白河小峰城のふるさと納税「小峰城一石城主プロジェクト」のリターンで参加した城下町めぐりツアー。小峰城の東の裏の180mの絶景な石垣を見た後は城下町散策。参加者とガイドをしてくれた方々と一緒に奥州街道を歩いてみました。
旧奥州街道を散策
小峰城の城下町を横切り、北に向かって伸びる奥州街道。現在は国道294号となっているのだけど、ところどころに街道だった名残がある。特に「マイタウン白河」の前の道は鉤型で、一見して城下町を通る街道っぽい!。道沿いにはところどころレトロな建物があります。
旧脇本陣柳屋旅館 蔵座敷
「旧脇本陣柳屋旅館」は戊辰戦争の白河口の戦いの時に新選組の宿営地になった旅館跡。この建物がある本町には江戸時代には50軒もの旅籠があったそうで、改めて宿場町だったんだなぁ、と思う。
柳屋旅館は扱いとしては「脇本陣」。「本陣」はかつては奥州街道を挟んだ向かい側にあり、看板にその由来が書かれていました。芳賀家が代々務めたそうです。旅館が「脇本陣」であるならば、芳賀家の建物はさらに格上ということ。いったいどれほどの規模の屋敷だったのだろうか。
かつての旅館の建物には慶応4年(1868年)の4月、戊辰戦争の白河口の戦いに参戦した山口次郎(斎藤一)隊長率いる隊士が宿泊しました。そして最大の激戦となる5月1日にここから出陣したという。
新選組が泊った宿!と、幕末好きにはたまらんけど、残念ながら旅館の建物はその後の火災で焼失。写真の砂利が敷かれているスペースに旅館の建物があったそうな。奥に現存する蔵座敷があり、この建物は明治14年(1881年)の明治天皇の東北巡幸の時には行在所となりました。
脇本陣として使われたことが表現されている絵図の左側に式台玄関がある。これは本陣、脇本陣の特徴で、一般の旅籠屋とは違って門、玄関、書院を設けることが許されていました。
式台玄関のある旅籠の建物。見たかったなぁ。
門をくぐり抜けると明治天皇が行幸で立ち寄ったという石碑がある。東北巡幸の際に往路は休憩所として、復路には宿泊所となりました。
蔵屋敷のすぐ脇にはつるべ井戸が。明治天皇がこの井戸の水を使ったそうだ。
蔵座敷の建物は文化元年(1804年)に建てられました。平成26年に白河市へ寄贈されたものの、老朽化や東日本大震災の影響で損傷が大きく、平成27年から30年にかけて大規模な修復工事が行われました。
入口から入ると廊下の役割を果たしていたであろう畳敷きのスペースがあり、和室が3つ並んでいる。
最初に入った部屋は6畳ほどの和室なんだけど、襖の奥には隠し扉がある!
これはもしや、お殿様が敵に襲われた時の屋根裏への隠し階段!?忍者が隠れていた!?かと思いきや。屋根裏の仕上げが荒床仕上げ(上に畳や何かを敷くことが前提の仕上げ)であることから、倉庫として使用されたのでは?と考えられているそうです。
天井板は矢の羽のよう。入口から向かって1つめと2つめの和室の天井はこの矢羽天井となっている。
そして一番奥にある3つめの和室は「玉座の間」。
壁は一段高くなり、さらに壁や天井はよく見るとわかるけどキラキラしていて、装飾された和紙が貼られている。書院造の特徴である床の間・違い棚・付書院がしつらえられている。付書院の窓部分の装飾も細かいっ!床の間に飾られているのは松平容保の和歌(複製)だし、シンプルなんだけど格式の高さを感じさせる。
ここに天皇陛下がお泊りになったのね。
そして忘れていけないのが北側の庭園に面する廊下の天井!
白河の町では大火がたびたび起こり、明治天皇の巡幸前後にも起きている。平成27年~30年のに修復されていますが、この天井部分は修復前の状況を表していて、梁は一部が炭化して真っ黒です。蔵座敷の過去と今を伝えてくれるこの部分をチェックするのを忘れずに!
再び白河小峰城の遺構散策へ
旧脇本陣柳屋旅館を出て散策に戻ります。白河小峰城の遺構散策の続きです。
大手門跡
写真は白河小峰城の大手門跡。旧奥州街道に面した城の正面玄関となる門。
この道の先に大手門がありました。門は2つあり、最初の門を入ると右に曲がったところにさらに門がありました。規模感は清水門と並ぶ城内最大の門だったそうな。平成5年の発掘調査によって礎石が出土し、基礎部分は現在は小峰城歴史館の裏門そばに移設展示してます。
Google Mapでそれらしき場所は把握していて午前中に来ていたのだけど、よくわからなかったので、発掘調査をもとに位置と形状を教えてもらえて良かったです!
