2023年の大河ドラマ『どうする家康』を勝手に応援企画!
桶狭間の合戦にまつわる城と砦をまわるこの企画。そもそもの発端となった織田信長方の城だった鳴海城が今川の手に落ちたことにより、鳴海城を囲む付け城として築かれた丹下砦。信長は清州城から出陣し、熱田神宮で戦勝祈願をしたのちに丹下砦に入りました。信長にとって桶狭間の戦いはここからはじまった!その城跡を探しに行きます。
丹下砦とは
桶狭間の戦いについてはこちらからどうぞ。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』を勝手に応援企画 第一話で取り上げられるであろう桶狭間の戦いが繰り広げられた桶狭間古戦場と周辺の城と砦を一足お先にめぐってきました。 地図上のマッピングではなく、自分の足で歩いてみると立地や地形、距[…]
桶狭間の戦いの前哨戦で今川義元方の手に落ちた鳴海城に対し、織田信長が鳴海城の付け城として丹下砦を築きました。城跡らしき跡は残っていないもはや「民家の敷地内の看板のみ」なのだけれど、現地の案内板によると
『尾張志』は砦の規模について、東西四十六間(約84m)、南北四十三間(約78m)と伝えている。
丹下砦 名古屋市教育委員会 案内看板より
ということで、小規模のまさに「砦」レベルの規模感だったようだ。
立地について
鳴海城からは徒歩約10分。10分ですよ!徒歩10分の距離に砦を築いたのかー。
丹下砦があったとされる場所は少し急な高台にあり、丹下砦の西側まで伊勢湾が迫っていました。
鳴海城と陸続きの場所はすべて織田方に固められている状況。怖っ!
丹下砦 縄張図
丹下砦の縄張図はありません
丹下砦へ
鳴海駅から南へ徒歩約20分。この緩やかな路地を登っていく。
鳴海駅の周囲は宅地化がすすみ、丹下砦の周辺も少し坂道がきついけれど住宅街になっている。
坂の上から振り返って見ると鳴海城らしき木々がこんもりとした場所が直線上にあるが、民家やビルが建ち並んでいるため、坂の上からでもあまりよくわからない。
案内板によると『信長公記』には「たんけと云古屋しき」を砦にしたと記載されているそうです。この「古屋」というのはWikipediaによると、鳴海城の北に15世紀後半まで集落があり、その古屋敷を利用したと考えられている。
丹下砦は少し高い場所にあるので、桶狭間の戦いの後にはお役所的な役割は鳴海城周辺に移ったのかな。と思ったけど(鳴海城のほうが広く敷地も確保できそうだし。)、幕末の万延元年(1860年)には鳴海陣屋(鳴海代官所)は、「森下」(地名から推測すると丹下砦よりさらに北の奥にあった?)という場所からこの丹下砦に移ったのち、明治元年(1866年)に閉所となったそうです。
丹下砦 基本情報
- 築城年:永禄2年(1559年)~3年(1560年)か?
- 廃城年:不明
- 築城主:水野帯刀ほか?
- 種類:山城?
- 天守:なし
- 主なタイトル:-
- 主な遺構:なし
- 文化財指定:-
- 所在地:名古屋市緑区鳴海町清水寺40
- アクセス:名鉄名古屋本線 鳴海駅から徒歩20分弱。
- 駐車場:なし
- トイレ:なし
- 売店・食事処など:なし
- 女子城メグラー 難易度:★★★☆☆
名鉄本線鳴海駅から歩いて20分弱ということでアクセスは良いが、案内板があるのみなので万人ウケはしない。ただ、桶狭間の戦いを知る上では数少ない位置が特定できる砦のひとつ。鳴海城の付け城として、鳴海城と丹下砦への距離感と位置関係が把握できるのは歩いてきたからこそです!直線距離だと本当に近い!
案内板は民家の敷地内にあるので、さっくり写真だけ撮らせてもらって退散してください。
丹下砦 散策ログ
丹下砦は案内版しか無いので鳴海城とその付け城群(丹下砦、善照寺砦、中島砦)をまわったログも併せて掲載します。
鳴海駅から距離がありそうに見えるけど、丹下砦は鳴海駅からは徒歩約20分。途中、迷って道を外れることもあったので、間違いなく到着できるなら20分もかからないと思います。鳴海城が途中にあるので、先に鳴海城に寄り、鳴海城の立地を確認してから行くのもおすすめ。鳴海駅からはちょっと距離の長い散歩感覚で行けます。
・週間日本の城