2021年4月の岐阜県可児市の山城めぐり。
今城、久々利城ときて次は美濃金山城。破城の状況がよくわかる巨大な城です。
美濃金山城とは
美濃金山城の前身は天文6年(1537年)に斎藤大納言正義により築かれた烏峰城(うほうじょう)。斎藤正義は妙春(みょうしゅん)とも称していて、可児・加茂地域において権力を持っていたが天文17年(1548年)に久々利城で久々利氏に討たれました。
その後、永禄8年(1565年)に織田信長から森可成(もりよしなり)にこの城が与えられました。可成は入城に際して「金山城」に改称したと伝わります。以降は長可(ながよし)、乱丸、忠政が城主を務めました。
織豊系城郭の特徴が色濃く出ていて、
- 各所に張り巡らされた石垣
- 瓦葺屋根の建物があったことをあらわす出土した瓦
- 建物を支えた礎石
天守も存在していたという。
その後は慶長6年(1601年)頃に破却されたのでは?と考えられていて、破城の跡がわかりやすく残っている珍しい城でもあります。

美濃金山城の第一駐車場にあった案内図。中型のバスで来たので、第一駐車場に車を停めて大手道に向かって歩き、「ひのきの径」を通って出丸跡をまずは目指します。

可児市ホームページにある金山城周辺地図がとてもわかりやすい。
虎口が開いている方向も記されています。今回は行かなかったけれど、石垣の残りが良い「米蔵」の位置も掲載されています。
そしてもうひとつ、資料として面白いのが金山城跡発掘調査報告書にあったこの図。

昭和10年代、40年代、平成18年度、平成24年度でそれぞれの曲輪の呼び方が変わっていったのがわかります。城内の案内板では本丸南側の下のところにあった看板に「天守台」と書かれていたのだけど、あれ?本丸虎口付近に懸け造で造られていたんじゃないかな?位置が違うな。と。その理由がこの図でわかりました。
美濃金山城へ
さて、美濃金山城へ。写真はお昼を食べた蘭丸亭から戦国山城ミュージアムに向かって少し歩いたところで撮影したもの。金山城跡周辺地図でいうと右上の「食事処」とあるのがおそらく蘭丸亭。

登城口とは真反対。平地から見るとなかなかの高さの山です。
バス用の駐車場は麓にあるのでそこから歩いてまずは出丸へ向かいました。

看板の左を登っていくように見えるけど、実際の登り口はもっと手前に整備された道があるのでご安心を。出丸への道を撮影した写真には人が多く写っていたので割愛します。

出丸へ続く「ひのきの径」は整備されていて歩きやすい。
出丸
大手道からの分岐から10分弱で出丸に到着。

現在の出丸は駐車場として利用されていて、団体客のバスでなければ車で上がってくることができます。

出丸は石垣がめぐらされていて、出丸櫓があったと想定されている。


出丸から眺める桜もいいけど、やっぱり石垣が見たい!
出丸の脇からちょっとだけ降りると石垣を間近で観察できます。
出丸で石垣があるのはこの出丸の東西部分のみ。忘れずにチェックしよう!
写真ではスケール感が伝わりにくいけど、少しだけ降りて見ると石垣が良くわかります。
このまま降りて行くと蘭丸広場まで降りてしまうので、名残惜しいけど出丸へ戻り、三ノ丸を目指します。
ふもとの駐車場にもトイレはあったけれど、出丸にもあります。ここから先はトイレは無いのでトイレ休憩を忘れずに。
>>三の丸に向かいます
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