引田城 野面積みの高石垣にため息。~讃岐の城めぐり2020 (1)

北曲輪(丹後丸)

二ノ丸北の下段石垣に夢中になっているお城仲間さんを置いて、全体像把握のために一人、先へ進む。

細長い北曲輪(丹後丸)
細長い北曲輪(丹後丸)

資料や本によってこの場所は表現が異なる。引田城の案内パンフでは「北曲輪」。「週刊 日本の城」では「丹後丸」と記載されています。大手を挟んだ南北ノ曲輪を「二ノ丸南曲輪 二の丸北曲輪」とするか、前者の「二ノ丸北曲輪」を「北の曲輪」とし、最北端の曲輪を「丹後丸」とするかの違いですね。

北にある東西に細長いこの曲輪。わかりやすくするために「丹後丸」という表現をここでは使いますが、この写真の先が田の浦キャンプ場側登山口になります。
丹後丸には南側と北側に竪堀が1本ずつあるようで、縄張図から位置的にこれ?とは思ったもののよくわからなかったです。
石垣は築かれていなくて、織豊期以前の引田城の遺構がそのまま残っていると考えられているそうです。

丹後丸の規模感を把握したら東の丸を目指します。

東の丸へ

丹後丸から北二の丸まで戻り、今度は東の丸を目指します。

東の丸 物見台への階段
東の丸 物見台への階段
きれいに整備されている階段の手前に大きな石がゴロゴロ。大正時代に遊歩道を作った際に石をどかしてしまったそうです。
物見台への本来のルートは?
物見台への本来のルートは?
現在はわかりやすいまっすぐな階段が付けられているけれど、本来はぐるっとまわしていたそうな。その名残が残っている。写真ではわかりづらいと思うので、これはぜひ現地で見るべし。
東の丸の突端に到着
東の丸の突端に到着
目の前が一気にひらけて、左側に小豆島、右側が淡路島を臨む。東かがわ市教育委員会の引田城のパンフによると、ここには火薬を補完した煙硝蔵など軍事施設があったと推定されているようです。
東の丸は、上中下3段の曲輪から構成され、塁線の石垣がひとつづきとなるように連結されています。火薬を保管した煙硝蔵など軍事施設があったと推定されています。
東かがわ市教育委員会発酵 引田城跡パンフレットより
眼下には引田鼻灯台
眼下には引田鼻灯台

昔も今も交通の要所だということを改めて実感しました。

 

ここまで来て登り始めてから約1時間30分大手門跡北二の丸下段の石垣で撮影しまくっているので普通のハイカーなら1時間もあればこんなに時間はかからないと思います。
城クラスターが7人もいると先に進まないこと、進まないこと(笑。
次は東の曲輪と本丸(南の曲輪)の間にある化粧池を目指します。

化粧池

東野曲輪から大手門跡付近まで戻り、案内板は確か出ていなかったけど縄張図をもとに化粧池へ向かってひたすら降りる。これ以降は整備されてはいないため、足元はあまり良くないので気を付けてくださいな。
化粧池 途中の石積み
化粧池 途中の石積み
そこかしこに石垣の名残があるので見とれているとすべりそうになる。
水場の植物が生えている
水場の植物が生えている

湿気が出てくるというか、水場に生息していそうな植物が生えてきて、ずいぶん雰囲気が異なる。

石がびっしり詰まれてる
石がびっしり詰まれてる
水が溜まっている場所があちこちに
水が溜まっている場所があちこちに
ここが化粧池というわけではないのだけど、水が溜まっているところがあちこちに。
「引田城のお姫様や女中たちが化粧をするときに使った池」と伝わっているけど、足元が整備されていたとしてもここまで下りてこないだろうな。たまに散策コースのひとつとして歩いてた時に身支度を整えたというのはあるかもしれないけれど。まぁ、人工池だし、きれいなため池だったのでしょうな。

少なくとも、わらわはここまで降りとうない。😢

姫属性が思わずつぶやいてしまった。

一番近そうな大手門跡からは一気に降りてきたのだけど、東の曲輪、南の曲輪からまわったとしてもけっこうな高低差だぞ。😅 まぁ、ここまで下りて身支度を整えるより、人に水を運ばせるな。

 

