『どうする家康』聖地巡礼⑮ 土呂本宗寺 三ヶ寺をも束ねる三河一向宗トップの寺

2023年の大河ドラマ『どうする家康』を勝手に応援企画!
『どうする家康』の聖地“潤”の旅の「三河一向一揆編」。三河三ヶ寺よりもさらに位が高かった、土呂本宗寺です。

土呂本宗寺とは

本宗寺は現在は岡崎市の見合町にあるのですが、三河一向一揆当時は土呂(現在の福岡町)にありました。現在の本宗寺とごっちゃになるので「土呂本宗寺」と記載します。
寺としての起源は応仁2年(1468年)。蓮如上人が三河へ来訪し、一向宗の布教の拠点として建てられたのがこの土呂本宗寺。
三河一向一揆の話になると野寺本證寺針崎勝鬘寺佐々木上宮寺の三ヶ寺がよく出てきますが、本宗寺の下に置かれた七ヶ寺(野寺本證寺、針崎勝鬘寺、佐々木上宮寺、平坂無量寿寺、長瀬願照寺、中之郷浄妙寺、青野慈光寺)も本宗寺と同様に本願寺直轄の一家衆(室町後期の本願寺8世の蓮如以後で、真宗本願寺法主と同じ家系の一族)だったものの、本宗寺はトップ オブ ザ トップ。 ズバ抜けて格式が高い寺でした。
三河一向一揆では近くにある針崎勝鬘寺の門徒とともに岡崎城へ攻め入りましたが最終的には敗北。土呂の寺内町は焼き払われました。

土呂本宗寺 立地について

岡崎城からまっすぐに南下したところにある勝鬘寺の先に土呂本宗寺はありました。その後に移転しているのですが、かつて土呂本宗寺があった福岡町のその場所には土呂八幡宮があります。
Google Mapの「地形」図にしても地形の起伏はよくわからないのだけど、土呂八幡宮周辺は少しだけ高くなっていて、さらに境内の中にはところどころ少し高くなっている場所あり、おそらくこの地形は手を入れていないままなんだろうなぁ。と感じました。

三河一向一揆 舞台になった寺
三河一向一揆 舞台になった寺

先に取り上げた上宮寺で使った画像だけど、勝鬘寺からはさらに徒歩20分の距離
それでも十分に岡崎城へは乗り込める距離だよね。

土呂本宗寺 縄張図

土呂本宗寺の縄張図はありません。
三河一向一揆の名残は残っていませんが、平山優先生の『徳川家康と武田信玄』によると、当時は阿弥陀堂、祖師堂、庫裏、鐘楼、中門、房舎どの寺の中枢機関の建物が並ぶ広大な伽藍エリア町家が1,200軒!のエリアとを持ち、それぞれが堀や道理で囲まれた二重構造の寺内町だったそうです。

 

土呂本宗寺へ

勝鬘寺を出て車で4分!すごく近いところにある土呂八幡宮へやってきました。

土呂八幡宮
土呂八幡宮の鳥居

最初に本宗寺について調べたときに、いわゆる一向一揆のと期の土呂御坊跡の本宗寺と現在の本宗寺と2つあり、さらに土呂城跡もあったりと、時間軸がわかりにくくて混乱したのだけど、こういうことのようです。

土呂本宗寺と土呂城 ざっくり年表

  • 三河一向一揆があった永禄6年(1563年)頃にはこの地に本宗寺があった。
  • 永禄7年(1564年) 一向一揆の収束後に家康の命によって石川数正が土呂城を築城。
  • 天正11年(1583年) 家康の叔母である芳春院妙西尼の願い出によって本宗寺は最初に復興を許される。
  • 慶長6年(1611年) 現在の地に本宗寺が移転する。

ということで、三河一向一揆があった当時の本宗寺はここ、福岡町の土呂八幡宮があった周辺です。

 

築城年代、廃城年代など詳細がわからず謎の多い土呂城の碑と土呂八幡宮境内図。「現在地」とあるのが↓下の鳥居のところです。

土呂八幡宮
鳥居の奥は・・・

この鳥居の奥は一段下がっていて、広場になっている。

土呂八幡宮
一段下がったスペース

そしてさらに拝殿に向かう道は一段上がっている。
↘_↗  ←こうなっているのよね。

土呂八幡宮
一段落ちている空間

この空間は何だろうねぇ。堀跡?それにしては広いよねぇ?と首をかしげながら歩く。

拝殿に向かう前に気になったのがこの場所。

土呂八幡宮
白山社への参道

「白山社」へ向かう参道です。ここは明確に一段上がっている。しかも参道に対して右側が張り出していて、ワタシならこれを櫓台として櫓を置きたい!

土呂八幡宮
櫓台のように張り出している場所

見ればみるほど櫓台っぽい雰囲気。

土呂八幡宮
まるで櫓台のよう

焼き払われた上に土呂城も築かれているし、さらに土呂八幡宮として整備もされているだろうから、三河一向一揆時代の本宗寺の名残を探すのは難しい

土呂八幡宮
拝殿

この拝殿がある場所も高くなっているけれど、積み上げられたものなのか、自然地形を利用したものなのか?

拝殿と本殿の脇を通っていくとまたさらに一段上がっていました。

土呂八幡宮
拝殿と本殿の脇 一段上がっている

土呂八幡宮の敷地は本殿から駐車場のほうまで段々と下がっていくのね。本殿の奥は竹藪になっているようでした。

これで三河一向一揆の主要な三ヶ寺とそれらの寺院を束ねる本宗寺の更新完了!
最後は一向一揆に巻き込まれた不運な城や館をとりあげます。


 

その後の本宗寺

「ざっくり年表」で掲載しましたが、一向一揆の収束後は家康の家臣である石川数正がこの地に土呂城を築き、城下町も栄えたそうです。
土呂城の曲輪は本宗寺の西にある御堂山に本丸、土呂八幡宮の北側の御坊山周辺に二の丸があったという。現在の「御坊山」の地名の場所は切り開かれて宅地になっていますが、Google Mapで見たところ、少し高台になっているようです。
本宗寺は江戸時代になって現在の岡崎市美合町に移転しました。

 

土呂本宗寺 基本情報

  • 築年:寺としての創建は康元元年(1256年)または正嘉2年(1258年)
  • 種類:-
  • 天守:なし
  • 主なタイトル:-
  • 主な遺構:なし
  • 文化財指定:-
  • 所在地:愛知県岡崎市福岡町南御坊山19 土呂八幡宮の周辺に寺内町を形成していた
  • アクセス:JR岡崎駅から徒歩30分
  • 駐車場:あり 土呂八幡宮の駐車場
  • トイレ:
  • 売店・食事処など:なし
  • 女子城メグラー 難易度:★★☆☆☆
    JR岡崎駅からは歩いて30分。岡崎駅→勝鬘寺まで徒歩12分、勝鬘寺→土呂八幡宮まで徒歩20分。歩きだと勝鬘寺までは行けるけどそこから足を伸ばして土呂八幡宮まで行ったとしてもそこから岡崎駅に戻るのはちょっと大変。土呂八幡宮は駐車場もあるし、ここは車で行くのがおすすめ。
    土呂城、本宗寺の名残はないけれど、境内は整備されていてるので軽く散策はしやすいです。

 

土呂本宗寺 散策ログ

上宮寺の散策ログはありません。

 




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