『どうする家康』聖地巡礼⑬ 三河一向一揆の発端 上宮寺

2023年の大河ドラマ『どうする家康』を勝手に応援企画!
『どうする家康』の聖地“潤”の旅の「三河一向一揆編」。東京から日帰りの岡崎旅行もこの2023年3月の旅行で3回目。一向一揆関連で取りこぼした城跡(寺跡!?)や史跡・スポットをまわってきました。
今回は一向一揆の発端となった上宮寺を取り上げます。

上宮寺とは

そもそも上宮寺は言い伝えによれば聖徳太子が開基したという。はじめは天台宗、その後に浄土真宗となり、15世紀中頃に浄土真宗の本願寺派に改派したということで、時代とともに変遷していきました。上宮寺は針崎町の勝鬘寺、安城市の本證寺と共に真宗本願寺派三河三ヶ寺と称されました。三河・尾張・美濃・伊勢にまで勢力を伸ばし、その数は末寺・道場を含めて105もあったそうな!

永禄6年~7年(1563年~1564年)にかけて松平家康が三河統一を進める中で立ちはだかった一向一揆の発端となった寺。家康は今川と対峙していたときに、今川の勢力と対峙するために上宮寺付近に砦を築かせたのだけど、家康の父である松平宏忠から「守護使不入」の特権を与えられていたにも関わらず、家康の家臣である※菅沼定顕(すがぬまさだあき)が上宮寺から兵糧とするための穀物を強奪。それに怒った門徒達が蜂起。家康の家臣をも巻き込んだ戦いとなっていきます。
これには異説含めて様々な説があるけれど、『どうする家康』のドラマの中ではこの説を採用していました。

現在は、残念ながら当時を思わせるような堀や土塁は残っていないですが、徳川家康の人生における大ピンチの三河一向一揆が起こった場所や距離感を把握するうえでは外せない重要スポットです。

※菅沼定顕は実在しない説もある。

上宮寺 立地について

まずは上宮寺の位置をチェック!矢作川の近くに位置しています。

三河一向一揆 舞台になった寺
三河一向一揆 舞台になった寺

三河一向一揆の発端となった上宮寺と本宗寺をマッピングしてみたけど、上宮寺は岡崎城からはこんなに近いのね!
上宮寺から岡崎城への距離感は、

  • 車で9分!
  • 自転車で22分!
  • 徒歩58分!

徒歩でも1時間以内で行けてしまう!走った場合は自転車よりちょっと時間がかかるくらいだとして、30分もあれば岡崎城へ突入できる距離感!

怖っ! いくら岡崎城側で防備を固めていたとしても家臣までが一向宗側に付いたうえで、あれだけの勢力とこの近距離で戦うのは無謀過ぎる!

本證寺 縄張図

上宮寺の縄張図はありません。

上宮寺の案内版によると中世の頃の上宮寺は土塁と堀で囲まれていたそうな。

十七世紀初頭の絵図によれば、中世の本寺は、北東南を妙覚池に囲まれた方形の平地上に建ち、三方には土塁と堀がめぐらされ、西にも土塁があった。その西の堀と溝に囲まれた区画に寺内町があり、全体として守護不入の特権が認められていた。
<中略>
十七世紀中葉の矢作川改修や、妙覚池埋め立て工事によって、周囲の地形は大きく変わっているが、東方の土塁跡などから往時を偲ぶことができる。

上宮寺 案内版より

なぬ!?上宮寺の東に土塁の跡があったとな!

訪れた日は雨で寒く、傘を差しながらの撮影だったのでよく案内版を見ていなかったのだけど、戻ってきて改めて上宮寺をGoogleマップで確認してみたけど、土塁らしきものがあるようにみえない。
かろうじて、上宮寺の門がある東側が植え込みがあって少し盛り上がっているようには見えるものの、本證寺の敷地面積を考えるとこんなに小さかったわけでは無いと思うし。

と思っていろいろ探してみたら、平成28年(2016年)に上宮寺境内の発掘調査の現地説明会があったそうで、そのときのことをブログで書かれている方がいました。

愛知、岐阜、三重、東海地方の城と史跡と街道歩き

今日は少しローカルなネタで。愛知県岡崎市にある上宮寺(じょうぐうじ)の発掘調査現地説明会に行ってきました!上宮寺、そう…

『愛知、岐阜、三重、東海地方の城と史跡と街道歩き』さんの2016年01月26日の記事によると、土塁の規模は4~5mあったそうです。
掲載されている写真を参考に現在のGoogle Mapで探してみると、同じアングル見つけた!

上宮寺 土塁跡
上宮寺 土塁跡(Googleマップより)

土塁の跡が検出されたのは、上宮寺の東側の1ブロック向こう側だったようだ。このくらいの規模ならば納得。
なお、この角度からだと「東側」というのがよくわからないので、改めて「北」を上にしてみた。

 

上宮寺 土塁跡
上宮寺と東側の土塁跡

おぉ。よくわかるぞ。上宮寺は一向一揆が終結したあとは土塁や堀にいたるまで家康に破壊されまくったという。当時の区画もどのくらい現在に引き継がれているかはわからないけれど、上宮寺の入口のぐねっとまがっている道路があるエリア!四角くて枡形みたいだなぁ。と思ってみました。

 

上宮寺へ

2023年3月。小雨が降る寒い日に傘を差して上宮寺へ。「聖徳太子の開基」ということで、山門(?)のところには「聖徳太子御創建 太子山上宮寺」と書かれている。
山門・・・だよね???

