無事に丸根砦から兵糧入れの道を通って大高城へ到着。三の丸から入り、土橋を渡って二の丸に侵入します。
二の丸
二の丸は本丸の南から東を囲んでいる大きな曲輪。
この日、持っていたカメラのレンズが認識しなくなってしまい、使えなくなったのでスマホで撮影したんだけど、フレアがひどい。心霊写真か!?と思うほど逆光の時に緑の光が入ってしまった。
二の丸は土橋を渡って右側(東から北)にかけて広がっているんだけど、土橋を渡った左側に小さい曲輪が広がっていたようだ。藪藪していて良くわからずでした。
二の丸の奥(北東側)からは丸根砦と鷲津砦が見える。写真の正面、マンション群の左奥にある木々がうっそうとしているところが丸根砦。鷲津砦は写真の見切れた左側にありました。建物が並んだ現代でさえ、良く見えるのよぉ。
ふと目線を下げると見事な切岸。三の丸から入るといったん大高小学校までの登って降りてきたので、さほど高いようには思えなかったけど、海岸寺周辺を歩いているときはそうだね、たしかに大高城は高く見えたっけ。周囲と比較すると高いところに城が築かれていたんだなぁと再認識しました。
本丸
二の丸の西側の階段を登って本丸へ。二の丸からは一段高くなっている。
本丸には稲荷社が築かれているだけで、遺構はよくわからない。
本丸の西側の奥に稲荷社があって、そこから東側に広がっているんだけど、もはや藪しかない。
残念ながら、この日の服装は女子旅仕様であったため、藪の中には入れず断念。
大高城の本丸散策は終了。丸根砦からの兵糧入れも無事完了したので、二の丸の北側にある出口から退城です。
こちらが大高城への現代の出入口。坂道をのぼればすぐに二の丸に出られます。でも、二の丸と本丸を散策して終わるのではなく、ぜひ、三の丸との間の土橋と堀は見てほしいです。
大高城公園の麓の遊具があるこのエリアは本丸の裏にあたり、帯曲輪だったようだ。
大高城公園の北側の入口には城址碑、案内板がセットであるので、時間がなかったり体力に自身がなければこちらから出入りするのがおすすめです。
大高城の散策はこれで終了なのだけど、最後にもう1ヶ所、歴史スポットを取り上げておきます。
大高城 城下町の名残
大高城の北側の出入口から東側に城下町の名残を残す「辻の秋葉社」と呼ばれるお社があります。
辻の秋葉社
辻の秋葉社を南から北にかけて鉤型に曲がって囲んでいるように道路が通っているのだけど、これが常滑街道。案内板によると、江戸時代半ばに市場が開かれたり、幕府の命令を知らせる「高札場」もここに設けられたそうで、中には「キリシタン禁制」の高札も掲げられたという。
案内板によると、このお社がある周辺を「辻」と呼んでいて、昔の大高城の城下町の道そのままの鉤型になっているそうです。
この写真でいうと常滑街道は社の前と右側。囲むように鉤型に曲がっている。かつての街道の名残もぜひ確認してみてください。
それにしてもスマホで撮影すると逆光の時のフレアがひどいな。
大高駅を通ってこの日最後の目的地である鷲津砦へと向かいました。
大高城 基本情報
- 築城年:永正年間(1504~1521年)
- 廃城年:不明 松平元康(徳川家康)が三河に戻って廃城。
- 築城主:花井備中守?
- 種類:山城
- 天守:なし
- 主なタイトル:-
- 主な遺構:空堀、土橋、曲輪
- 文化財指定:国指定史跡
- 所在地:愛知県名古屋市緑区大高町城山
- アクセス:JR東海道線 大高駅から徒歩約10分。「兵糧入れの道」から入る場合は南側にまわり、大高小学校の手前までの急坂を登り、大高小学校を過ぎるあたりで南に三ノ丸への入口に入れる案内が出てくる。
- 駐車場:なし
- トイレ:本丸にポツンと簡易トイレあり
- 売店・食事処など:無し 確かベンチも無かったと記憶。
- 女子城メグラー 難易度:★★★☆☆
城跡に向かうまでに急坂はあるが城内に入れば整備されていて難所は無い。松平元康(徳川家康)の「兵糧入れの道」から入るには、いったん南側の大高小学校まで行ってまわり込んで入る必要があるが、この急坂がなかなかきつい。城めぐりをしたあとでは、くじけるほどしんどいので、疲れているなら北側の入口から入る方が楽だし道もわかりやすいです。近くに食事をするところはないので、事前に食事を済ませて行ったほうがよいです!
大高城 散策ログ
右側にある丸根砦から菊井橋を渡って津島社の前を右に折れると松平元康(徳川家康)の兵糧入れの道。海岸寺の前を通っていったん大高城の南の大高小学校の前の道を通って細い道を北上すると大高城の三の丸に着きます。
※赤丸で囲った部分が兵糧入れの道です。
丸根砦を出て40分。大高城の滞在時間は約20分。兵糧の道や常滑街道沿いの辻の秋葉社まで「道」も堪能した大高城でした。
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