会津若松城への旅 vol.3 会津若松城 天守閣周辺をお散歩

会津若松城をめぐる旅。
戊辰戦争の際のエピソードが多く残る鉄門周辺をお散歩します。

会津若松城 鉄門

長屋にある売店を出て鉄門へ向かいます。

長屋にあるお土産やさんを出たところから天守を撮影

鉄門

天守から直結している南走長屋表門

天守にあがって眺めたた時にクランクを描いていた建物がありました。長屋の先にあったのが表門。
写真だとちょっと遠近感がわかりにくいけれど、けっこう長い建物なのです。表門の上を通ってさらに干飯櫓まで長屋がつながっています。
扉と柱が鉄で覆われていることから鉄門(くろがねもん)とも呼ばれていました。
天守からの眺めの写真はこちらから。

「切り込みはぎ」の石垣も美しいねぇ。

 

表門

表門を正面から見たところ

ここから入ってすぐのところが、戊辰戦争中は「城内で一番安全なところ」だったそうです。

 

戊辰戦争のエピソードが多く残る表門

松平容保公はこの鉄門の二階から采配していたという。
本丸や大広間は大砲打ちこまれまくったそうだし、ここは本丸の「中」の「中」。ここが一番安全だったと聞いて納得です。
大河ドラマ「八重の桜」で勇ましく戦っていた新島八重は、ここで松平容保公に「子どもたちも同行して夜襲に行きたい」と申し上げたところ、「子どもも一緒に行くと兵力が少ないと思われるからやめるように」と言われたという話が残っているそうです。
八重。どんだけ強気なんだ!?

 

表門の中に入ったところ

表門の中を入って撮影

ここが「城内で一番安全なところ」ですね。

この付近には「上杉謙信公仮廟所跡」もありました。
上杉謙信は亡くなったあと、甲冑姿で甕に納められ、新潟の春日山城に葬られたと伝えられているけれど、その後、跡取りの上杉景勝が会津へ転封(いわゆる”お国換え”)する際に謙信の墓所は会津城内に移されたという話が残っているそうです。そしてさらに、景勝の米沢転封により、今度は米沢に移されました。
「跡」といっても石で輪郭が築いた跡が残っているだけ。ちょっと寂しいですね。

観光客にとっては「裏側」なので人も少なく、天守の撮影にはおすすめな場所です。

さて、お城の観光も終わり、ゆっくりご飯。と思ったのだけど、想像以上に時間がかかってしまいました。写真撮りすぎた・・・。

 

会津若松城 基本情報

住所:福島県会津若松市追手町1-1
TEL:0242-27-4005
営業時間:8:30~17:00(入場は16:30まで)
休館日:無休
入場料:大人410円、子ども150円
駐車場:有料
西出丸駐車場:普200台収容可
東口駐車場:普129台収容可
南口駐車場:普35台収納能
トイレ:公園内に有り
アクセス:周遊バス「ハイカラさん」「鶴ヶ城入口」下車 徒歩5分

 

お昼は喜多方ラーメン

鶴ヶ城のすぐそばにある「鶴ヶ城会館」でご飯を食べることに。やっぱりここは喜多方ラーメンでしょう!

喜多方ラーメン

鶴ヶ城会館 朱雀亭の喜多方ラーメン

会津よりさらに奥にある喜多方のソウルフード。喜多方ラーメン。
朝から力仕事で働く喜多方の人が朝から食べても胃にもたれないように、このあっさりとした味が定着したと言われています。鶴ヶ城会館にはお土産屋さんだけでなく、いろんなレストランが入っているんだけど、この朱雀亭のラーメン。うん。おいしかったです。
バスの時間や移動の時間が迫っているときなど、さっとランチをする際におススメです。
でもやっぱり喜多方まで足を伸ばして本場の喜多方ラーメンを食べてみたいな。

鶴ヶ城会館 朱雀亭
住所:福島県会津若松市追手町4-47
TEL:0242-28-2288
営業時間:11:00~14:00


会津若松城のレポはこれで終わりなのですが、戊辰戦争に松平容保公が出向いた旧滝沢本陣にも行ってきたので、次回は滝沢本陣について書きます。

 

会津東山温泉 くつろぎ宿 新滝
icon
icon
icon
新撰組の土方歳三が刀傷を癒したという温泉があるという幕末マニアにはたまらない宿。
別館(不動滝)の建物の前にはその温泉跡が残っています。
※現在もお湯は湧いているけど、外にあるので温泉に浸かることはできません。
こちらの宿は、かつては松平家の別荘だったそうで、会津藩主の松平容保ゆかりの天然岩風呂『千年の湯』がそのまま残っています!
こちらのほうは、入ることはできますよ!
もちろん、入ってきました!
ブログランキング参加中
更新の励みになります!ぽちっとひと押しで応援お願いします!
鉄門
最新情報をチェックしよう!