上宮寺
上宮寺 山門

本堂

上宮寺の本堂はとても近代的でお寺の本堂には思えないくらい。

上宮寺 本堂
上宮寺 本堂

上宮寺の本堂は昭和63年(1988年)に火災で消失したそうで、平成8年(1996年)にインド風で再建。天井は銅板葺き、壁はコンクリート打ちっぱなしと斬新!
東京の築地本願寺もインド風に設計されていて、「築地本願寺と同じ本願寺派だね。」とお仲間さんから指摘を受けて、なるほどねと思いました。上宮寺の設計者を調べてみたのだけどよくわからず。関東大震災後に昭和9年に再建された伊藤忠太のインド風の築地本願寺本堂に対するリスペクトがあったのかもしれませんね。

消失前の本堂の写真が境内の案内版にあったのだけど、日本古来の建築様式の本堂だったようです。

上宮寺
かつての上宮寺本堂

聖徳太子との関係 三河太田発祥の地

「三河太田 発祥の地」の石碑とともに聖徳太子との関係が案内版にありました。

上宮寺 三河太田発祥の碑
三河に多い「太田」姓の由来を案内している

案内版にある説明を抜粋すると

・推古天皇6年(598年)に仏法を伝えるため聖徳太子が三河に来るが、乗っていた車が田に落ちてしまった。
・通りがかった男が道ばたの夕顔のつるを車輪にかけ、車を引き上げた!
・太子は喜び、男に「太田」姓を与え、「力丸(りきまる)と名乗るがいい」と声明を与えた。

とありました。太子は力丸に案内されて志賀須香(しがすか)の里へ。太子は自身の木像を安置して「三河に仏法弘まれ(ひろまれ)」と願いをかけ、その地がこの上宮寺ということです。
太田姓は全国にあるけれど、この「力丸」さんを祖とする三河太田は、太子が下賜した「片輪車に夕顔の蔓(半車に夕顔)」という特別な家紋を受け継いでいるそうで、「三河出身の太田さん」に出会ったら、「家紋はなんですか?」とかなり前のめりに問い詰めてみたくなりそうです。

時代は一気に近代に飛んだけど、再び家康の時代に移ります。

松月院妙春尼の墓

コンクリートで舗装された上宮寺の敷地に松月院妙春尼の墓碑がある。松月院妙春尼は家康の母である於大とは姉妹で、家康の乳母を務めました。石川安芸守清兼の妻であり、家康の近臣だった石川日向守家成の母でもあったのですが、家臣の母というだけでなく、乳母というものは強い。家康にも強い影響力を持っていたという。

上宮寺
松月院妙春尼の墓

一向一揆は1年半もの長い間続き、最後は寺側が疲弊して和議を結んだものの、和議の条件として僧侶は三河を追われ、寺院は堀や土塁に至るまで徹底的に破却。さらに三河では以後20年間も本願寺系寺院は禁教とされたということで家康の怒り(そしてたぶん「恐れ」も)は長く続きました。
その状態に終止符を打ったのが家康の乳母であった妙春尼でした。彼女は熱心な本願寺門徒であったそうで、

三河の僧侶衆が退去中、代わりに国内に残った門徒衆を束ねる役割をになっていた。当時ではそのように三河の本願寺教団の斜面・再興に尽力した妙春尼を偲ぶため遺髪をもって墓とし、後世に伝えている。

上宮寺 案内版より

ということで、天正11年(1583年)に妙春尼が動かなければさらに長い間、本願寺が復興することはなかったわけです。

上宮寺 案内版
妙春尼の肖像

一向一揆後の復興は、段階を経ており、上記の松月院妙春尼の尽力もあり仮御堂が建てられたのが第一段階。そして寛永6年(1629年)の二度目の復興では妙春尼の孫娘であり、おなじく熱心名本願寺門徒であった松泉院妙怡尼が早世した娘の供養として半鐘を寄進したそうです。現地の案内版によるとこの鐘は大正時代のはじめまで時の鐘をつくために利用されていましたが、現在は宝物殿に安置されているそうです。宝物殿の見学は事前に申し込みが必要ということなので、次回はじっくり宝物殿も見学してみたいものです。

 

上宮寺 基本情報

  • 築年:寺としての創建は推古天皇6年(598年)。
  • 種類:-
  • 天守:なし
  • 主なタイトル:-
  • 主な遺構:なし
  • 文化財指定:岡崎市指定史跡
  • 所在地:愛知県岡崎市上佐々木町梅ノ木34
  • アクセス:JR西岡崎駅から徒歩5分
  • 駐車場:あり
  • トイレ:
  • 売店・食事処など:なし
  • 女子城メグラー 難易度:★★★★☆
    西岡崎駅から徒歩5分とアクセスは良いが、三河一向一揆が起きた時代の遺構は無い。位置感&距離感の把握のためだけにでも訪れてみてください。

 

上宮寺 散策ログ

上宮寺の散策ログはありません。



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上宮寺 本堂
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