『どうする家康』聖地巡礼⑨ 三河平定 松平元康に敗れた東条城

2023年の大河ドラマ『どうする家康』を勝手に応援企画!
2023年1月。『どうする家康』の聖地“潤”で松平元康が第3話で攻め込んだ東条吉良家の城、東条城へ行ってきました。

松本潤殿が演じる松平元康が今川から織田方に付く決心をして向かったのが矢島健一さんが演じた吉良義昭(きらよしあきら)が籠もる東条城。詳細はわからないものの、浅野文庫『諸国古城之図』にも絵図が残っていて、曲輪や土塁がわかりやすく整備されています。

東条城とは

三河国の幡豆郡にある東条吉良氏の居城。
築城年代は不明だが、貞応元年年(1221年)頃に足利義氏が三河の守護になり吉良荘(きらのしょう)の地頭となりました。義氏は三男の義継を入れて吉良荘東条を譲り、義継は吉良義継を名乗り、東条吉良氏の祖となりました。以降、14代義昭に至って滅ぶまで、吉良氏は足利一門として栄え、東条城は足利・吉良氏の三河・遠江支配の重要拠点となりました。

徳川家康との関わりは、12代の持広松平元康(後の徳川家康)の祖父である松平清康の妹を娶り、清康が不慮の死で亡くなった後に清康の息子の仙千代(家康の父である広忠)の親代わりとなって松平一門の危機を救いました。
そんな「恩」があって松平家と吉良家は姻戚関係であったが、孫の元康の時代に元康は桶狭間合戦以降に織田信長側についたことで吉良氏・今川氏と戦うことになり、永禄4年(1561年)に東条城は松平元康軍によって落城。吉良氏14代の吉良義昭は幸福して東条吉良家は滅亡します。(のちに家康は吉良家を再興させている。)
と、この太字部分がまさに大河ドラマの『どうする家康 第3話』で取り上げられたわけです。

のちに東条城には城代として青野松平家の家忠が入って東条松平家の居城となるが、天正18年(1590年)に家康が関東に移り、東条松平家にいた松井忠次(のちに松平氏の娘婿となり松平康親となり、十八松平の松井松平家となる)が牧野城に転封になったことにより、東条城は廃城となります。

東条城 立地について

標高約28mの小山にあるように見えるが、本来は東条城の東にある茶臼山から伸びる尾根の先端部にあたる。案内版の解説によると、西尾茶臼山と東条城の間を通る県道宮迫今川線はかつての堀切部分を通っているそうな。そして南側には矢崎川も通っていて天然の堀の役割を果たしています。

東条城 縄張図

主郭は約50m四方の方形で、周囲に家臣の屋敷があったと推定されている。

東条城 縄張図
東条城 縄張図

 

東条城 見どころ

  • 一番の見どころは主郭への虎口土塁がしっかりと整備されている!
  • 主郭の虎口付近の物見櫓跡から眺める虎口と三の曲輪がいい!
  • 『どうする家康』第3話で大炎上した吉良氏の城。

 

東条城へ

東条城には駐車場があるのだけど、これが非常にわかりづらい。
駐車場は国道318号線に面しているけれど、看板が小さいし、民家の軒先のような駐車場で、本当にこれが東条城の駐車場!?と疑っているうちに通過しちゃう

東条城 Google Mapより
東条城 Google Mapより

Google Map上には「東条城跡駐車場」と出てくるので、まずはそれを目指して、近くなったら徐行するべし!
「東条城跡 駐車場」の看板は道路に並行に立てられているのでよく目をこらさないとスルーしてしまいます。そして駐車場は数台停められる程度なので、車数台でオフ会するにはちょっと狭いので要注意です。

写真はかつて駐車場にあったであろう案内版。ワタシが行ったときは駐車場には無く、主郭に建っていました。「現在地」の場所が駐車場になっていました。概念図的には駐車場の位置は間違っていないんだけどね。看板が立っている場所が違う

東条城 案内版
東条城 案内版

駐車場から出ると「登城口」とあるのは10分弱くらい歩いたのだけど、途中に急坂を登って入る道があって(上記の案内版でいう、駐車場から出て県道からまっすぐ入る道です。)、これは駐車場を作ったときに道を造っちゃったんだろうなぁ。

ちなみにこの案内版にある「県道(国道318号)」はかつての茶臼山の尾根をぶった切っていた堀切があったそうです。

駐車場を出てすぐの登城口はこんな急坂で、写真だと木々の茂みで判別つかないけど黒い冠木門が立っています。

東条城 東側の登城口
東条城 東側の登城口

とは行っても登るのはこの見えている範囲なので超イージーモードなのでご安心を。

そのまま登っていくと主郭(左)とニの曲輪(右)の間がスパーンと切られています。

東条城
主郭と二の曲輪の堀切

主郭と二の曲輪の間を通っていくと正面に三の曲輪が見えてきました。

 

三の曲輪

三の曲輪は方形の曲輪。この先はストーンと落ちている。

東条城 三の曲輪
東条城 三の曲輪
東条城 三の曲輪
東条城 三の曲輪

現在の三の曲輪はベンチが置いてあり、散策中の休憩ができる。ここでお昼を食べるのもいいね。写真の右側の建物はトイレなので、トイレも近くにあるし。

 

二の曲輪

三の曲輪から一段上がった場所にあるのが二の曲輪。現在は神社(八幡社)のお社がある。
案内版によると、東条城の鎮守として祀られたものと考えられているらしい。

東条城 二の曲輪
東条城 二の曲輪

三の丸にある案内版にある「東条城復元図」、主郭にある案内版二描かれた「東条城古図(広島市中央図書館)」を見ると、どちらもこの二の曲輪は四方を土塁で囲まれていたようだ。この曲輪の案内版でも「入口から向かって右側の境内の奥に土塁が残っている」と書かれていました。

東条城 二の曲輪
二の曲輪にある八幡社

上記写真の右側(お社の建物の右側)にうっすら高まりがある。これが土塁の名残か。

東条城 二の曲輪
二の曲輪 東奥にある土塁

写真はその場所である二の曲輪の東側で、下の方は石が積まれているけれど、上の土がむき出しになっているのが土塁の名残。

 

二の曲輪と三の曲輪は1.5mくらい?の高低差があり、二の曲輪からは三の曲輪の全体が見通せる。
ちなみに写真の左奥の小山が二つポコっとしているのが主郭の虎口の土塁。

東条城
二の曲輪から眺める三の曲輪と主郭の虎口

 

東条城 二の曲輪
鳥居の奥にあるのが主郭

二の曲輪から撮影。鳥居の奥に主郭の虎口が見える。
復元図などから見ると、二の曲輪の入口の位置はあまり変わっていないようだ。主郭へ進入路は横矢がかかるようになっていて、門があったであろう先は枡形のようになっていて技巧的だけど、二の曲輪の虎口は両サイドに土塁が伸びる平虎口だったようだ。

>> 東条城 主郭編に続く

東条城 主郭
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