市民俗資料館 ミス石之坪土偶

入口で新府城の説明資料をもらい、続日本100名城のスタンプが押せませす。
企画展では新府城や武田家、真田家にまつわる展示をやっていることもあります。企画展を見なかったとしても、入口を入ったところにある新府城の模型は必見。

七里岩の断崖絶壁と新府城
七里岩の断崖絶壁と新府城

七里岩の断崖絶壁に新府城が置かれていることがわかる。新府城の前に行った笹尾塁から眺めたあの台地ねー。と思うと感慨深い。

新府城の模型
新府城の模型

こちらは新府城の模型。写真の下に大きな丸馬出がある。他の曲輪が大きいので丸馬出が小さいように見えるだけで、丸馬出も含めた一つ一つの構成要素がバカでかく、いやぁ、丸馬出だって巨大なのよー!これはぜひ足を運んで実物の大きさを体感してもらいたい。

馬出って薄い城跡(遺構がはっきりしない城跡という意味)に行くと、これが本当に攻防に役立つのか?と自分の中でイマイチ、ピンとこなかったんだけど、新府城の大手桝形虎口から丸馬出、そしてがーっと下って三日月堀のこの導線を見て初めて、これは確かにあったら強いわ。と開眼させてくれました。丸馬出の上から眺めると特にその恐ろしさがわかります。

 

新府城へ

駐車場が整備されたことにより、駐車場を出てから道路を渡り、北側の2つの出構を見ながら搦め手から入っていくように誘導されています。(下記の縄張図の青い矢印
今回は城仲間さんたちにはおなじみの道路を本丸側に進んで新府城本丸の藤武神社への参道となる石段をがーっと上がっていきます。(下記の縄張図の赤い矢印

新府城 縄張図

 


本丸

どどんと現れた石段。
2016年の大河ドラマ『真田丸』の第一話で、新府城のこの石段でロケが行われたことから仲間内で通称「真田丸の石段」と呼んでいます。

『真田丸』の第一話冒頭で武田勝頼真田昌幸たち一行が長い石段を登りながら話をしているシーンはこの石段がロケ地となり、「ほんとに新府城まで行って撮影してる!」と城クラスター界隈ではざわつきました

石段を登るとほっそい稲荷曲輪があり、その先が本丸。本丸には新府藤武神社があります。

新府城 本丸
新府藤武神社

御祭神は武田勝頼公で、新府城を築城した際に稲荷曲輪に鎮守として祀ったそうです。

新府 藤武神社
新府 藤武神社

しかしながら、新府城の落城とともに消失。その後は徳川氏の指示により再建されたそうな。

 

そしてずんずんと本丸を進む。東西90m、南北150mほどの長方形の曲輪。

新府城 本丸
新府城 本丸

本丸は新府城の中でも最も高いところにある曲輪で、発掘調査では礎石や築地塀が発見されました。さらに当時は高級品だった青磁や炭化した米が本丸から出土しています。

城の規模に対し、本丸がここまで広いのも珍しい。勝頼が甲府の躑躅ヶ崎を捨ててここに本拠を移すということで、必要な御殿や建物を建てるためにここまで大きく作られたのか、あるいは三ノ丸のように2つに分けることを想定していたのだろうか?

新府城 本丸
新府城 本丸

 

本丸内には石造りの武田勝頼公霊社。勝頼公を偲んで元禄時代に作られたという。

新府城 武田勝頼公霊社
武田勝頼公霊社

武田勝頼公の霊社のすぐそばには馬場美濃守信房山形昌景など武田の家臣団も祀られている。

 

そしてさらに本丸の奥へ。ここから眺める八ヶ岳が絶景。

新府城 本丸から見える八ヶ岳
日が落ちる直前の八ヶ岳は絶景

かすかに夕日色に色づく山の端。
そして注目すべきは高低差。この下は湿地帯だったこと、そしてこの高低差があるとしたら本丸までは一気に登っては来れない。

 

本丸は木が刈られていて、さすがに2月という真冬でレジャーシートを広げてピクニック・・・というわけにはいかないけれど、春に来ると桜が美しく、お弁当を食べてひと休みをするのもおすすめです。
とにかく広いのでコロナ渦中であったとしてもソーシャルディスタンスもじゅうぶんとれる!

新府城 本丸
新府城 本丸

 

>>本丸を出て二ノ丸へ向かう

新府城 本丸
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