『どうする家康』聖地巡礼 ①桶狭間古戦場伝説地へ

2023年の大河ドラマ『どうする家康』を勝手に応援企画
第一話で取り上げられるであろう桶狭間の戦いが繰り広げられた桶狭間古戦場と周辺の城と砦を一足お先にめぐってきました。
地図上のマッピングではなく、自分の足で歩いてみると立地や地形、距離感が把握できて面白い。
まずは桶狭間古戦場からスタート!

ざっくり解説 桶狭間の戦いとは?

今川義元が永禄3年(1560年)に尾張に侵攻。尾張を統一したばかりの織田信長とぶつかり桶狭間の地で決戦を迎えました。それぞれ城を取ったり取られたり。取り返すために砦を築いて戦況は拮抗。25,000人の大軍を率いて今川義元は沓掛城に悠々と入った今川義元は合戦の前日に軍議を開き、翌日早朝に大高城を包囲していた鷲津砦と丸根砦を攻撃することを決意。
一方、清州城にいた織田信長はすでに密偵を使ってこの情報をすでに把握していたと考えられていた。義元とは逆に前日の軍議は情報漏洩を避けるべくあえて行わなかったというのは有名な話。信長は鷲津砦と丸根砦を囮にして今川義元本陣を襲撃するべく、自ら先頭に立って中島砦から出陣。「桶狭間」で昼食休憩していた今川義元を急な夕立に乗じて織田信長が急襲!その間たった2時間で信長が勝利しました。

立地について

桶狭間古戦場の場所は明確にはわかっていません。通説では2つあり、それぞれの自治体が「ここが桶狭間の古戦場跡だ」と主張しています。

  • 桶狭間古戦場公園
    名古屋市緑区桶狭間北にある一画。最寄り駅は名鉄の有松駅で、そこからはバスで向かう。公園内は多くの石碑が立ち、ジオラマで合戦の様子がわかるようになっている。
  • 桶狭間古戦場伝説地
    国指定史跡。住所は豊明市栄町。中京競馬場駅から緩やかな登りを5分ほど歩いた先の小さな公園。上り坂の先だけどこれでも谷地。最も古い「桶狭間古戦場の碑」がある。

今川義元の本陣跡とされた「桶狭間山」の石碑がある場所はまた別で、その石碑がある位置も意外と平場。
では、地名から探そうと現在の住所表記が「桶狭間」となっている場所を探すと近いのは前者の「桶狭間古戦場公園」。うーん。何とも判断ができぬ。
今回は後者の「桶狭間古戦場伝説地」説をとりました。1日で周れるだけまわりたかったので電車でのアクセスが良い方を選択。国指定史跡にもなっているしね!

桶狭間古戦場伝説地へ

桶狭間古戦場にまつわる城と砦をまわるにあたって最初に訪れたのは桶狭間古戦場伝説地。名鉄名古屋本線の中京競馬場前駅にやってきました。北側に出ると商店街。南側の出口の近くに桶狭間古戦場伝説地の案内があるのでそれを頼りにやってくると、

中京競馬場前駅
中京競馬場前駅

桶狭間古戦場伝説地の案内看板がありました。

中京競馬場前駅の案内板
桶狭間古戦場伝説地の案内

南側の出口の近くにある駐輪場でパンフレットがもらえると書いてあったのだけど、誰もいなくて資料はもらえず。
この看板を見るとトイレの近くのポストにあると書いてあったけどよくわからなかったです。

館歩道橋
館歩道橋から先は緩やかな坂道

館歩道橋の上から撮影。「桶狭間古戦場伝説地」はこのゆるーい坂道の先にある。

桶狭間古戦場 伝説地

現在は公園となっている桶狭間古戦場伝説地。

桶狭間古戦場伝説地
桶狭間古戦場伝説地

案内板によると、この地は「田楽狭間」または「館狭間」と呼ばれていたそうな。どちらの呼び名であったにせよ、山と山の間の狭間(はざま)の地であったようだ。山に陣取って、狭間のところで決戦になった?のかもしれない。

