東林寺城  城内最大スケールの堀を探検する ~牛久沼周辺の城を巡る旅②

茨城県 牛久沼のほとりの城を歩く旅。小坂城に続いて次は東林寺城を探索します。

 

東林寺城とは?

東林寺城は築城年は定かではないものの、牛久城を拠点とした岡見氏が築城し、牛久城の支城であったと言われています。「居城」というより、佐竹氏など周りの有力氏族達との戦いに備えた「駐屯地」のような意味合いだったと推測されています。
東林寺城は牛久城とは目と鼻の先で、稲荷側を挟んで反対側に位置する。東は稲荷川、西に谷田川南は牛久沼と三方を囲まれた台地の南端に位置し、城がある場所は小高い台地になっている。立地としては申し分なし!
小坂城と同様に豊臣秀吉の小田原征伐の時に廃城になっていたと考えられているが、詳細はよくわからないそうです。

案内版などはないため、初めて行くと不安になるほど「何もない」ように思えます。行ったことがある人に連れて行ってもらった方がよいかな。

 

東林寺城 基本情報

  • 築城年:? 永禄年間(1558~1570)には牛久城の支城であったといわれる
  • 築城主:岡見氏?
  • 種類:平山城
  • 天守: -
  • 主なタイトル: -
  • 主な遺構:深さ約10mもある空掘、土塁
  • 文化財指定: -
  • 所在地:茨城県牛久市新地町149
  • アクセス:牛久駅からコミュニティバスで「三日月橋生涯学習センター」下車。牛久城から歩くと1時間くらい。
  • 最寄駅:JR常磐線「牛久」駅
  • 駐車場:東林寺駐車場に停めさせてもらうしかない
  • トイレ:なし
  • 昼食場所:なし。一部私有地もあったりするので、見学はすみやかに退出すべし。
  • 縄張図:
東林寺城 縄張図
牛久城 縄張図

東林寺城 見どころ

  • 起伏は少ないがとにかく広い!
  • 三ノ曲輪の手前は城内最大規模。堀底は整備されていないので降りづらいが、ぜひ堀底から上を見上げてほしい!

 


小坂城からいったん駅に戻り、お昼を食べてからコミュニティバスで三日月橋生涯学習センターまで。そこから歩いて東林寺城を目指します。

河童
河童の像

牛久沼の河童を発見!牛久沼にはカッパ伝説があるそうです。いたずらして人を沼に引きずり込んだりと、ユーモラスなさもありつつダークなイメージなんだけど、ここのカッパさんはなんかさみしそう・・・。

稲荷川 左側は東林寺城のある山
稲荷川 左側は東林寺城のある山

これは牛久沼ではなく稲荷川。左側は東林寺城のある山。牛久沼はその反対側にあります。
稲荷川の橋を渡って東林寺城へ。東林寺城は横に長く、写真の左端から右に見える鉄塔の手前あたりがその敷地にあたるそうな。でかいな!

のどかな風景
のどかな風景

 

ゆるい坂道を登る
ゆるい坂道を登る

東林寺城のある山の横のこんな道をずーーーーーっと歩いて行く。だんだんと坂の傾斜がきつくなってきて、登っていく感じがしてくる。

途中にはこんなところが。

三ノ曲輪と四ノ曲輪の間の堀
三ノ曲輪と四ノ曲輪の間の堀

三ノ曲輪と四ノ曲輪の間の堀から城内に入れるようになっているけれど、鉄塔周辺あたりまでひたすら側道を歩く。

四ノ曲輪から入って行きます
四ノ曲輪から入って行きます

四ノ曲輪

バスを降りて稲荷川の橋を渡りきったところが一ノ曲輪と二の曲輪の間にあたります。橋を渡り終えてから約20分歩いて四ノ曲輪から入ったけど、本当に広い!
東林寺城は案内が何もないので、もらった縄張図が命。空堀や土塀ばかり撮っているとどこなのかが全くわからなくなるので、縄張り図と自分の指でどこにいるかを指し示して撮影しながら進む。

東林寺城 縄張図
東林寺城 縄張図

東林寺城を間に左が稲荷側、右が牛久沼。
この縄張図でいうと、稲荷側の反対側、左上から橋を渡り、稲荷側に沿って上から下へ歩いてきました。四ノ曲輪の下の方に城内に入る道があり、今いるのは四ノ曲輪にはいるところです。

四ノ曲輪の前には大きな空掘が立ちはだかる。堀の深さがわかるかな?

四ノ曲輪 間の空堀
四ノ曲輪 間の空堀

うーん。人がいないと堀ということがわかりにくいな。
東林寺城は全体的にこんな感じです。縄張り図で想像しながら歩かないと変な所に落ちそう😅。

東林寺城 縄張図
東林寺城 縄張図

今、いるところは四ノ曲輪の入り口で、へこんでいる一角。ちょっとした広場になっていて、でもここから四ノ曲輪へ入る道は無く。

四ノ曲輪の空堀手前 へこんでる一画
四ノ曲輪の空堀手前 へこんでる一画

これがそのへこんでいる一画の写真。正面、右側は縄張図のように空堀になっていて、おそらく横矢がかかるのかな。
うむ。縄張り図から推し量るのは難しい。

三ノ曲輪

四ノ曲輪を無事に突破し(整備されていてちゃんと歩けるようになってますのでご安心を。)。四の曲輪と三ノ曲輪の間のでかい空堀に到着。
来るときに見た大きな堀。あれを登ってくるとここにぶつかるんですね。

東林寺城 現在地
東林寺城 現在地

縄張り図でいうとココね。

三ノ曲輪の手前の空堀
三ノ曲輪の手前の空堀

堀なんだけど・・・

三ノ曲輪手前の空堀
三ノ曲輪手前の空堀

これも堀なんだけど・・・写真ではよく伝わらん!あぁ。この空堀のスケール感が伝わらないのがもどかしい!
写真では伝わらないので載せないけど、縄張り図のように「カクカク」している。堀の向いには一段高くなっているところもあり、たぶんここから狙いするんだろうな。という場所もありました。

で、猛者達はこの大きな堀を下りて歩いて行く。

このために登山靴をはいてきたのさ。
(こんなことになるだろうと予測していたのさ。)
このために汚れても良くて、ポケットがたくさんついているカーゴパンツをはいてきたのさ。
(縄張り図とペンがすぐしまえるように。)
このために、普段つけないカメラのレンズのレンズフードをつけてきたのさ。
(レンズに木々が触れるのを避けるため。レンズキャップをすればよいけど、落としたらもう二度と出会えない!)

えぇ。降りますとも。気分は探検隊。ちょっと後悔したけど。
これ、本当に降りられるの!?という城内最大のスケール。

三ノ曲輪手前の空堀
三ノ曲輪手前の空堀

深いだけでなく、堀幅がかなり広い。左側を見ると傾斜角度がわかるはず。
堀の右端は木々が茂りすぎて、わけわからんことになっている。

三ノ曲輪手前の堀 堀底から撮影
三ノ曲輪手前の堀 堀底から撮影

あえて人をちょっと写して堀の深さを出してみた。ずいぶん深いなぁ。現在でも落ちたら登るのが大変。ましてや当時はもっと堀底が深かっただろうに。大変。あっという間に射かけられて「終わり」だな。
追い込まれてここに落されたら、それだけで戦意喪失するわ。

東林寺城 縄張図
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