太閤の湯殿館には有馬温泉の歴史についての解説もあるのだけれど、豊臣秀吉関連の出土品や古文書などの一次資料も充実している。
有馬と太閤秀吉
天正7年(1579年)。信長の出陣のために秀吉が山口荘(有馬郡)の百姓に路地の普請を命じたことから秀吉と有馬の関係が始まる。
「阿弥陀堂に寺領を安堵する 仙谷秀久を湯山奉行に任命する」とか、有名武将や著名人も出てくるのでこの年表を見ているだけで面白い!

その武将の武功を連ねた歴史年表よりも、詳細な郷土史ってその人となりが見えてくるので興味深い。

なんと秀吉、15年の間に9回も有馬温泉に来てた!![]()
奥方のねねさんと一緒だったり、石田三成や千利休など御付きの人々を連れてきたり。1週間ぐらいの場合もあれば数か月も滞在したりと、滞在日数を合計すると、有馬で過ごした日数はかなりなもの。あの遺構の岩風呂と蒸し風呂を使用していたのだろうなぁと想像してみたり。
興味深いのは慶長元年(1596年)の慶長伏見大地震の時には御殿が大破したということで、有馬の湯は熱湯になって入湯不能になったとのこと。自然のことだけは秀吉の思うままにはならない。
大破した御殿の再建は諦めたそうで、秀吉のすごいところは、その土地を元の所有者の65人に返却したそうな!秀吉が有馬の人に愛され続けるのはこのような対応をしていたからなんだろうな。
改めて別の御殿の新築を命じたが、残念ながら暴風雨により来ることができず、そのまま亡くなったという。
有馬の人に愛された秀吉はこの地に数々の諸城を残しています。
- 豊臣秀吉室 杉原氏寄進状(複製)
- 有馬茶会記(複製)
秀吉の奥方のねねさんからの寄進状だったり、有馬で行われた茶会の記録だったり。この茶会の記録によると亭主は秀吉、客は千利休に小早川隆景、津田宗及とまぁ、すごい面々。
複製ですが秀吉の書状も。秀吉の花押、かっこいいんだよな。

こんなものも出土しています。屋根を飾った龍の棟飾りの瓦たち。
- 竜紋棟飾り瓦 復元模型
- 出土した竜紋棟飾り瓦
- 出土した焼き物や陶磁器
- 軒丸瓦 軒平瓦 桃の鬼瓦
秀吉流 温泉リゾートの過ごし方
さらには湯山御殿で秀吉がどう過ごしていたかがわかる出土物もある。

左から湯垢のかたまり(温泉部を運んでいたパイプである樋は朽ちて無くなっている)、軽石、碁石。
安土桃山時代のものだと判明している軽石は岩風呂から出土している。おぉぉぉ。角質ケアしてたのか!![]()
そして黒い囲碁の碁石。黒い碁石は那智黒石で作ったもので、自然石をそのまま使っていたようだ。白い石は朝鮮蛤で作られていたが、貝はカルシウムのかたまり。400年の間で酸性の土の中で溶けてしまい、黒石だけが残ったということらしい。
岩風呂で温泉につかり
蒸し風呂でサウナに入って湯治をしながら
茶をたて、囲碁を打つ
まるで温泉リゾート
なんと素敵な湯治ライフ!![]()
秀吉だけでなく、戦国武将と温泉の関わりは深いものですが、「刀傷を治す」という直接的な目的だけではなく、秀吉の温泉の使い方は、家族や腹心の部下、本願寺顕如などかつての敵対者の招待に使うなど接待と福利厚生の意味合いも兼ね備えた温泉リゾートだったのでしょうね。
湯山御殿 建物はどこに?
「秀吉の秀吉による秀吉のための温泉リゾート」であった湯山御殿ですが、発掘をした範囲の中では御殿の建物の礎石は検出されていませんが、庭園の池の構造や滝の位置関係、また付近の地形から推測すると、御殿の建物は極楽寺本堂から向いにある念仏寺のある地点にあったと考えられているそうです。
よほどのことがない限り、念仏寺の周辺も含めた発掘は難しいでしょうが、いつか御殿の遺構が出てくるといいなぁ。と思うのです。
太閤の湯殿館
- 住所:神戸市北区有馬町1642
- アクセス:神戸電鉄有馬線 有馬温泉駅から徒歩10分。極楽寺内
- 営業時間: 9:00~17:00(最終入場は16:30)
- 駐車場:不明 行った感じでは無かったようです。
有馬 瑞宝園
2024年2月に宿泊しました!
有馬温泉の温泉街からは奥のほうにあるため有馬温泉駅からは徒歩20分。しかも坂道を登るという少々アクセスは悪いですが、他の宿より安くて泊まりやすく、コスパの良いホテルです。夕食には神戸牛のしゃぶしゃぶ!おいしかった!温泉は「銀泉」に入ることができます。
秀吉が囲碁を打ったという碁盤の石がある瑞宝寺跡は散歩圏内です。
湯山御殿 「曲輪遺構」編へ続く
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