七石表

桶狭間古戦場 七石表
桶狭間古戦場 七石表

案内板によると七石表とは・・・

敷地内に点在する「七石表」は、義元をはじめとする今川軍7人の戦死場所を示すといわれ、義元がこの地で織田軍に討ち取られたことを伝えています。ほかにも今川義元の墓など桶狭間の戦いにまつわる石碑が多数見られます。

桶狭間古戦場伝説地 案内板より

ということで、ひとつずつまわって見るのも面白い。

桶狭間古戦場 桶狭七石表
桶狭間古戦場 桶狭七石表

 

今川義元戦死所の碑

桶狭間古戦場伝説地 今川上総介義元戦死所の碑
桶狭間古戦場伝説地 今川上総介義元戦死所の碑

「今川上総介義元戦死所」と刻まれている。今川義元の戦死した場所を示す最も古い碑らしい。
江戸時代の明和8年(1771年)に人見弥右衛門黍(あつし)赤林孫七郎信之という2人の尾張藩士によって立てられ、案内板によると人見弥右衛門黍が書いた『遊桶狭記』にその記述があるそうです。
とはいえ、桶狭間の戦いがあったのは1560年でこの時点ですでに200年以上が経過している。果たしてどのような根拠で建てられたのだろうか

今川義元の墓

桶狭間古戦場伝説地 今川義元の墓
今川治部大輔義元の墓

駿河・遠江・三河の3国の国主であった今川義元がここで戦死したと伝わる場所。案内版によると、かつては「塚」があったが有松住人によって明治9年に墓が建てられたそうです。

 


「公園」といっても子供が遊ぶ遊具などはなく、小さなエリア。
一応、トイレもちゃんとあって、トイレにも案内板が。

桶狭間古戦場伝説地 トイレにある案内板
桶狭間古戦場伝説地 トイレにある案内板

なるほど。もうひとつの候補である大池の近くにある桶狭間古戦場の公園は「昼頃に行われた初めの戦い」で、午後2時の主戦場となったのがこの桶狭間古戦場の伝説地というわけか。そういう考え方もアリですわね。でも、だとすると、昼頃の戦いからはいったん退いて、善照寺砦中島砦側から裏にまわられ、挟み撃ちされないように陣取ったのであろうか。

こちらは現地にあった案内板。桶狭間の戦いについてと伝説地にある石碑の配置が解説されている。

桶狭間古戦場伝説地 案内板
桶狭間古戦場伝説地 案内板

亡くなった7人の武将のお墓や慰霊碑だけでなく、桶狭間の戦いのエピソードをモチーフにした石碑もありました。付近の城の配置図、これはいい!
決戦の直前に今川義元がいたという沓掛城にはまだ行っていないので、沓掛城にもいずれ行ってみたい。
もちろんもうひとつの桶狭間古戦場候補の「桶狭間古戦場公園」もね!

桶狭間古戦場 基本情報

  • 築城年:ー
  • 廃城年:
  • 築城主:ー
  • 種類:ー
  • 天守:ー
  • 主なタイトル:ー
  • 主な遺構:なし
  • 文化財指定:国指定史跡
  • 所在地:豊明市栄町南舘11
  • アクセス:名鉄名古屋本線「中京競馬場駅前」駅の「南側」から出て「館歩道橋」を渡るとすぐ。
  • 駐車場:無し
  • トイレ:あり
  • 売店・食事処など:無し
  • 公式サイト:豊明市観光協会 桶狭間古戦場伝説地
  • 女子城メグラー 難易度:★★★★★
    中京競馬場駅前の「南側」から出るとすぐに桶狭間古戦場の案内板があります。歩道橋を渡って緩い坂道を登ればすぐ。電車の本数もそこそこあるので、同じ名鉄名古屋本線最寄りの鳴海駅で降りると鳴海城善照寺砦中島砦もセットでまわれます!

参考資料:
・週間日本の城

2022年12月にまわった桶狭間合戦関連の城と砦。電車と徒歩で1日でまわりました!
桶狭間古戦場伝説地丹下砦鳴海城善照寺砦中島砦丸根砦松平元信「兵糧入れ」の道→大高城鷲津砦
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