『どうする家康』聖地巡礼 ⑥桶狭間の戦いで信長が向かった中島砦

『どうする家康』の聖地礼企画!
直接に松平元康(のちの徳川家康)が関わっている城ではないものの、桶狭間の戦いを語る上では重要な鳴海城の付け城である中島砦織田信長が最初に本陣を置いた善照寺砦から今川義元を討つべく出陣するために入った砦です。

中島砦とは

桶狭間の戦いについてはこちらからどうぞ。

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桶狭間古戦場伝説地

桶狭間の戦いで織田信長が鳴海城を取り囲んで築いた3砦(丹下砦善照寺砦中島砦)のうちのひとつ。信長は善照寺砦に本陣を置いたのち、今川義元を討ちに中島砦へ向けて出立します。

 

中島砦 立地について

現在の中島砦跡は鳴海駅からは5分ほどの扇川に面した住宅街にあります。中島砦がある場所は扇川が二股になって流れる間の中州に築かれていました。そのため、鳴海城の他の付け城のなかでは小山ではなく、わりとフラットなところにある。今回、織田信長がたどったのと同じルートで善照寺砦から中島砦に向けて歩きましたが、歩いて20分ぐらいの距離感。当時は中島砦への道のりは、まわりは田んぼで一騎駆けがやっとの道。今川方にとられた鳴海城からは見渡せる位置だし、信長はそんな道を進むのは「危険だ!」と家臣に止められたというエピソードが残っています。

中島砦 縄張図

縄張図はありません

 

中島砦へ

善照寺砦から歩いて20分。途中は住宅街の中にある道をずっと歩き、コンビニもないようなところなので心細くなりつつも中島砦跡に到着。

中島砦跡
住宅街の中にある中島砦跡

看板には「所有地の方のご厚意により見学できます」と書いてあったのだけど・・・。

城址碑どこだ!?

行った人の写真を見るとちゃんと城址碑があるようなんだけど・・・。
「見学できます」とあるけど門の中に入ればよいのか?それとも側道みたいなところを入るのか?

中島砦跡
私有地をご厚意で解放いただいています

結局、現地にいるときには気づかなかったんだけど、写真の中にあった!!!

中島砦 城址碑
中島砦 城址碑

行ったときはうっそうとした木々の一角にあったので気づかなかった。
と・・・とりあえず城址碑は写真に収められたのでこれでミッション完了。

改めて周りを見回すと、中州に築かれていたという名残の扇川。

中島砦
中島砦の前を眺める扇川

この中島砦の裏側に扇川のもうひとつの枝分かれている川が流れていたのか。

ちなみに鳴海駅はこの写真でいう正面方向。鳴海城は右奥の方向となる。

中島砦
中島砦から鳴海城の方向を眺める

鳴海城を囲む3つの砦はどれも鳴海城から徒歩10分強の距離!
こんなに近くに砦を築く織田信長・・・恐ろしや。怖くないのか!?

鳴海城の付け城巡りを終え、大高城とその付け城めぐりに向かうのでありました。

中島砦 基本情報

  • 築城年:永禄2年(1559年)~3年(1560年)か?
  • 廃城年:永禄3年(1560年)
  • 築城主:織田信長
  • 種類:-
  • 天守:なし
  • 主なタイトル:-
  • 主な遺構:なし
  • 文化財指定:-
  • 所在地:愛知県名古屋市緑区鳴海町下中13
  • アクセス:名鉄名古屋本線「鳴海駅」から徒歩約10分。扇川が二股にわかれる細いほうの川沿い、住宅街の一角にある。
  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし
  • 売店・食事処など:なし
  • 女子城メグラー 難易度:★★★★☆
    鳴海駅から徒歩10分、鳴海城からでも徒歩10分。善照寺砦から向かうと登り切ったところから下りとなるが基本は平坦な道。住宅地の一角なので宅地開発により遺構はないが、鳴海城の付け城として位置関係と距離感を把握できます。

 

中島砦 散策ログ

善照寺砦は案内板も無い状態なので鳴海城とその付け城群(丹下砦、善照寺砦、中島砦)をまわったログを掲載します。

鳴海城と付け城群
鳴海城と付け城群

鳴海駅から徒歩約10分。その前に訪れていた善照寺砦からも10分強。滞在時間は約5分とコンパクトな城散策でした。


参考資料:
・週間日本の城

2022年12月にまわった桶狭間合戦関連の城と砦。電車と徒歩で1日でまわりました!
桶狭間古戦場伝説地丹下砦鳴海城善照寺砦中島砦丸根砦松平元信「兵糧入れ」の道→大高城鷲津砦
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