諏訪原城 巨大な丸馬出の大きさに驚愕! ~まーるいお城めぐり(1)

本曲輪

本曲輪へやってきました。
本曲輪
本曲輪
週刊「日本の城」によると、諏訪原城の本曲輪では、発掘調査により1575年の落城を境として前後2回の整地面が確認されているそうな。最初の整地が1573年の武田による築城時。1575年以降、焦土層を埋め立てて徳川により整地をされている。
その2つの時期の遺構が確認されたのは現時点で本曲輪のみだそうな。
パンフでは本曲輪は最奥にあり、二の曲輪との間の天守台がある広大なスペースは名前が特に付けられていないのだけど、諏訪原城の看板では、広大なスペース含めて本曲輪。
広大なスペースに立つと、さらに奥に行くには虎口ように狭くなっていて、この奥も曲輪のようだし。
そもそも諏訪原城パンフと看板で、表現が違うではないか!

本曲輪に差し掛かるとその「天守台地」の看板が。

天守台地
天守台地
本曲輪の中で確かに少し高くなっている。ここに二層の櫓があったそうな。
お城めぐりのお仲間さんにきいたところ、昔は天守台があったとされていましたが定かではないとのこと。現在は諏訪原城のパンフからも「天守台地」という表記は掲載されていません。「天守台地」という表現は、この看板にしかないのです。
藪まみれの天守台地の地形を観察していると、ひそかな声で呼ばれる。行ってみると・・・・
カモシカがいる!
カモシカがいる!
こどものカモシカがいました!
望遠レンズでよかった。肉眼では遠かったけど、初めてのカモシカとの遭遇。激写!初めて会う動物がクマでなくてカモシカでよかった。なんでも諏訪原城ではよくカモシカが目撃されるそうです。いわば、現在の城主ですな。
しかもこのこどもカモシカさん、撮られ慣れているようで、撮影している間は静止してくれているんです。そしてこちらの「飽き」を感じるとすっと姿を消していきました。カモシカさん、撮影させてくれてありがとう。
ひととおり撮影をして、再び本曲輪へ。
本曲輪のヘリ
本曲輪のヘリ
曲輪のヘリを観察。ヘリに行くほど下がっていってる。
搦め手
搦手
看板の奥が搦手です。覗き込むと細い傾斜の急な道が続いてました。地形図で見ると、この本曲輪が一番高いところになっている。
本曲輪からの景色
本曲輪からの景色
新田目て、高いところにいるということを実感。大井川鉄道も見える絶景。

 

そしてカクカクとした四角形の本曲輪をぐるっと回って二の曲輪へ向かう間にまたお会いしました!
カモシカアゲイン!
さきほどのカモシカさんがまた来た!
さきほどのカモシカさんがまた来た!

こどものカモシカさんはかわいい!先ほどもそうだったけど、数人で撮影し終わり、解散するのに合わせてまたどこかへ行ってしまいました。撮られ慣れているなぁ~。

 

カンカン井戸
カンカン井戸
本曲輪と二の曲輪の間にある堀底にある井戸。なぜ「カンカン井戸」なのかは謎。諏訪原城は高台にありますが、水の手曲輪もあって水には恵まれていたようですね。
土塁にも注目!
土塁にも注目!
諏訪原城は馬出と三日月堀、長大な堀に目が行きがちだけど、きちんと土塁も残っているよ。

 

ニノ曲輪 大手馬出

土橋を渡って諏訪神社がある二の曲輪大手馬出へ。
二の曲輪大手馬出
二の曲輪大手馬出
この外堀がまた深いんだ。

堀の上からではよくわからなかったけど。
堀底に降りてみたらとっても深かった!
堀底に降りてみたらとっても深かった!
堀底から眺める
堀底から眺める
この堀底に踏み込んでしまったらあの土橋から狙われるわけですよ。

 

藪でよくわからなかったけど、二の曲輪南馬出二の曲輪内馬出、そして二の曲輪東馬出へ。一人だったらここまで来ないだろうなぁ。
土橋発見
土橋発見
土橋は立ち入り禁止
土橋は立ち入り禁止
この土橋は立ち入り禁止だったけど、とてもしっかり残っていました。
諏訪原城はあまりの規模の大きさに、その巧みな築城技術のことを忘れてただただ呆然としてしまうほどの城です。
二の曲輪、本曲輪は遊歩道が整備されているのみで藪がえらいことになっていましたが、夏場でも草が刈られていると遺構がわかりやすいんだろうな。それ以上の整備は望みません。草だけ刈られていれば・・・とわがまま言ってみる。

 

諏訪原城 歩いたマップ

諏訪原城、これだけ見て歩きました!

歩いた軌跡

一通り、見たかった馬出たちは見てきたぞ!こうしてみると、二の曲輪の中馬出、やっぱりでかいなぁ~。
諏訪原城編はこれでおわりです。とっても見ごたえのある城でした!
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諏訪原城 丸馬出
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