2023年の大河ドラマ『どうする家康』を勝手に応援企画!
『どうする家康』の聖地“潤”礼の旅。
大久保一族の本家の上和田城の次は上和田城の支城だった羽根西城をとりあげます。
羽根西城とは
三河大久保氏の本家の城が上和田城で、その支城であったのが羽根西城。三河家臣団の忠義者として『どうする家康』でもおなじみの大久保忠世がその父である忠員(ただかず)とともに居城としていた。
羽根西城の北にある羽根西公園との間に「堀跡!?」と思われるような曲輪を分断しているような一角があるが、羽根西城の廃城ののちに稲荷神社が再建されていて、さらに周りは宅地化されていて昔を想像することは難しい。
羽根西城 立地について
岡崎城からみると上和田城(本家)の南側にあり、本家を前に立てて分家は裏に、ということになっているのでしょう。

一向一揆の時には上和田城の付近の屋敷は城として扱われたということだから、もちろん羽根西城は上和田城、さらに岡崎城への導線を遮断すべく、防備を固めたのだろうなぁ。と思います。
それにしても、勝鬘寺から近いな!
南からくる一向宗をブロックすることが命題だったけれど、北にある上和田城は上宮寺から攻撃されているから援護してもらえないし、まさに「孤立無援」。一向宗を跳ね返し、よく耐えたよ!大久保忠世!
羽根西城 縄張図
羽根西城の縄張図はありません。
羽根西城へ
『どうする家康』を勝手に応援すべく、この1年は徳川家康関連の城や史跡・スポットをめぐっているのだけど、2023年1月のこの日、上和田城の次に訪れたのは羽根西城跡。上和田城からは車で5分という近さ! 羽根西城は上和田城の支城ということだけど、こんなに近いところにあったのね。
今回、三河家臣団の屋敷跡を片っ端からまわったのだけど、同じ一族でなかったとしても「あら。こんなご近所に館があったのね。」という距離感でとても近い。上和田城と羽根西城は「城がある」というよりは「ご近所に親族のおうちがある」感覚だったのかもしれない。
現在、羽根西城跡には稲荷神社があります。

城としての明確な遺構はなく、境内の稲荷神社についての由緒書きに大久保氏についてが少しだけ触れられています。

稲荷神社の由緒を簡単にまとめると
- 上和田城の城主だった宇都宮左衛門五郎忠茂によって大永4年(1524年)に稲荷神社が作られる。
- 羽根に住んでいた大久保甚四郎忠員(忠茂)・大久保七郎左衛門忠世(忠員の子)の親子らが信仰していて、大久保忠世が1585年(天正13年)に社殿を造営した。
ということで、稲荷神社は城が廃城になった際に稲荷神社が再建されたということだけれど、稲荷神社の位置も元は今の位置にあったということではないかもしれない。ここらへんの詳細は不明です。
で、ここで謎なのが突然出てきた宇都宮左衛門五郎忠茂なる人物!
三河大久保氏のルーツ 宇津忠茂
三河大久保氏は遡っていくと関東の豪族であった宇都宮氏の庶流である武茂(むも)氏の末裔。武茂氏は南北朝の争乱の時に敗戦し、紆余曲折&生々流転で三河にたどりついて松平氏に仕えた(と自称していた)そうです。「南北朝の争乱の時にいろいろあって~三河にたどり着いて~」というのは徳川家康のご先祖様である松平氏とも通じるところがありますね。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』を勝手に応援企画! 『どうする家康』の聖地"潤"礼の旅。三河一向一揆で松平家康側について戦った大久保一族の屋敷があった上和田城です。 城跡としての名残はありませんが、一向一揆衆と対峙した最前線! 三[…]
で、武茂氏から名字がどんどん変わっていく。
「武茂氏→宇津氏→大久保氏」と変遷していく
系図で具体的に見ていくと、「宇津」の姓から「大久保」に変わったのは大久保忠世の2代前からのようだ。
宇津昌忠→宇津忠与→宇津忠茂が大久保に改姓→大久保忠員→大久保忠世 となる。
宇津忠与(うつただとも 生誕不詳、1522年死没)の時にはすでに松平長親(まつだいらながちか 徳川家康の高祖父)に使えていて、その子の宇津忠茂(うつただしげ 1476年生誕、1547年死没)の代に「大久保」と改姓したという流れです。
稲荷神社の由緒書きで「宇都宮忠茂」とあったのは、「宇津忠茂」の誤りか、宇都宮氏の庶流だったことからざっくり「宇都宮氏」とされているのか??? 謎だ。
なお、「大久保」に改姓したのは三河山中城を落とすという功績をあげ、そのタイミングで改姓したとお城仲間さんに教えてもらいました。
もう、徳川家康もそうだけどさ、南北朝からサバイバルした人達、「人生やりなおし&心機一転」なのか「由緒正しい武士の一族をカタりたい」のか、転機のタイミングで名字が変わりすぎ!
人に歴史アリ。大久保一族もいろいろとあったのね。
さて、羽根西城の話に戻ります。
稲荷神社の境内を突っ切って北側に歩いて行くと「羽根西公園」がある。おそらく稲荷神社も含めたこの公園あたりまでが羽根西城だったのじゃないのかな。
なお、稲荷神社と羽根西城の間は一段下がっている。これ、堀だったんじゃね?と思うような一角がある。
平地にあるので「堀」という規模まではいかなくてもある意味、曲輪の仕切りだったんじゃないのかな?あるいは、羽根西城の廃城後に再度、稲荷神社が置かれたというのでその時の整備の名残か?と想像してみたり。