大手門から降りてきて10分くらい。化粧池に到着。
化粧池 西面の石垣
化粧池 西面の石垣
雑草が生い茂った中を分け入っていくと出てきた石垣。これも必見!整のっているなぁ!
化粧池の石垣はシダのような植物の中を突っ込んでいく必要があって、知らないと気づかないかもしれません。
南面の石垣は良く見えなかったのだけど、南面は他の石垣より後世に築かれたものだそうです。
そして来た道を戻るのではなく、化粧池の南東部にある道を登り本丸へ。

 

化粧池の西面の石垣を見た後、ちょっとだけ整備された道を頼りに南にある本丸に向かって登ります。
これまた表現が資料などによって違っていて、引田城のパンフによると「本丸」、「週刊 日本の城」によると「南の曲輪」という表現になっています。

散策ルートを進む
散策ルートを進む
勾配は少し急です。本丸から化粧池へ降りるときはわかりやすいのだけど、化粧池から本丸に登るときには藪藪しててわかりにくいかも。これは引田城パンフレット内の引田城跡散策マップに掲載されているルートです。
東かがわ市教育委員会パンフ 引田城跡散策マップ
東かがわ市教育委員会パンフ 引田城跡散策マップ
ワタシたちは大手門付近から化粧池まで南東に降りてきました。化粧池の南側から本丸を目指して登っています。

本丸 (南の曲輪)

引田城本丸に到着
引田城本丸に到着
Google map上では「城山展望台」と掲載されている場所です。
右側に「風待ちの港」とも呼ばれる引田港が見える
右側に「風待ちの港」とも呼ばれる引田港が見える
本丸はいたってシンプルな作りだけど、ところどころに石垣が貼られているので縁(へり)を探して歩く我ら。
縄張図によると左は「天守台」の手前にある堀?
縄張図によると左は「天守台」の手前にある堀?
こんな感じで上に上がってしまえば歩きやすいハイキングコース。それでもわざわざ草が茂る中へ入って天守台と伝わる部分の石垣はどこまで広がっているのかを探したり。

天守台跡?いろんば跡?

どこまで広がっていたのかよくわからん天守台の石垣
どこまで広がっていたのかよくわからん天守台の石垣
そもそもこれが天守台なのかもよくわからなかったり。資料によっては本丸西側の長方形の石垣で囲まれたエリア「天守台」だったり「いろんば(色見場)」だったり。判断が難しいなぁ。
本丸の西側縁に残る石垣
本丸の西側縁に残る石垣
ここまでで約2時間。帰りの飛行機の時間もあるので散策はここまでにし、大手門を挟んだ南側にある「南二の丸」には立ち寄らず、引田港側の登山口から戻ります。

西櫓跡

六角堂跡
六角堂跡
ちょうど本丸の案内板があるところの上が西櫓の跡と言われていて、通称「六角堂」。大正時代に昭和天皇の皇后がいらっしゃるということで展望台(六角堂)を建てた跡らしいです。
ここだけ異質。ちなみに中央の直線の石は右下を向いているけど北の方向を示しているそうな。芸が細かい。
六角堂の下にあるのが「引田城 本丸の石垣」としてよく出てくるこれ!
本丸 算木積みの石垣
本丸 算木積みの石垣
隙間に間詰め石が用いられていて引田城で最初に築かれた石垣という。

できるだけ裏側を見ようともう少し頑張って撮った一枚。石がギリギリのバランスで積まれている。これはかっこいいわ!
この本丸石垣をじっくり眺めて引田城を後にしたのでした。
登り始めてから下山するまで2時間20分の城めぐり。
無骨な野面積みの石垣はどれも見ごたえがあり、やっぱり印象的だったのは北の二の丸下段の石垣。ちょっと下に降りることになりますが注意すれば降りられるのでぜひ下から眺めてくださいな。

 

引田城 散策ログ

TAK01_hiketa44.png
引田港側は整備されていて、ところどころ小さな石がゴロゴロしているものの、ハイキング気分で登ることができます。後世につけられた遊歩道なので本丸にたどり着くまでは遺構は無し。登った後に思いっきり楽しんでください。

 

さて、引田城を知っている人ならこのログを見てわかるはず。変なところから登ってない???
その謎はまた次回に持ち越しということで。

 

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二ノ丸 西北部下段の高石垣
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