引田城 野面積みの高石垣にため息。~讃岐の城めぐり2020 (1)

2020年1月25日~26日 お城仲間さんと一緒に昨年に続き、高松に行ってきました。
今回の旅の目的は前回、雨で引き返した天霧城リベンジ天霧城、九十九城、雨滝城、引田城に行きましたが、特に印象に残った引田城からレポします。
本家のほうに引田の城下町散策編もアップしています。こちらもどうぞ。
海の向こうを旅してみれば

1/25~26にかけて香川県の高松周辺の城めぐりに行ってきました。 「引田の城下町は建物好きにはたまらんよ。」と聞き、軽…

引田城とは

海岸をに面している断崖にある交通の要所にある城。今でも引田港があり、瀬戸内海を見張る重要な拠点。
その歴史は古く、667年に引田氏が引田城を築いたと伝わっているけれど、その後1504年に四宮氏、1587年に生駒親正が入城するといたるところに石垣を築きました。のちに「東に寄りすぎ」な立地から聖通寺城に本拠を移すことになりました。
北二の丸の石垣が最大の見どころで、とにかく高くて長い!通常の画角のカメラでは入りきれないので、できれば広角レンズで撮影したいくらいの規模です。

引田城 基本情報

  • 築城年:667年? 改修は天正~慶長年間(1573~1615)
  • 築城者:引田氏 改修は四宮右近、仙石秀久、生駒親正
  • 種類:山城
  • 天守: 不明
  • 主なタイトル:続日本100名城
  • 主な遺構:石垣 特に北二の丸の石垣は長くて高くて迫力満点
  • 文化財指定: -
  • 所在地:香川県東かがわ市引田
  • アクセス:JR引田駅から徒歩約20分
  • 最寄駅:JR「引田」駅
  • 駐車場:引田港側、田の浦キャンプ場側に駐車場あり
  • トイレ:引田城南西駐車場に簡易トイレはあるが、事前にすませておいたほうがよいです。
  • 昼食場所:なし
  • 縄張図:

    東かがわ市教育委員会パンフ 引田城跡散策マップ
    東かがわ市教育委員会パンフ 引田城跡散策マップ

     

引田城 見どころ

  •  讃岐の国では初めての石垣の城北二の丸下段野面積みの高石垣 この下段の石垣が特に見ごたえがあって素晴らしいのですが、気づかない人もいるそうです。忘れずに!
  • 気力・体力に余力があれば化粧池に降りてみるべし!人工池の石垣がしっかり残っています。大手門跡から行くと整備されていないので足元に気を付けて!天気次第ではけっこうぬかるんでいます。南の曲輪側から降りる道もあるけど、ちょっと遠回りになります。

引田城へ

引田港側 登山口
引田港側 登山口

引田駅からは徒歩約20分のところに登山道入口がある引田城。登山道は整備されていてハイキング感覚で歩けます。引田港側、田の浦キャンプ場側のどちらも後世に作られた遊歩道なので途中には遺構はないものの、登ってしまえばいたるところに石垣があり、見どころたくさんです。

 

引田港側登山口 案内板より
引田港側登山口 案内板より
現在も現役の引田港の近くにある山城。瀬戸内海の小豆島、淡路島を行き来する船を監視しやすい良い場所にあります。
引田港側登山道
引田港側登山道
大小の石がゴロゴロしているけれど大正時代末期に作られた登山道なので道幅もしっかりとあり、比較的歩きやすいです。見晴らしもよくて天気が良い日はハイキングにうってつけ。

大手門跡 北二の丸 南二の丸

しばらく登ると大手門跡に到着。二ノ丸は大手門を挟んで北二の丸、南二の丸に分かれています。

大手門跡
大手門跡
大手門跡を少し降りたところから仰ぎ見て撮影。
石垣であったと思われる大きな石がごろごろと残る。さすが大手と思わせる大きさ。
写真の左が北二の丸にあたり、右奥が南二の丸にあたる。南二の丸には石垣は無い???木が生い茂っていてよくわかりませんでした。
現地の案内板によると、下記のように書いてありました。
石垣で囲まれた北二の丸と南二の丸は、御殿があった場所と推定されています。北二の丸では発掘調査により、建物の礎石と多くの瓦が発見されています。
南二の丸もぜひ調査していただきたい!
北二の丸を少し下ったところから撮影
北二の丸を少し下ったところから撮影

大手門跡を下から登ってきた感覚で撮りたかったので、少し降りてみました。正面は北二の丸。写真が見切れている右側に大手門跡があります。

大手を飾ったであろう大きな石
大手を飾ったであろう大きな石
北二の丸の崩れてしまった部分
北二の丸の崩れてしまった部分
北二の丸からは小さめの礎石が出てきたそうです。櫓門があったとしたら規模から推測するにはは小さく、北二の丸と南二の丸の間の距離を考えるとここに櫓門を建てるにはアンバランス。うーん。謎は深まります。
なお、北二の丸からは生駒氏よりも前の時代の燈明皿も出てきたそうです。
城内の案内版
城内の案内版
北二の丸から北曲輪(丹後丸)方面へ向かう。こまめに案内があるので迷わない。整備状態も良好だし、女性一人で行っても迷うことはなさそう。
この看板に来るまでも左の北二の丸側にはゴロゴロと石が。その都度足をとめるときりがない!そのくらい石がふんだんに使われている城です。

 

ここがみどころ! 北二の丸 上段下段の石垣

北曲輪に行く途中に見どころの石垣があるのですが、
北二の丸 上段石垣
北二の丸 西北部 上段石垣
北二の丸上段の石垣はシートで覆われていた・・・。見えぬ。
2m~3mくらいあるそうで、城内では一番大きな石が使われているという。
隙間に間詰め石が詰められた算木積みの石垣
隙間に間詰め石が詰められた算木積みの石垣
見たかった・・・。🤣
北曲輪へ行く間の通り道なので上段の石垣は気づきやすいのですが、もうひとつの見どころはこの下にある。気づかず帰ってしまう人もいるようです。
二ノ丸 西北部下段の高石垣
北二ノ丸 西北部 下段の高石垣
こんなご褒美のような石垣が!😍💕💕💕
長っ!!!😍

こ・・・これは素敵すぎる!

 

そして
見上げると首が痛くなる高さ
見上げると首が痛くなる高さ
高っ!!!😁

 

下段の石垣は5m~6mあるという。いやぁ。これは見ないで帰ったらもったいない!
北二の丸の下は大手道だったという説があるけど、下から登ってきてこの石垣が目の前に見えたら萎えるわぁ。「見せ石垣」作戦、大成功だね。
北二の丸 下段の高石垣
北二の丸 下段の高石垣
見よ!この規模感!

 

人が入るとその大きさがよくわかる。圧倒的な圧迫感。そして野面積みが美しい。もう、何時間でもいられます!
「香川県内では最古の石垣」という表現を思い出し、心が躍る。
天正期(1573~1596年)~文禄期(1592~1596年)の特徴を示している。香川県内では、最古に分類される石垣となる。
週刊日本の歴史
ちなみに人が立っている部分の足元は、人がすれ違えないような狭さです。
素敵すぎてこのままでは埒が明かない。石垣に張り付いている仲間数人を置き去りにして、今回が初訪問だったワタシは北曲輪(丹後丸)を目指す。規模感を把握するためにもとりあえずすべてを歩きまわりたいのだ!
二ノ丸 西北部下段の高石垣
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