勝竜寺城③ 山崎の合戦で明智光秀の本陣だった恵解山古墳に登る

2021年10月に行った勝竜寺城。勝竜寺城の城域ではないのだけど、山崎の合戦で敗戦色が濃くなった明智光秀本陣があったとされるのが2か所あり、そのうち1つが恵解山古墳(いげのやまこふん)だというので、歩いて行ってみました。古墳に陣をはったのは有名どころでいうと忍城攻めの時の石田三成など事例は多く、平原にポコっとした丘陵地は全体を眺めるのにぴったり。明智光秀も古墳の上に陣取ったんですねぇ。

勝竜寺城については「勝竜寺城 基本情報」からどうぞ。

恵解山古墳とは

恵解山古墳(いげのやまこふん)は古墳時代中期に築かれた前方後円墳。整備前は木々が生い茂っていましたが、整備後は一部を除いて立ち入ることができ、埴輪のレプリカが飾られた公園になっています。
長岡京市公式サイトによると、全長約128メートル、後円部の直径約78.6メートル、高さ10.4メートルといいますが、現地で見るともっと大きく高く感じます。
埋葬者はわかっていませんが、規模や構造から5世紀前半頃に桂川右岸の音訓地域を治めた支配者の墓と考えられているそうです。前方後円墳の後円墳の部分を中心に現在は墓地になっていて、前方部は発掘調査済み。鉄製の武具が出土しています。

恵解山古墳と山崎の合戦との関わり

明智光秀が山崎の合戦で本陣を置いた場所は2説があります。

山崎の合戦で明智光秀が本陣を置いたという2つの説

  1. 恵解山古墳
  2. 恵解山古墳のさらに南にある境野(さかいの)1号墳付近

現在では境野1号墳は津田信治の陣と考えられています。勝竜寺城の西辺土塁にある光秀出陣テラスでは、この説をもとに解説していました。

恵解山古墳 立地について

古墳というより明智光秀の陣としての立地の紹介です。
上から勝竜寺城の総構えの空堀と土塁が残る神足神社勝竜寺城、その下にあるのが明智光秀が本陣を置いた説がある恵解山古墳。その左下が山崎の合戦で両軍が激突した場所、さらに左下の天王山山崎城があります。

恵解山古墳 山崎の合戦関連の図
山崎の合戦 主要スポットの配置図

神足神社から恵解山古墳までは長岡京市駅から歩いてまわれる距離。4時間もあればまわれます。

恵解山古墳へ

勝竜寺城から10分ほど歩いて恵解山古墳に到着。学校の横の「ここ、入って良いのか!?」という柵に囲まれた細い通路を歩いて前方後円墳の後円墳の丸く緩くカーブしているところに出た。

うぉ!古墳だ!

恵解山古墳に到着
恵解山古墳に到着

土木オタクなので古墳もたまらんっ!

階段があって、円墳のまわりを一段上に上がって散策できるようになっている。そして奥に「鍵穴」の下の方墳の部分が見える。
埴輪が飾られた方形の西側「造り出し」が見えてきた。造り出しは鍵穴型の外に張り出している部分で、祭祀で使われた場所と考えられています。
頂上部から下に2段あり、さらにその下に造り出しがあり、この地方でも最大級の古墳というのも納得。

恵解山古墳 西側造り出し
祭祀が行われた造り出しが見える

恵解山古墳 玉砂利が惹かれている
恵解山古墳 玉砂利が惹かれている

現在は緑で覆われているけれど、写真のように葺石(ふきいし)が敷き詰められている。
案内板によると、実際に使われていた石材を使って復元されています。裾に大きめの石を置き、斜面に縦や横に大きめの石で区画を造り、その間を拳サイズの石を差し込むように積み重ねていく職人技。葺石は古墳の南西側にある小泉川からもってきたものだそうです。
石によって斜面を覆いつくされた古墳は、遠くからは白く輝いてみえたことでしょう。

 

一番上まで上がって下を眺めるとけっこうな高低差。

前方後円墳の方墳の部分。埴輪のレプリカが飾られている。

恵解山古墳 方墳部分
恵解山古墳 方墳部分

 

古墳は現在もお墓になっている

奥が円墳、手前が方墳の部分。円墳のほうは大半がお墓になっている。
古代の墓に現代のお墓がある奇妙な一致。

恵解山古墳 頂上
恵解山古墳の頂上部分 方墳には入れます

 

武器埋納施設

発掘調査では方墳のほうでは鉄製の鉄刀や鉄剣、鉄製の農工具が出土しました。

恵解山古墳 方墳の頂上
武器埋納施設

出土したのがここ!

案内板によると・・・

恵解山古墳 方墳 頂上
武器埋蔵施設 案内板

この場所からは長さ約6.5m、幅約80㎝の木箱が出土し、鉄製の武具が出てきたそうです。
箱の底には刀が、その上には剣と槍が、さらにその上に短刀と大量の矢が束ねられて整然と置かれていたそうです。その数なんと約700点!副葬品から葬られた人はかなりの権力者だったと考えられています。

なお、前方古墳の斜面の崩れた土の中からは、同じく鉄製の刀や剣、矢じりのほかに鉄製の斧、鎌、鋤の先などの農工具も出てきたそうです。

恵解山古墳 頂上部
恵解山古墳 前方墳の頂上部

方墳の頂上部から撮影。左側の石が混みの長方形のところに鉄製武具の埋納施設があった。

恵解山古墳 方墳の東側
方墳の東側は竹林になっている

 


豊臣秀吉が本陣を置いた山崎山を眺める

さて、山崎の合戦の話に戻ると前方墳の埴輪テラスのところの案内板がざっくりとわかりやすく説明してくれている。

案内板によると、発掘調査では恵解山古墳から当時の土器片と火縄銃の鉛玉が出土したそうです。

 

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2021年10月。大阪に舞台を見に行ったついでに駅近物件の勝竜寺城に行ってきました。 細川藤孝が織田信長の命を受けて大規模リニューアルしましたが、藤孝が移封された後は豊臣秀吉と明智光秀が戦った山崎の合戦で明智光秀が敗戦時に籠り、近江の坂本[…]

勝竜寺城

 

改めて現地で立地を確認してみると・・・

 

あれに見えるは天王山!

恵解山古墳 前方墳から眺めた天王山
あれが天王山!山崎城!

方墳の南から眺めると見えるのが天王山。そして秀吉が陣を置いた山崎城
その左側の麓にあるSUNTORYの建物の左側が桂川、木津川、宇治川が合流して淀川になる地点。
BS朝日で放送された「京都ぶらり歴史探訪 歩くとわかる明智光秀」によると、このあたりでで戦いが繰り広げられたという。

明智光秀は山崎の合戦で敗戦が濃厚となると勝竜寺城に籠り、勝竜寺城に籠るのも難しくなると北門から脱出して総構えの北側から脱出して山科方面に向かいました。その後の人生は小栗栖にて落ち武者狩りにあい、命を落とすことになりますが、この一部の逃走経路の距離感を味わえるので、勝竜寺城に行くなら恵解山古墳もセットで訪れることをおすすめします。

時間が無くて山崎城までは行けなかったけど、次に大阪・京都に泊まる時は山崎城にも行くぞ!

恵解山古墳 明智光秀 山崎の合戦の際の本陣跡
所在地: 京都府長岡京市勝竜寺2丁目30
アクセス:JR長岡京駅から徒歩約20分 長岡京市駅から恵解山古墳まで、神足神社と勝竜寺城を合わせて4時間もあればまわれます。
駐車場:なし 勝竜寺城の駐車場に停めて歩くのがおすすめ


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