前回の引田城レポの最後で触れましたが、登りは一般的なルートではないコースを登りました。
引田城散策の一般的なコースは二つ。
- 引田港側登山口
- 田の浦キャンプ場側登山口
どちらも大正時代以降に整備された「遊歩道」としての道。「大手門跡」と伝わる場所があるのならそこへの道もあるはずで。東かがわ氏教育委員会のパンフにある引田城跡散策マップでは第3の道が掲載されています。
ピンクがのコースが大手道と推定されるルートなんです。
ピンクの道を通っていくと家臣団屋敷の推定地と言われている曲輪たちを右目に通ります。これは「段曲輪」ではなく「段」と呼ばれていて、面白いほど「段」が重なっているんです。
大手道は確実にこのルートだと判明しているわけではないですが、今回は散策マップに沿って登ってみることに。
整備していただいてありがとうございます。道があります。背の高い草を分けて入っていくと・・・
これらの「段」は地元の皆さんの中では「下郎屋敷」と伝わっているそうです。
「下郎」は「げろう」と読み、「人に使われている身分の低い者」の意味のほうです。
「下郎」は「げろう」と読み、「人に使われている身分の低い者」の意味のほうです。
少し上に上がって後ろを振り返ると段・段・段と連なっていてこれはすごい。
この高まりを目印に右に折れていく。その先も平場になっていて一部を2m掘り下げて発掘したところ、石垣や瓦などが出てきたそうです。上にあった建造物のものが落ちてきたのだろうか。
道らしきものがあり右に急カーブ。大手へつながる道っぽくなってきた。
お城仲間さんの中には右にすぐ曲がるのではなく、一度左側にふって右に曲げるような道があるのではないか?と推理している方もいました。例えば安土城のような感じ?安土城も一度左にふって右に迂回させてるしね。
お城仲間さんの中には右にすぐ曲がるのではなく、一度左側にふって右に曲げるような道があるのではないか?と推理している方もいました。例えば安土城のような感じ?安土城も一度左にふって右に迂回させてるしね。
北の丸の石垣を左に眺めながら大手門跡に出るわけです。
大手道と言われているところから下郎屋敷を右に見ながら左側をほぼまっすぐに歩き、行き止まりを右に曲がって登り、気づくと左に北二の丸の石垣。そして大手門に入るというコース取りをしました。
ただ「段」から大手門に至るまでの登り道は不明瞭な部分も多く、ぜひとも発掘調査していただきたいところです。
東かがわ市の偉い人!何卒!
ただ「段」から大手門に至るまでの登り道は不明瞭な部分も多く、ぜひとも発掘調査していただきたいところです。
東かがわ市の偉い人!何卒!
現在想定されている大手道への入口は特に案内板などは無く、タイミングが良ければ草木は刈られていますが、遊歩道の登山道とは異なって足元は良いとは言えませんのでご注意を。
なお、民家の脇を入っていくことになるので行かれる際には、テンション上がって周りの民家に迷惑をかけないように・・・。
すべてまるっと含めて整備や登城できる環境を整えていただき、案内版が出せるようになっていただきたいですね。
引田城編、これにて終了!