2023年の大河ドラマ『どうする家康』を勝手に応援企画!
『どうする家康』の聖地“潤”礼の旅の「三河一向一揆編」。今回は一向一揆の拠点となった三河三ヶ寺のうちのひとつ、勝鬘寺です。
勝鬘寺とは
勝鬘寺は永禄6年(1563年)におきた三河一向一揆の時に強大な勢力をもった真宗三河三ヶ寺のうちのひとつ。勝鬘寺にはのちに徳川十六神将となった蜂屋半之丞貞次と渡辺半蔵守綱が百余騎とともに境内に立てこもり、この寺から小豆坂や上和田方面へ討って出て激しく家康側の兵と戦いました。残念ながら当時の戦いの際の遺構は残っていません。
勝鬘寺 立地について
岡崎城からまっすぐに南下したところにある勝鬘寺。Google Mapの「地形」図にしても地形の起伏はよくわからないのだけど、周囲からは少し高くなった場所に築かれていました。
先に取り上げた上宮寺で使った画像だけど、勝鬘寺も岡崎城からはこんなに近いのね!
勝鬘寺から岡崎城への距離感は、
- 車で13分!
- 自転車で22分!
- 徒歩1時間!
徒歩でも1時間!走った場合は自転車よりちょっと時間がかかるくらいだとして、これまた上宮寺と同様に30分もあれば岡崎城へ突入できる!
怖っ! 時間差でさらに本證寺や本宗寺の檀家や指示する人たちが集まったら・・・と考えると恐ろしい。
勝鬘寺 縄張図
勝鬘寺の縄張図はありません。
勝鬘寺へ
矢作川から東に少し入ったところにある勝鬘寺。平たい土地にあるように見えて、実は少し高くなっている。
駐車場側でもその高さは感じられる。
現在は立派な本堂といくつかの建物が残るのみだが、かつては松平氏から「守護使不入(守護不入特権)」を認められ、本證寺などと同じように寺内町が作られました。
本堂のそばに立つ「三河一向一揆の碑」。
「永禄六年三河一向一揆戦陣跡」と刻まれていて、これが唯一の三河一向一揆の名残を伝えるものとなっている。
三河一向一揆の激しい戦いの時には家康側の兵火により大伽藍が消失。もし残っていたとしても家康にことごとく破却されたでしょうね。
蜂屋貞次と渡辺守綱のその後
この勝鬘寺にこもったのが蜂屋貞次ですが、蜂屋といえば、今年放送された「鶴瓶の家族に乾杯」の岡崎の回。💜松本潤殿💜が「家康にゆかりの人と会いたい」と探し歩き、家康の家臣だった蜂屋一族の子孫のおうちにお邪魔していましたね。家宝の「徳川十六神将図」を見せてもらい、「本物だ!」と盛り上がってました。
蜂屋貞次は『どうする家康』には出てこなかったのですが、勝鬘寺に籠もって戦い、一度は家康を退けたものの最後は家康に許されて戻り、その後も戦に参戦。槍の名手のジャイアン渡辺守綱は家康に許されて戻った以降は姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦いに参加して大活躍しました。どちらも「徳川十六神将」と称されるほどの立派な戦い方をしたんだろうなぁ。と思いつつ、後にしました。
勝鬘寺 基本情報
- 築年:寺としての創建は康元元年(1256年)または正嘉2年(1258年)
- 種類:-
- 天守:なし
- 主なタイトル:-
- 主な遺構:なし
- 文化財指定:岡崎市指定史跡
- 所在地:愛知県岡崎市針崎町朱印地3番地
- アクセス:JR岡崎駅から徒歩12分
- 駐車場:あり
- トイレ:–
- 売店・食事処など:なし
- 女子城メグラー 難易度:★★★★☆
JR岡崎駅からは歩いていける距離。JR岡崎駅を挟んだ反対側には大久保氏の居城があった上和田城もあり、その北側に岡崎城、北西には上宮寺があるというように、この近辺は三河一向一揆ゆかりのスポットが密集している。とはいえ、歩いてまわるには厳しいので岡崎城を起点にまわって、岡崎城への距離感を体感してほしい!
勝鬘寺 散策ログ
上宮寺の散策ログはありません。
・野寺本證寺 三河三ヶ寺
・佐々木上宮寺 三河三ヶ寺
・針崎勝鬘寺 三河三ヶ寺
・土呂本宗寺 三河一向宗寺院を束ねる寺
・上和田城 一向宗に真っ先に襲撃された大久保氏発祥の城
・羽根西城 大久保忠世が過ごした上和田城の支城