大阪城「豊臣石垣館」の内覧会に行ってきました!

2025年4月1日に大阪城でオープンする「豊臣石垣館」
首を長くして待ち続けていた豊臣期の石垣。一般公開に先駆けて、内覧会に参加してきました。

大阪城 豊臣石垣館とは?

大阪市が豊臣石垣館を作るために「太閤なにわの夢募金」で寄付を募集しているのですが、2022年にはクラウドファンディングでの募集がありました。そのリターン(返礼品)として、建設中の「豊臣石垣館の内覧会への参加」があり、今回はその招待を受けて行ってきたというわけです。

「太閤なにわの夢募金 クラウドファンディング」の企画内容についてはこちらをどうぞ!

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大阪城

 

豊臣期の石垣について

現在の大阪城は豊臣秀吉時代の城を崩して埋めて盛り土をしたところに徳川が建てたもの。それが今、私たちが見える範囲の大阪城です。
それが発掘とは別の目的で掘ってみたら、なんと豊臣期の石垣が埋まっていた!
公式サイトに豊臣期、徳川期の大阪城の本丸を重ね合わせた図があって、発見された石垣がどの部分だったのか?がよくわかります。
豊臣石垣館にも展示室に入るとすぐに同じ図があるので、ぜひじっくり見てから石垣の展示に向かっていただきたい。

豊臣期・徳川期本丸重ね合わせ図
豊臣期・徳川期本丸重ね合わせ図

大阪城 豊臣石垣公開プロジェクトより

豊臣石垣館へ

内覧会の予約を10:00に入れてしまったので、東京から始発の新幹線で新大阪へ。予約時間まで余裕はあるのだけれど、インバウンド客が去年あたりから激増し、新幹線の始発が到着する時間帯以降はコインロッカーが一気に埋まるので早めに向かいました。
地下鉄の谷町四丁目駅から大阪城を目指すと巨大な水堀が見えてきます。

 

豊臣石垣館へ行く際には、本丸の天守を目印にするとわかりやすいです。
大阪城天守閣の東側にある金蔵の隣に豊臣石垣館があります。

大阪城 豊臣石垣館
大阪城 豊臣石垣館
大阪城 金蔵の奥に豊臣石垣館
金蔵の奥に見えるのが豊臣石垣館
場所は何度か移されていますが、建物としては徳川時代に造られた蔵で重要文化財に指定されています。
2023年に開催された大坂の建築祭「イケフェス」で限定公開されたので内部に入ってきました。なかなか興味深かったです。
そのときのことは別の機会に。

 

豊臣石垣館は1階と地下1階の2層になっていて、豊臣期の石垣は地下1階で展示されています。

豊臣石垣館 入口
豊臣石垣館 入口
大坂夏の陣図右隻 複製陶板
大坂夏の陣図右隻 複製陶板

入口には大坂夏の陣図 右隻が。ここに描かれた時代の石垣が待っているわけですよ!

1階はパネル展示のみですが、豊臣期の石垣の発見の経緯や、豊臣期と徳川期の本丸の縄張の違い、さらにどの部分の石垣だったのか?が前述の「豊臣期・徳川期本丸重ね合わせ図」とともに掲載されていました。数は多くないので、焦る気持ちは抑え、これを見ておくとさらに理解が深まります。

そして階段を降りて豊臣期の石垣とご対面!

 

地下1階 豊臣期石垣を見に行く

そしてこれが豊臣期の石垣だっ!

豊臣石垣館 詰ノ丸の石垣
豊臣石垣館 詰ノ丸の石垣

見えているのはほんの一部だけれど、圧巻。

詰ノ丸石垣 人の大きさと比較して!
詰ノ丸石垣 人の大きさと比較して!

