高梨館の西側南小口から入って主郭部分へやってきました。建物跡、井戸跡が出てきているが見どころはやはり庭園跡!
庭園遺構
高梨館跡の見どころ、庭園遺構!
土塁に囲まれた、庶民は入れない特別贅沢な場所。
土塁を背景にして左に滝を模した滝石、右側におそらく山を模しているのかな?立石があり、石組で池を表現した枯山水庭園。池の中には島まで表現されている。
案内板によると、当初は滝石から水が流れていたそうですが、滝へと続く導水路は埋められ、枯山水様式として造り変えられたようです。
そしてこの庭園を眺めるように会所と思われる大きな建物(第3号建物跡)が建てられていました。
建物から庭を眺める。風流だなぁ。
北東側の土塁もきっちりと角になっている。
井戸跡
おそらく井戸跡と思われる跡。
建物跡
建物跡も平面復元されていて、建物の規模感がわかるようになっている。
北東隅の土塁に登って眺めてみた。土塁、高いな!
西側北小口
西側の奥にあるもうひとつの小口。こちらも石が露出している。
主郭を囲む土塁
それにしてもこの土塁の高さ!北側の土塁と堀が一直線に伸びている。すぐ脇には民家が迫っていて、この地を守ってくれていた高梨氏の縁者の方々には感謝しかない。
これは井戸跡かな?
その後の高梨氏は、天正10年(1582年)に武田信玄が亡くなり、織田信長も本能寺の変で亡くなると上杉方につき、上杉景勝の代に会津に転封になるとそれに従って一緒に会津へ。高梨館は廃城となりました。
高梨氏の子孫の方や配下だった人々の縁の人々に守られた高梨館は現在は公園化されて自由に見学することができ、大きな駐車場もあります。土塁と堀の跡は圧巻。枯山水の庭園の復元度合いもなかなか良いです。
当時の国人領主の館の規模感を知るにはおすすめな城館跡です。
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