2021年10月に行った「行きにくい城」で有名な周山城。
明智光秀が築いたこだわり抜いた巨大山城。石垣で囲まれた三の曲輪、二の曲輪、本丸、西の曲輪群を散策したら、「土の城」である西の城へ向かいます。
周山城の「東の城」から堀切を2つ越えて「西の城」へ向かう。多少のアップダウンはあるけれど、尾根伝いで、草木も伐採されているので散策には問題ないです。城の本でも「西の城」について取り上げている本は少なく、行けるとは思わなかったので、案内してくれた城仲間さんには感謝です!
西の城への堀切
小姓曲輪の大石垣から歩いて5分くらいで1つ目の堀切に到着。この堀切がでかいのだ!
これはすごい!写真では伝わりにくいけれど、場内最大規模の堀切では!?
西側にある2つの堀切のうち、この1つ目の堀切のほうが規模が大きいので、ここまで来て堀底を眺めるくらいまでは、頑張って歩いてみてほしい。
さらに西側の尾根を歩く。
尾根上に建つとはいえ、鉄塔を潜り抜ける機会はなかなか無い。
緩い坂になっている尾根道を歩くと2つ目の堀切。1つ目と比べると浅く、少々薄味。
写真の青い服の人の少し先に堀切があります。
1つ目の堀切よりも浅めとはいえ、しっかり緩急つけてある!
2つの堀切を越えて西の城を目指してさらに進みます。
わりと緩い上り坂だったのだけど、ここにきて最後の急な上り坂。
後からGPSログを確認してみると、西の城までは堀切の底からトータルで標高50m弱ぐらい登ってました。
西の城
土づくりの西の城。
手前にあった2条の堀切もそうだけど、ゆるいS字型に広がった曲輪のところどころに土塁もあり、一気に中世山城の雰囲気になってきた!
西の曲輪 主郭
西の曲輪の奥。(便宜上”主郭”と呼ぶが)うっすらと2段になっていて、写真の奥が土塁のように盛り上がっているのがわかるかな?
東の城だけでも十分大きくて強力なのになぜ西の城が作られたのか。
西の城は周山城の出城なのか?詰めの城なのか、はたまた付け城か!?
西の城の位置関係を考えると出城のように思えるのだけど、西の城エリアに入ってすぐにある土塁の向きを考えると、東の城に向けて作られているように思えるんだよな。
現地に行くと納得できることが多いけれど、こればかりは現地で考えても結論は出ませんでした。
来た道を戻り、東の城へ。まだ訪れていなかった東の城の「南の曲輪」を目指します。
>>周山城 東の城の南曲輪へ
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