石垣の大きさがわかりやすいように、人を入れて撮ってみました。
この構図で見るとそんなに高いように見えないけれど、覗き見ると下まで続いている。

豊臣期の本丸は最も高い「詰ノ丸」、その下に「中ノ段」、さらに下にある「下ノ段」と三段構成になっていて、展示されているのは「詰ノ丸」の石垣です。この石垣は約6mの盛り土の下から出てきたわけで、その盛り土の高さから下ノ段の高低差は10m!ずいぶんと盛り土をしたものです。いや「盛り土をした」というより完全に「埋めてしまいたかった」のだろうな。

昭和59年(1984年)に見つかったこの石垣が「詰ノ丸の石垣」だと判明したことにより、その前の昭和34年(1959年)に発見された石垣は、一段下の「中ノ段」の石垣だと断定できるようになりました。それまでどこの石垣なのかがわからず「謎の石垣」とされていたものが、この目の前にある石垣の発見によって明らかになったわけです。

見どころ① 焼けた跡がくっきり残る石垣

まずは赤く焼けた跡が残る石垣を見るべし!

豊臣石垣館 石垣の焼けた跡
豊臣石垣館 石垣の焼けた跡

写真右側の丸印にある四角い石は左下が少し赤くなっている。これは大坂夏の陣の時に焼けた痕跡と考えられている。
その石から左下の丸印の中にある大きな三段の石は、熱で表面が剥離してしまったそうです。

・・・壮絶。

この方向から見ると「おぉ。野面積みだねぇ。きれいに成形されている大きな石はどこかから持ってきたのかねぇ。」という感想だったのだけど、角度を変えるとすごかった。

見どころ② 発展途上の算木積み!

詰の丸の石垣 角は算木積みだった!
詰の丸の石垣 角は算木積みだった!

しっかりと算木積みではないか!

野面積みと相まってこの無骨な感じがもうたまらん!

比較として、同じ大阪城の桜門付近の石垣の写真も掲載しておきます。

大阪城 本丸入口 桜門付近の石垣
大阪城 本丸入口 桜門付近の石垣

徳川期となると隅石はきれいに加工された算木積みとなっていて、石の加工具合や積まれ方がだいぶ洗練されている。
(豊臣期の石垣がイケてない、と言う意味ではないですよ!)
同じ城でも時代が変わるとこうも違う。

見どころ③ 豊臣期の石垣は、上からも見よ!

石垣の展示スペースはこれだけなのですが、まだ終わらない。
石垣のすぐ脇に階段があって、上から眺めることもできるのです。

ほうほう。裏込め石の様子もよくわかるのね。と眺めていたら。

大阪城 詰の丸の石垣 転用石がある!
詰の丸の石垣 転用石がある!

石塔の台座!? 転用石ではないか!

豊臣石垣館 石塔の台座と五輪塔
詰ノ丸の石垣 石塔の台座と五輪塔
  • 右上の丸囲み 石塔の台座として使われていたであろう転用石。
  • 左下の丸囲み 墓地にあったであろう五輪塔からの転用石。

見つけた瞬間は思わず「ふぉっ」という変な声がでてしまったよ。

案内版を見ると、算木積みになっている大きな石の中には古代寺院の礎石と考えられるものもあるそうです。

 

一度は見ておくべき!豊臣石垣館

石垣の展示スペースはこれで終わり。階段を上って一階に向かうと大スクリーンで石垣について解説をしてくれているのですが、そのVTRもなかなかよくできていてじっくり見てしまった。

展示されているのはほんの少しなのですが、盛り土の下に埋もれていて偶然見つかった豊臣期の石垣。
歴史の歯車がかみ合わなかったら見ることはできなかったかもしれないと思うと、感慨深いです。

表の徳川の石垣、地下の豊臣の石垣。

2人のビッグネームが携わった石垣をぜひ体感してください!


大阪城 豊臣石垣館

  • 住所:大阪市中央区大阪城1-1 (大阪城内)
  • アクセス:地下鉄谷町線・中央線 谷町4丁目/ 中央線 森ノ宮駅
    JR 森ノ宮駅/大阪城公園駅/大阪城北詰駅
    京阪電車 天満橋駅
  • 営業時間: 9:00~18:00(最終入場は17:30)
  • 駐車場:あり 大阪城公園駅前駐車場(171台)/森ノ宮駐車場(143台)

 


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詰の丸の石垣 隅は算木積みだった!
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