2013年6月。
大河ドラマ「八重の桜」が放送されている間にぜひ行ってみたい!と
福島県会津若松市にある会津若松城に行ってきました。
大河ドラマ「八重の桜」で注目!会津若松城に行こう!
会津若松城という名は幕末の戊辰戦争後、明治政府により「若松城」と改められました。
(倒すのに苦労した「会津」の地名を残しておきたくなかったのかなぁ。)
別名「鶴ヶ城」。
両親の地元が福島なワタシにとっては、こちらの名称のほうがなじみがあるのです。
会津若松駅からバスで20分。
明治政府によって破壊され、天守は再建されたということで、当時の建物や石垣なんて、残っていないだろうなぁと期待していなかったんだけど、石垣は修復されつつも残っていて、その間を歩いていると、まさに「攻め入っている」気分が味わえました!
バスを降りたら北出丸門から歩くのがおすすめ!
北出丸大手門から攻め入る
石垣がしっかり残っていて、右折しています。
このぐねぐねがポイント。ぐねぐねは「枡形」と言われ、間に入っていくと四角いスペースになっていて、四方八方から攻撃されてしまいます。
きっと石垣の上には建物が建っていて、敵を攻撃したんでしょうね。
石垣の上には上に登れるように階段も残っています。
後ろを振り返ってみると、石垣の裏には階段があって、駆け上れるようになっていることがわかります。
まさに「実践目的」の城といった感じ。
「北出丸」と呼ばれている広場。
周りは石垣に囲まれているので、敵を誘いこんで攻撃するために作られたスポットでした。
会津若松城の地図
徳川家光の異母兄弟である保科正之が藩祖ということもあり、地方の城の中でもかなり規模が大きい城だったと思われます。
たくさんの堀の跡が残っているけれど、残っているお堀の数、それを取り囲む石垣の高さを考えると、攻めにくい城だったんだろうなぁ。
歴代の藩主の家紋の解説
松平家が入る前にも城主がよく変わり、伊達であったり上杉であったり、いろんなお殿様がいたんです。
天守はとってもフォトジェニック
曇っていたのが残念だったが迫力がすごい天守
天守の裏側から撮影。ここからのアングルも良い。
左の石垣はちょっと珍しい「武者走り」の跡。
近寄ってみるとこんな感じ。
思わず駆け上がりたくなる!
なんて素敵な「合坂」の残り具合!
合坂とは、土塁や石垣に上るときの石段で「V字型」に向かい合ったもの。
「登っちゃいけません」という柵がなければ、確実に登りたくなる感じ。しかも走って登りたくなる!
大手門の渡り櫓に登るために作られているんだけど、こういったV字型に階段を造ることにより、石垣の面積を少なくできるというメリットがあるんですね。
天守を真下から見上げてみよう!
5階分の屋根の庇がきれいに重なっている姿が美しい。
で、ここまで天守に近づいてきたのだけど、それでもまだ正面には遠い。
石垣の間をちょこちょこと曲がりながら、天守閣正面を目指します。
もし、攻め入るのであれば、この間にも、左右から攻撃されるというリスクを背負いながら攻めることになるんだろうなぁ。
そしてやっと正面に到着!
うーん。他の城には見られない赤瓦が素敵。
一緒に写真に写ってくれる「容保公」と「鉄砲隊」もいらっしゃいました。
この日は雲が多い日でしたが、青空に広がる大きな雲が天守を引き立てていて、迫力がありました。
青空と白い雲、赤瓦のコントラストが美しい。
ずっと見たいと思っていた天守です。
会津若松城の天守って、他の城の天守とはなんか違うんだよな。
と、いつも違和感があったのですが、撮影してみて改めて思った。
この天守、ロボットっぽいんだ!
ででーん。
入口のところにある横渡りの石が何とも言えない味を出している。
撮影していてすごく気になったんだけど、真ん中ぐらいの階にある狭間(さま:鉄砲や弓矢などで建物の中から攻撃できる窓のようなものです)。
ロボットっぽくない!?
狭間がふたつの目で、正面入口の屋根が鼻、その下のスペースがクチに見えるんだけど。
と、思ってたんだけど、どうやらすでにゆるキャラが存在してた!
お城ボくん
いやぁ、本当にロボっぽいんだよ。この天守。
次回は、会津若松城の天守に攻め入ります!
新撰組の土方歳三が刀傷を癒したという温泉があるという幕末マニアにはたまらない宿。
別館(不動滝)の建物の前にはその温泉跡が残っています。
※現在もお湯は湧いているけど、外にあるので温泉に浸かることはできません。
こちらの宿は、かつては松平家の別荘だったそうで、会津藩主の松平容保ゆかりの天然岩風呂『千年の湯』がそのまま残っています!
こちらのほうは、入ることはできますよ!
もちろん、入ってきました!