『どうする家康』聖地巡礼 ⑦松平元康に攻め込まれて落ちた丸根砦

2023年の大河ドラマ『どうする家康』を勝手に応援企画!
桶狭間の合戦
にまつわる城と砦めぐり。松平元康(徳川家康)今川義元から命じられて、大高城兵糧入れをする前に攻め込んだ丸根砦です。

丸根砦とは

桶狭間の戦いについてはこちらからどうぞ。

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桶狭間古戦場伝説地

若き徳川家康松平元康時代に今川義元から孤立した大高城に兵糧入れを命じられる。
大河ドラマ『どうする家康』の宣伝で徳川家康を演じる松本潤殿が「お米をいれるだけぢゃ!」と、はりきって向かったのが大高城。とはいえ、大高城は周りを織田信長の付け城で包囲されていてそのまますぐに兵糧入れができるわけでない。松平元康は丸根砦を鉄砲を用いて攻撃し、激戦の末に守備に回った丸根砦にいた城兵は全滅したと言われています。

丸根砦と大高城の位置関係と距離感は大高地域観光推進協議会「大高を巡る」をみるとわかりやすい。
今回は北にある鳴海城とその付け城をまわった後、中山砦から歩いて丸根砦に向かいました。

大高地域観光推進協議会「大高を巡る」より 
大高地域観光推進協議会「大高を巡る」より

立地について

大高城の東側に築かれた織田信長方の砦跡。標高約30mの高台に築かれていて、東西36m、南北28mの砦の周囲には幅が約3.6mの外堀がめぐっている。駅近で、周囲は住宅街で子連れの家族の散策コース担っています。

丸根砦 縄張図

縄張図はありませんが、現地案内板より。丸い郭の周りを外堀がめぐっています。

丸根砦
現地案内板より

 

丸根砦へ

この日のコースは中島砦から大高緑地の近くの道を通って丸根砦へ。「緑区史跡散策路」という史跡や寺社仏閣をまわるコースに丸根砦や鷲津砦が設定されていました。イメージとしては看板写真の①の地点からまっすぐ歩いて⑤の左(北側)から丸根砦に入りました。

緑区 史跡散策路
緑区 史跡散策路 案内板より

直線距離では⑤丸根砦から④鷲津砦に移動し、大高城へ行くことも考えたのだけど、丸根砦から東海道本線の反対側にある大高城に行き、兵糧入れの道を歩きたかったので、丸根砦→大高城→鷲津砦の順でまわることに。

丸根砦から大高城、兵糧入れの道のレポと大高城編はこちらから

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大高城 二の丸への土橋と堀

丸根砦から大高城への道は過酷だった・・・
写真だとアップダウンがわかりづらいけど、鳴子団地大高線(国道)の大高町倉坂の坂がめちゃくちゃしんどかった。

訪れたのは2022年11月9日だったのですが、この日は暑くて途中で着ていたダウンコードを脱ぐ始末。それでこのアップダウンの連続はしんどかった!

そして国道を右に入るところがそろそろ出てくるなと思ったら、最後の最後にこの急坂!
泣ける・・・。

ゆるく左にまわりこみながら登ってこれで終わりかと思ったら今度は右にまわらされる。なんたる食い違いな急坂よ!

登り切ったところで開けた景色!

丸根砦付近から鷲津砦方面を眺める
丸根砦付近から鷲津砦方面を眺める

写真の左奥に見える木々が茂っている小山が鷲津山で、鷲津砦が置かれた場所はこの写真の角度から説明すると、この写真の角度でいうと、鷲津山のもっと奥のほうだったようだ。だいぶ遠くにあるように見えるけれど、丸根砦と鷲津砦は徒歩10分程度。これまた近いな!
ちなみに大高城はこの写真からいうと見切れた左側の位置にあります。

視界が開けて鷲津砦方面まで見渡せるのはここだけ。現在は工事中のようなので、しばらくしたら家が建ち、ここから眺めることはできなくなるかもしれない。

さらに5分ほど歩いて丸根砦に到着。最後にまた坂だー。

丸根砦の看板付近に車がつめれば2台は停められそうだけど、途中の道も広くはないので、やっぱりここも歩いて来たほうがよさそう。

丸根砦
丸根砦と案内板

右側に階段があって、階段を上った先がおそらく本丸???

