東京から遠出をせずに城めぐり。かろうじて城址碑があるような、伝承だけしか残っていないような城跡を「東京お城散歩」としてめぐります。
今回はJR京浜東北線の上中里駅にある平塚城。飛鳥山城、滝野川城がある王子駅からも歩いて行ける距離にあります。
豊島氏の城だったと伝わるけれど、こちらもまた遺構が全くない城跡。むしろ本当にこの近辺にあったのか?さえもよくわからない城跡です。
平塚城とは
別名「豊島城」。
平塚神社の社伝「平塚明神并別当城官寺縁起絵巻」によると、平安時代末期に豊島氏が築城して以来、代々豊島氏の居城であったと伝わる。長尾景春の乱(1476~1480)の際には豊島氏の拠点として資料に出てくるが実態は不明。太田道灌に攻められて落城したという。
室町時代に豊島氏が石神井城を築いて本城とし、練馬城と平塚城が支城となったと考えられている。
所在地は以下の2つの説があり、どちらも近いところにあります。今回は平塚神社を歩いてきました。
- 平塚神社付近
- 同じく北区上中里にある城官寺(じょうかんじ)付近
平塚城 基本情報
- 築城年:平安時代?
- 廃城年:1478年
- 築城主:豊島近義?
- 種類:平山城
- 天守: -
- 主なタイトル: -
- 主な遺構:なし
- 文化財指定:なし
- 所在地:東京都北区上中里1-47-1 (平塚神社)
- アクセス:JR上中里駅から徒歩数分 平塚神社内
- 駐車場:あり 平塚神社内
- トイレ:なし
- 売店・食事処など:なし
- 女子城メグラー 難易度:★★★★★
JR上中里駅のすぐ前。街中を歩くそのままの姿で行けます。
とにかく情報が無い!
2021年に出版された100,38もの城が掲載されているという日本の城辞典にかろうじて載っている程度!
まさに今回の「城址碑も無いような城を探して散歩する」という「東京お城散歩」のコンセプトにぴったりな城です。
遺構とみどころ
厳密に所在地は特定できてはいないものの、近年の発掘により遺構は見つかっているが、宅地化されてしまい、現在は見当たらない。
神社より本郷通りを隔てた南西側向かいからは、14世紀代のものと思われる幅20メートル以上の切岸(虎口形態をとる)、径8メートルの井戸・道路状遺構・土間状遺構・区画溝・柵列の跡や墓壙群(15世紀後半)などが発見され、多数の人骨・馬骨・24点の板碑・宝篋印塔・五輪塔・瀬戸や美濃、常滑など陶器類・カワラケ・銭貨・和鏡・鉄製杏葉轡などが出土した。
さらに、平塚神社より西北400mにある七社神社から本郷通り越えた南側地点では切岸、篝火の跡(北区教育委員会は「敵の夜襲に備えたもの」との見解を示している)などが確認され、神社北側からは竪堀と二間×二間の井楼櫓の跡も検出された。北東の台地縁辺にも竪堀が構築されており、東脇の前面に板張りのテラスを設けた跡、崖線に沿っては犬走り状の平場が見つかり、竪堀はこの犬走りと連結して出入り口の役割を果たしていたものと推測された。

Wikipediaの内容を参考に本郷通りを歩いてみたけど、完全に宅地化されているので遺構はまったくわからず。
切岸どこぉー!?井戸どこぉー?!
七社神社にも行ってみましたがその周辺も遺構は見つけることができませんでした。
立地について
この周辺は京浜東北線を挟んだ東側と西側で地形が変わる場所で、平塚城があったとされる上中里駅の西側はゆるやかに高くなっています。

豊島氏は練馬区にある石神井城を本城とし、旧としまえんがあった練馬城、JR京浜東北線の上中里駅周辺にあったという平塚城を築きました。
豊島氏の一族であった滝野川氏の本城だった滝野川城(金剛寺)とその支城の飛鳥山城を含めて見ると、どれも石神井川周辺に築城されているのが地図上でもわかります。
平塚城 縄張図
平塚城の縄張図はありません。
平塚城 御城印
平塚城の御城印はありません。
平塚城へ
平塚城の所在地には、①平塚神社と②城官寺の2つの説がありますが、今回は平塚神社に行ってみました。
平塚神社
JR京浜東北線の王子駅からだと少し歩くけれど、上中里駅からなら歩いてすぐ。蝉坂を上った先に平塚神社の入口があります。
- 蝉坂
- 平塚神社
「蝉坂」は太田道灌が攻め入った際の「攻め坂」が転じて「蝉坂」になったという説もあるそうな。
蝉坂の都有にも平塚神社への入口があり、すぐ社殿まで行けます。



平塚神社の案内板には残念ながら城としての案内は無いけれど、源頼朝・義経の先祖である源義家を祀っていることが書かれている。
源義家は欧州征伐中にこの地を訪れ、領主の豊島太郎近義に鎧を下賜したそうな。豊島近義は拝領した鎧を埋めて塚を築き、自分の城の鎮守としました。「甲冑塚」と呼ばれたこの塚は「平塚」の語源になっていて、高さがないために「平塚」と呼んだそうです。


Wikipediaには遺構の記述はなかったけど、この社殿の奥が「城跡」を思わせる。入ってみたかったけど立ち入り禁止なので断念。
ちなみに王子駅から上中里駅を駅沿いにつないでいる「飛鳥の小道」を歩いてくると、平塚神社が台地のさらに高いところにあるのがわかる。


王子駅からのは入口は民家の隙間を通っていくのでわかりづらいけれど、線路沿いに出るとこんな感じで散策しやすい通路となっている。紫陽花の季節がおすすめです。
王子駅から飛鳥の小道を探して歩いていると、かなりの高低差でした!
続いて、上中里駅と王子駅の間にある七社神社へ。七社神社で遺構が見つかったということではないのだけど、この周辺から発掘されたということで、行ってみました。
七社神社
七社神社は上中里駅と飛鳥山城があったとされる飛鳥山城の最寄り駅、王子駅のちょうど中間地点。
旧社殿はこの地の郷土の偉人、渋沢栄一を筆頭とする人たちによって建てられたそうです。
遺構が発掘されたのはこの神社から本郷通りを挟んだ南側で、切岸とかがり火の跡が出てきたそうな。
この神社自体には遺構は無いですが、遺構があった場所の規模感を感じていただければ。駅1/2分の距離。なかなか広いぞ。
七社神社の案内でも城に関する記載はない。
飛鳥山の博物館にもこの城に関する展示は特になく、もう宅地化されているので大規模な建て替えが無い限りはこれからの数十年は難しいと思いますが、新発見を待ちたいです。
最期に、北区周辺の豊島氏関連の城について、おすすめの散策ルートです。
上中里駅→平塚神社→七社神社→飛鳥の小道を通って→飛鳥山城→滝野川城→王子駅飛鳥山は博物館内にカフェがあったり、キッチンカーが出ていることもあるので休憩におすすめ。飛鳥山博物館では街道と宿場跡についての展示がありました。「渋沢×北区 飛鳥山おみやげ館」では、稲付城、飛鳥山城、滝野川城の御城印が売っています!
<終わり>