道場門跡
白河駅の近くにある道場門跡。道場門から西に伸びた「道場小路」という道沿いに並んだ武家屋敷から城内へ入る門でした。
桝形の周りは4mの石垣で囲まれていて、番所の建物もありました。露出している石垣は復元ではなくて、残っている遺構をそのまま展示してくれています。
礎石がいくつあったかなど、詳細は別途、東日本大震災の後、今回の訪問と合わせて掲載します。
写真は道場門の内側から外を眺めたところ。右側にある近代的な建物は図書館で、平成7年~11年の発掘調査では道場門跡とともにこの図書館の下に道場小路の道跡が確認され、外堀跡も確認できました。
三ノ丸門跡、二の丸の太鼓門周辺でゴール
そろそろツアーは終盤。16時前に白河小峰城に戻ってきました。
三ノ丸門跡は現在は二の丸の先の南側にある駐車場あたり。その場所を教えてもらって説明を受ける。平成6年~7年の発掘調査では大量の瓦や済、焦土が出土し、さらに門の礎石が5基確認できたという。この焼土は炭化した物たちは戊辰戦争時に焼失したものと考えられています。
写真は二の丸広場の南側。垣根が堀跡を表していて、この堀を越えた先に太鼓門と太鼓櫓がありました。
太鼓櫓はそう。冒頭で見学した茶室化された建物です。
三ノ丸から入ってくる堀と門を越えてさらに二の丸の入る時にまた堀と太鼓櫓が付いた太鼓門を通過する。この間は歩いて1~2分で堀と門を繰り返す。東側も同じ造りで、本丸を目の前にしてとても厳重なのね。
ここまできて3時間の町歩きツアーは終了。最後はお土産に白河のだるま(しかもゴールデン!)とジュース、和菓子をいただきました!
白河小峰城の遺構や江戸時代にまつわる遺構散策はここまでですが、ここも行っていたよ、私が行きたいと思っていて今回は行く時間はないかなと諦めていた白河駅!
白河駅
なんとかわいらしい建物でしょう。白河小峰城への現代の玄関口である白河駅。
大正10年(1921年)6月に営業を開始した駅舎の建物でこれは2代目。去年、開業100年を迎えました!
駅舎の建物内に入るとかわいらしいステンドグラスがお出迎え。100年前にこんな細かいデザインのステンドグラスがあったなんて!白河駅のホームはとても長く、多くの乗客が利用していたことがわかるけれど、当時としてはその乗降客に見合った建物として考えられて造られたのだろうなぁ。
ふるさと納税企画 町歩きツアーに参加して
実は訪れたスポットは掲載していないところもありました。少し歩くと見どころスポットということで、飽きずに歩いた距離約4㎞、3時間!
途中、トイレ休憩をする場所を設けてくれたり、お土産を用意してくれたりと至れり尽くせり。出発時に撮影した集合写真をプリントアウトして配ってくれたりと、「来ていただいた人をおもてなししよう」という心意気が感じられた。
何よりも嬉しかったのは、「奥州白河城下全図」を見ながら、当時の城下町を想像して散策ができたこと!事実を知らないと想像も中途半端になる。丁寧に解説してくれてとても楽しかったです。いやー、観光案内所で配っている現代の城下町マップを見ながら歩くと思っていたよ。見くびっていました。「白河小峰城にちょっと興味ある」から「さらに詳しく知りたい」という城好きも満足する内容でした。城仲間と一緒でもここまで城下町をじっくりとしかも3時間も歩くことはないので貴重な時間でした。今回の町歩きツアーを計画してくれたみなさま、ありがとうございました!
今回のふるさと納税の目的である「清水門の復元」。「よみがえれ!清水門 小峰城一石城主プロジェクト」は、発掘調査と設計が終わり、これから復元の工程に入るとのことで、まだまだ寄付金募集中。
2022年10/31現在、石高は4万8639石。目標金額はまだ1/3! まだまだ先は長いですがこれからも応援したいと思います。
白河小峰城 城下町歩き 散策ログ
徒歩で3時間、4㎞の道のり。清水門から中には入らず、当時の絵図を見ながら二の丸から城下町を歩いたツアーはとてもブラタモリ的で楽しかったです!
・小峰城一石城主プロジェクト 城下町めぐりツアー ガイドブック(白河市建設部文化財課編集)
東京第一ホテル新白河
新幹線が停まる新白河駅の東口を出てすぐのところにあるビジネスホテル。少し古いですが結婚式場もあるホテルで、料理もおいしいんだろうなぁ。
このホテルのフロントで電動自転車を借りることができます。新白河駅から白河小峰城の最寄りの白河駅への電車は本数が非常に少ないので、東京第一ホテル新白河でレンタサイクルして城下町も含めてまわるのがおすすめです!
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