丸根砦 空堀
丸根砦 空堀

階段を上がらずまっすぐに行けば空堀をぐるっとほぼ一周、まわることができる。

丸根砦
丸根砦
丸根砦 郭への階段
丸根砦 郭への階段

登っていくと平場に出る。これは明らかに郭として整地されているね。
この写真の右側は一段落ちた平場になっていて、帯郭と思われる。

丸根砦
丸根砦

中央にあるのは城址碑ではなくて、丸根砦の慰霊の碑。

丸根砦 慰霊碑
丸根砦戦殉難烈士之碑

そうよね。丸根砦は松平元康(徳川家康)の攻撃を受けて壊滅したんですもんね・・・。
信長の命によって守備を任された佐久間盛重は討ち死にしました。

このまま進めば鷲津砦に抜けられるようだが、次は大高城に行く予定だったのでこの案内には従わず。

丸根砦
鷲津砦への案内

よく見れば、奥に丸根砦の城址碑あった💜

丸根砦 城址碑
丸根砦 城址碑

戻ってきて写真を整理したときに気づいたのですが、郭を囲んだ空堀の写真を撮影を忘れたようだ。暑さと疲労、さらにミラーレス一眼のレンズが認識しなくなり、無用の長物になったりでスマホで撮影していたんだけど、入口付近の空堀を撮影したのみで失念・・・。とにかく一周まわらねばという気力だけでまわる

こちらは南側の入口付近に立っていた丸根砦の案内看板。

丸根砦 案内板
丸根砦の空堀を一周 案内板発見!

丸根砦の空堀の西側を歩いていると案内版がありました。ここから大高城が見える!

丸根砦
大高城は丸根砦の西側にある

丸根砦の西側。案内板と同じアングルで撮影。中央よりやや右側の煙突?のようにひときわ高い細長いビル?が建っているあたりが大高城。よく見えるな!

丸根砦から眺める大高城
丸根砦から眺める大高城

丸根砦の散策はこれで終了。ログを後から確認したら、堀を歩いたのでまーるいログが取れてました
残念ながら丸根砦は遺構は整地された郭とそれをとりまく空堀しかないものの、砦の雰囲気はよく残っている。私が歩いた北側の入口、南側の入口のどちらを目指しても急坂にぶつかりますが、桶狭間の戦いを勉強するうえでは、ぜひ現地に足を運んでぜひ大高城、鷲津砦との距離感を体感してください!

 

丸根砦 基本情報

  • 築城年:永禄2年(1559年)~3年(1560年)か?
  • 廃城年:永禄3年(1560年)
  • 築城主:佐久間盛重ほか
  • 種類:山城
  • 天守:なし
  • 主なタイトル:-
  • 主な遺構:曲輪、空堀
  • 文化財指定:国指定史跡
  • 所在地:愛知県名古屋市緑区大高町丸根
  • アクセス:JR東海道線 大高駅から徒歩約15分。中島砦からだと30分弱。
  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし
  • 売店・食事処など:なし 城内にはベンチもなく、休憩には不向き。
  • 女子城メグラー 難易度:★★☆☆☆
    丸根砦は大高駅から徒歩15分、この前に行っていた中島砦からは徒歩30分弱。高台に築かれていて、中島砦から来ると一気に標高35mから一気20m→さらにまた一気に32mと急な坂道を登るので30分弱の道のりとはいえ、想像以上に疲れました。
    今回の道のりは、中京競馬場駅の桶狭間古戦場も含めて10km歩きましたが、今までになくしんどい10kmに感じた・・・。
    大高駅からでだと丸根砦の南側から入ることになるが、こちらもそこそこ登ります。
    とはいえ、今回まわった桶狭間の戦いがらみの城であれば「砦らしい雰囲気を持つ唯一の城跡」なので、おすすめです!

 

丸根砦 散策ログ

右側にある赤線の道が中島砦からの道。平坦ではなく小刻みにアップダウンがあるのでけっこうしんどかった・・・。
文字通り丸い丸根砦の外堀もめぐり、大高城の兵糧入れの道を通って大高城へ向かいました。

大高城と2つの付け城
大高城と2つの付け城

丸根砦の城址碑を見てから空堀を一周。砦らしい雰囲気が味わえた15分の散策でした。


参考資料:
・大高地域観光推進協議会「大高を巡る

2022年12月にまわった桶狭間合戦関連の城と砦。電車と徒歩で1日でまわりました!
桶狭間古戦場伝説地丹下砦鳴海城善照寺砦中島砦丸根砦松平元信「兵糧入れ」の道→大高城鷲津砦
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