明らかに一段下がっている。道を通すだけならあえて下げる必要ないと思うし。

公園化されているので、ここでお弁当を持ってきてランチ休憩するのもいいですね。
存在していた!?羽根東城
羽根西城があるなら羽根東城もあるのでは?ということでちょっと調べてみたら、ありました!

羽根には西と東で2つの城があり、羽根西城から東側、東海道本線の岡崎駅よりも東側(Google Mapでいうと青いピンが立っているところ周辺)が羽根東城だったようだ。なお、Google Map上で「羽根東城跡」と検索してヒットした場所にピン立てしていますが、詳細の位置は調べてもよくわからなかったので、参考情報と考えていただければと思います。
その後の羽根西城
時期はいつなのか?きっかけなど詳細はわかりませんが、羽根西城は廃城となり、そののちにはかつてあった稲荷神社が再建されたそうです。(以前あった位置そのままに再建されたかどうかは不明です。)
羽根西城 基本情報
- 築城年:?
- 廃城年:?
- 築城者:大久保忠員・忠世
- 種類:-
- 天守:なし
- 主なタイトル:-
- 主な遺構:なし
- 文化財指定:-
- 所在地:愛知県岡崎市羽根西2-3-12
- アクセス:JR岡崎駅から徒歩5分
- 駐車場:なし 買い物ついでに向かいにあるファミマに停めさせてもらいました。
- トイレ:なし
- 売店・食事処など:なし
- 女子城メグラー 難易度:★★★★☆
岡崎駅からは徒歩5分。羽根西城は上和田城とともに館城と思われる。羽根西城の先には大久保一族発祥の地と伝わる上和田城もあるのでセットでまわるのがおすすめ。羽根西城としての見どころはなく、城址碑も無いが稲荷神社の由緒書きに大久保忠世についてが書かれている。稲荷神社の北側に羽根西公園があるので、稲荷神社の向かいにあるコンビニでお昼を買って公園でレジャーシートを敷いてランチもいいですね。歩くのが大変なほどの高低差もないので町歩き感覚でまわれます。
羽根西城 散策ログ
羽根西城の散策ログはありません。
・野寺本證寺 三河三ヶ寺
・佐々木上宮寺 三河三ヶ寺
・針崎勝鬘寺 三河三ヶ寺
・土呂本宗寺 三河一向宗寺院を束ねる寺
・上和田城 一向宗に真っ先に襲撃された大久保氏発祥の城
・羽根西城 大久保忠世が過ごした上和田城の支城