大給城には小さな曲輪が多く、細長かったり小さかったりとさまざま。主郭、曲輪2と大きな曲輪を見終えて最後は大給城の最大のクライマックスである水の手曲輪です。
主郭の東側 腰曲輪
その前に主郭をとりまく腰曲輪を紹介。
写真は主郭(東側)から下にある曲輪を眺めたところ。
位置的に、曲輪2の虎口に入らず、そのまま石垣に沿って西南に進んだ先にある腰曲輪のようだ。この曲輪を主郭1(東側)にそって進み、南側に降りていくと居館後と伝わる大きな曲輪があるのだけど、そこまで行くにはけっこう大変でペースが落ちて時間が厳しくなるということで行かなかったのだけど、のぞき込んでみるとこのように平場になっているのがあちこちにありました。
主郭の物見岩の付近から主郭に戻らずに、腰曲輪を通って主郭に沿って北側を歩いていく。
主郭の北側 腰曲輪
主郭の一段下にある腰曲輪(北)は細長い曲輪で、散策しやすくなっている。
ふと上をみると主郭のゲート状の巨石のそばにあった東屋が。主郭の北側の真下を主郭にそって歩いているのだけど、高いな!そして切岸も美しい。
写真中央にあるのが主郭を分断する石積み。往路はここから主郭に登って入っていきました。下から見てもあの石積みはインパクトあるな!
そして往路ではスルーしていた水の手に到着。これがまたすごかった。
水の手
大給城の北にある水の手曲輪。20mほど下ったところにある曲輪です。
おぉ。なんか、平たい場所が段々と落ちて連なっていく!
ここは大給城の中でも谷となっているところ。
石塁?あまり見慣れない物体を発見!
現地の案内版によるとこれは大給城の取水施設であるという。この位置から見てもわかりづらいのだけど、下まで降りて見上げるとこの設備のすごさがわかる。
うおぉぉ!なんじゃこりゃぁ!?
中央にある窪みから貯まった水が下の曲輪に流れ込むようになっている。
昔の「水時計」にあった「漏刻」みたいなしかけだよね。上が満杯になるとその下へ。それが満杯になったらさらにその下へ。
すごいな。戦国時代のダムだ!
この堰き止めている施設。近くで見てみると想像以上に高くて規模が大きなことがわかる。身長153cmのワタシの目線で撮ってもこの石塁のてっぺんは頭の上。
これが時代が下っていくと石を積んで石垣とする技術も確立していき、秀吉が築いた石垣山の井戸のように石垣でガチガチに固めた井戸ができあがっていくのね。
そういえば、香川県の引田城の石垣で固められた溜め池「化粧池」もすごかったな。
2020年1月25日~26日 お城仲間さんと一緒に昨年に続き、高松に行ってきました。 今回の旅の目的は前回、雨で引き返した天霧城リベンジ。天霧城、九十九城、雨滝城、引田城に行きましたが、特に印象に残った引田城からレポします。 本家のほう[…]
このダム施設は上から見るだけでは実態がわかりにくいので、一段下がって仰ぎ見ることをおすすめします。
そしてまわりを見回してみると水の手曲輪の奥にも石が積まれている!
これまた丁寧に平たい石が積まれていた。
水の手曲輪の石積みは縄張図の通り2段構造だった!
細かい曲輪が入り組んでいるけれど、石積みは2段構えで大きな洗面器が上記に2つあるイメージ。上がいっぱいになると下に水がたまる。下の洗面器にもヘリの部分を石積みで補強してある。ここにすべて水を貯めることを考えると、かなり大きな貯水施設だったのね!。もう、感心もするし惚れ惚れする。
城好きクラスタの中では大給城で必見なのは「水の手曲輪」!ということで、晴天にも恵まれたおかげで水の手曲輪まで降りるのも難儀では無く、石塁状になっている遺構も味わうことができました。
確かにこれは最後にとっておきたいよね。曲輪2から主郭へ向かう間に「水の手曲輪」と「主郭」の看板があり、「あ、水の手曲輪だ。」と思ったのだけど、「この切岸もすごいよねー。」と、下(水の手曲輪)に目がいかないように誘導されてて不自然だと思ったのよ。見どころ順を考慮して案内してくれた城仲間さん達に感謝です。
この記事を見て大給城に訪れるみなさん、水の手曲輪は最後のお楽しみに。でも忘れないでね!
さぁ、水の手曲輪まで降りてきた分、登って曲輪2に戻って帰るぞ。その前に名残惜しくて振り返ってみる。
改めて、水の手曲輪はすごかった。これをきちんと整備して起伏をわかるように整備してくれる自治体や関係各所のみなさまに感謝です。
その後の大給城
松平一族で軍事力を誇った大給松平氏。初代の松平乗元以降は大給松平2代乗正が永正7年(1510年)までに城の大改修を行い、以降は乗勝、親乗、真乗と続き、天正18年(1590年)の6代家乗になると徳川家康の関東への国替えに伴って細川城(岡崎市)に移った後に関東に移った徳川家康に伴うかたちで上野国に移動。なお、現在見られる遺構は徳川氏または豊臣大名により改修されたものと考えられているそうです。
大給城 基本情報
- 築城年:永正年間(1504~21年)頃
- 廃城年:天正18年(1590年)の上野への移封
- 築城主:松平乗元・乗正が長坂新左衛門の居館を改修したか?
- 種類:山城
- 天守:なし
- 主なタイトル:-
- 主な遺構:曲輪、堀切、石積みの虎口、土塁、水の手の貯水遺構
- 文化財指定:国指定史跡
- 所在地:愛知県豊田市大内町城下3
- アクセス:名鉄三河線豊田市駅から「とよたおいでんバス」大沼線「大内」バス停下車。主郭までは徒歩約40分。
- 駐車場:あり 駐車場から主郭までは徒歩約10分
- トイレ:なし
- 売店・食事処など:なし 確かベンチも無かったと記憶。
- 女子城メグラー 難易度:★★★☆☆
トイレもないし、近くに食事をするところはないので、事前に食事を済ませて行ったほうがよい城。
城内は整備されているので歩きやすく、南側の居館跡以外は見どころは一通り見ることができる。登城口から登ってきて最初の堀切と虎口で圧倒されるが水の手はさらにすごい!最後にまわして行くのを忘れないように!
大給城 散策ログ
登城口から約1時間の散策。リスキーアスレチックな南側の曲輪には行きませんでしたが、堀切や石積みの虎口、曲輪2の長い土塁に切岸、そして北側の水の手曲輪!大満足な城でした。
・日本の山城 100名城 (別冊 歴史REAL)
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