牛久城 本丸への道はドラマチック♪ ~牛久沼周辺の城を巡る旅③

小坂城、東林寺城ときた茨城県 牛久沼周辺の城を巡る旅。最後は牛久城です。

 

 

牛久城とは?

牛久城は小田氏一族の岡見氏が築いたといわれています。戦国末期には小田氏が没落したため後北條氏と同盟関係になりました。後北條氏と佐竹氏との領地の境目にある城で、西側から北側までは牛久沼に面しています。

北の大手門跡から主郭部のある南端までは南北約1kmもあるという巨大な城!主郭部は堀によって3つの曲輪に分かれています。

秀吉の関東侵攻によって開城したのち、秀吉は由良氏を城主として置いたけど関ケ原合戦後の1623年には廃城に。江戸時代になって牛久藩が置かれると、牛久城外郭の西端の台地に牛久陣屋が築かれました。

東林寺城と牛久城は目と鼻の先。東林寺城がこんなに近くに築かれたのは、やはり居城というより牛久城周辺に何かあったときの前線基地だったのだろうな。古地図によれば、一ノ曲輪とニノ曲輪の北には角馬出があったそうです。

 

牛久城 基本情報

  • 築城年:? 天文年間(1532~1555年頃?)
  • 築城主:岡見氏
  • 種類:平山城
  • 天守: -
  • 主なタイトル: -
  • 主な遺構:曲輪、土塁、横堀(空堀)、土橋
  • 文化財指定: -
  • 所在地:茨城県牛久市城中町
  • アクセス:牛久駅からコミュニティバスで「三日月橋生涯学習センター」下車。牛久城から歩くと1時間くらい。
  • 最寄駅:JR常磐線「牛久」駅
  • 駐車場:牛久観光アヤメ園の駐車場 43台
  • トイレ:なし 牛久観光アヤメ園のトイレが近い。
  • 昼食場所:なし。
  • 縄張図:
    牛久城 縄張図
    牛久城 縄張図

牛久城 見どころ

  • 愛宕神社にも行ってみて!土塁の裏に空堀がある!
  • 三ノ丸と二ノ丸の間の空堀は超巨大!一部、畝状になっているところもある!

 

牛久城へ

東林寺城から見た牛久陣屋
東林寺城から見た牛久陣屋

東林寺城の切り取られた一ノ曲輪から撮影しました。
正面が牛久沼。思った以上に大きかった。
沼の奥の右側にある一角。現在は宅地開発されているけれど「泊崎城(はつさきじょう)」という城があったそうです。
牛久沼の左側にあるのが牛久陣屋牛久城はもっと奥ですね。左側をもうちょっとクローズアップしてみると。

東林寺城から撮影した牛久陣屋
東林寺城から撮影した牛久陣屋

Google Mapで見てみると・・・

Googleマップ見た牛久陣屋と牛久城
Googleマップ見た牛久陣屋と牛久城

牛久城でかい!そして東林寺城が近い!
この図を見ると「牛久城が居城で、東林寺城は有事の際の駐屯地」説がしっくりくる。

東林寺城の二ノ曲輪から降りて渡ってきた稲荷川の橋を越え、対岸へ。稲荷川を右に見ながら歩く。

牛久城を目指して歩く
観光アヤメ園を横目にハイキング気分
牛久城を目指して歩く
牛久城を目指して歩く

だんだんと山の中を入ってきた。目指すは大手門跡。

牛久城 縄張図
牛久城 縄張図

縄張り図を見てみると、指をさしている「戸張出口」が大手門跡。(進む方向に合わせて持っているので上下が逆になっててすみません。)
その右側に「廃土」とある区画。見事に「堀」を形作っています。その「廃土」を右に見ながら戸張出口を目指します。

廃土
廃土

これは見事な💕。
ちょっとした堀くらいの規模かなと思ったら、なかなかの深さではないか!

写真だと窪んでいる様子がわかりにくいけど、もっと奥を歩いて行くとさらに深いところが見えてきた。

廃土
かなり深い堀だ

見よ!この高低差!
ゴミが廃棄されているのが残念。そこをあえてモデルの方に降りていただく。

 

降りていくのも大変な高さ
降りていくのも大変な高さ

この写真は望遠で寄っているので、目線と同じ距離感にすると。

かなり深いことがわかるかな?
かなり深いことがわかるかな?

奥行きもあります。この一角は「山の中の遊歩道」のような感じだけど、道を登りきったところに大手門がありました。すなわちここから先が牛久城の城内となるのです。現在はごみが投棄されている残念な場所だけど、当時は防衛の役割を果たす「堀」だったのでしょう。

 

大手門

戸張出口に着きました。ここは牛久城の大手門があったところ。

牛久城 大手門跡
牛久城 大手門跡

案内板によると

牛久城は、16世紀のはじめのころ、岡見氏によって築かれたといわれる。
天正18年(1509年)岡見氏滅亡後、上野金山(こうすけかなやま)城主であった由良国繁が入場した。
元和7年(1621年)、由良氏が除封(じょふう)になり、廃城となった。
城は周囲三方を沼に囲まれ、一方の北側は大地を掘り切った要害堅固な旧城中集落全域を包む大規模な城郭である。大手門は、堀切りのほぼ中央に「喰い違い虎口」と「枡形馬出し」を備えた、厳重なものであった。

現在は大小4本の道路が集結して牛久城への1本の道になっています。

大手門跡
大手門跡

大手門の前は広場のようになっていて、高札場といっても違和感がない造りになっている。(城の大手として機能していたのであれば、そんな真ん前には作らないと思うけど。)
ここから先の道は、緩いカーブの先に左折れ、緩いカーブの先に右折れなど、微妙に見通しのきかない道になっている。攻める側としては攻めにくい。
急な右左折を要するところは、門があったのかな?と想像しながら歩く。

 

ここを見逃すな!
愛宕神社の中の土塁と空堀

途中、得月院(とくげついん)というお寺の前を通過。その先にある愛宕神社の中に土塁があるというので入ってみる。

愛宕神社
愛宕神社

ちょっと小高い丘のようになっているところが土塁でその上に愛宕神社のお社。この裏にがあるらしい

愛宕神社 お社の裏の空堀
愛宕神社 お社の裏の空堀

おぉぉぉ!深いぞ!簡単に降りられる感じではない。

この愛宕神社。あとから調べたところなんと稲荷塚古墳という古墳だったそうな!古墳が削られて土塁として使われ、さらに神社のお社が建てられたという。

古墳と土塁が同時に味わえる。なんて贅沢な!

そして緩いカーブと右左折を繰り返しながら住宅街を抜け、牛久城の三の丸に入ります。

牛久沼周辺の城
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