会津若松城への旅 vol.5 阿弥陀寺で『御三階』を攻めてきた

旧滝沢本陣を攻めた後、東京に帰る前に七日町駅の「駅カフェ」でお茶でもしようかなぁ。と、「まちなか周遊バス」のハイカラさんに乗って七日町駅へ。
この駅の前は何回かバスで通ったけど、このお寺、気になるんだよなぁ。

阿弥陀寺
阿弥陀寺

ガイドブックで調べてみたらびっくり。
会津若松城の中にあった「御三階」という建物がこのお寺に移築されていて、そして新撰組の斎藤一のお墓があるというではないか!

あっぶねぇー。素通りするところだった。

思わず口に出しそうになってしまった。会津若松城にあった建物が現存していたというのもすごいけど、幕末史好きにはたまらない斎藤一のお墓まであるとは!
ガイドブックを見た時に、そんなこと書いてあったような気もしたけど、こんな近場にあるとは思わなかった!

ということで、さっそく入ってみます。

御三階

正面左側に見える不思議な建物が御三階

城の中にある「櫓」っぽい建物かなぁと想像していたら、なんだか不思議な建物でした。
三階のように見えるけど、二階と三階の間に天井の低い部屋があって、内部は四階建てになっている。そして、三階にあがる梯子は、用事がない人間は上がれないように、上から引き上げる仕組みになっている!当時は密議の場所に使われていたそうな。

明治初年まで鶴ヶ城本丸にあったそうで、明治三年に阿弥陀寺に移され、戊辰戦争で焼失した阿弥陀寺の本堂代わりに利用されていたそうです。

なんと贅沢な!

ちなみに、写真の左側には新撰組隊士で有名な斎藤一のお墓があります
うぉぉ。テンションあがるぅ~。
頭の中、「ラーラーラー ララララー」とジョン・健・ヌッツォが歌ってるよー。

今回、残念ながら時間切れで行けなかったけど、今回は東山温泉の「くつろぎ宿 新滝icon」というホテルに宿泊したんだけど、東山温泉から会津若松方面に出てくる道中に、土方歳三が建てた近藤勇の墓がある天寧寺があります。
近藤勇は板橋で処刑されたけど、土方は近藤が思い入れがある会津に墓を作り、その後、土方は北を目指します。
斎藤一は土方と別れ、会津に残って松平容保公をお守りすることを選びました。
その墓が会津若松城の遺構がある建物の近くに建てられていることにを感じます。

そういえば、斎藤一の奥さんとなった時尾と結婚する際には、松平容保公が仲人になったという話も残っているし、ものすごく忠実で信頼を得ていたのでしょう。

斎藤一は藤田五郎と改名したため、お墓は「藤田家の墓」となっています。
・・・と、新撰組の話を始めたら止まらないので、御三階の話に戻ります。

御三階はどこにあったかというと、会津若松城の天守から眺めた時にその跡が見えてました。

御三階はここにありました

御三階は天守から本丸を眺めた時の中央の奥のほうにありました

近くに説明看板っぽいのが建っているし、地図でも調べたので合っていると思う。
天守の下に本丸と大広間の建物があり、茶室の近くに物見櫓を兼ねた御三階があった。
なんとなく、敷地の様子が想像できません?

そして御三階の建物に近づいてみる。

御三階

唐破風の中央には三つ葉葵の御紋が!!!

おぉぉ。さすが松平家。この金の御紋だけでひれ伏したくなる。
正面の大きい式台(玄関)は、殿様しかきっと入れないんだろうな。

それより下の人間はどこから入るんだろう・・・。とウロウロ探してみたかったけど、怪しい人になっちゃうのでやめました・・・。
はぁ~。中に入ってみたいなぁ。特別公開とか、しないかなぁ~。

 

会津東山温泉 くつろぎ宿 新滝
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新撰組の土方歳三が刀傷を癒したという温泉があるという幕末マニアにはたまらない宿。
別館(不動滝)の建物の前にはその温泉跡が残っています。
※現在もお湯は湧いているけど、外にあるので温泉に浸かることはできません。
こちらの宿は、かつては松平家の別荘だったそうで、会津藩主の松平容保ゆかりの天然岩風呂『千年の湯』がそのまま残っています!
こちらのほうは、入ることはできますよ!
もちろん、入ってきました!
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